木津川の流れ感じる祝園神社。
祝園神社の特徴
木津川沿いに位置する本格的な神社です。
崇神天皇の時代に建立された由緒ある場所です。
開橋の近くに鎮守の杜があり、静かな雰囲気です。
木津川の流れが聞こえてきそうな地に建つ祝園神社木津川の流れが聞こえてきそうな地に建つ祝園神社は、崇神天皇の時代、この地にあった柞ノ森にこもった鬼神を鎮めるため、春日大名神を勧請したのが由来といわれている。毎年、お正月の申の日から3日間行われるいごもり祭りも、鎮魂のために始まったといわれ、大きな松明から燃え上がる火が夜の闇を焦がしていく。
木津川沿いにある本格的な神社。 かなり古い歴史を持ち、地域の 信仰を集めている。 長い参道を入って境内に出ると、 秋には紅葉で赤く染まる。末社も多く、 また無形文化財の 催事がある。
崇神天皇の御代に討伐された武埴安彦命の霊を鎮めるために建立されたのご起源という。春日神を勧請してシタートしたようですが、現在は天児屋命・武御雷命・経津主命の三柱を主祭神とするようです。又、こちらは「いごもり祭」が有名で、1月の申の日に計3日間執り行われる。
木津川にかかる開橋の傍に鎮守の杜があり気になり訪れました。歴史は相当古く奈良時代末期第48代称徳天皇(女帝で重祚)の勅使で建立されたそうです。参道から綺麗に整っていて燈籠にも損傷なくて心地よく三門には重厚感があります。三門を抜けると一気に杜のチカラと空気感が変わります。燈籠と二本の木が中央に供えられ神が通るべき道が示されています。拝殿に行けばわかりますが、綺麗に整備されて空気感が荘厳でなく出迎えてくれる様な暖かさは、本当に地域の皆様の信仰があつく、長い年月をかけ奇祭と言われている五穀豊穣を願う民俗行事が行われてきた経緯があるからだと。心地よくお招き頂いた神社でした。
とても古い創立の神社です。春日大社と同じ造りの拝殿です。
祝園神社(ホウソノ) 式内社 旧郷社木津川に架かる開橋を西へ渡った所に御鎮座。堤防から少し下った場所にある。ここには昔木津川の港があったとのことで、当然水運に関わる神も祭られていたと思われるが実際は不明。駐車場はないので、鳥居前に寸止めして参拝した。鳥居は石柱の上に接ぎ木をする要領で立っている。大水が来ても流されぬようにしているのか。この神社の北にある春日神社の鳥居も同じ形式だ。地名のホウソノは遺体をホウル(放る)から由来するとも。奈良の都から出た此の土地では多くの盗賊や戦乱が起こったと思う。木津川の港もこの近くにあったというから水難で亡くなった人も多かっただろう。社頭の由緒書きには、崇神天皇のころに、この地で皇位継承にまつわる戦乱があり、多くの死者が出たとある。また、伝承としてこの地域に鬼が棲み人々を困らせたので、天皇の命令によってこれを打ち取ったとある。いずれにせよ、歴史の深いこの地が、死者を弔い、邪悪な鬼からこの地を守る鎮めの神を必要としていたことが想像できる。時代が進み、春日大社との関係を重視したのだろう。春日神を勧請し社名も一時は春日神社となった。境内の多くの石灯籠には「春日社」とある。精華町には春日神社が多い。こちらも春日神社と数えると合計四社にもなる。本殿は、覆い屋根などで360度ぐるりと守られ見ることはできない。本殿を守るためか、見られては困るのかは不明。本殿の周囲には末社が9社ある。日本のハイブランドの神社はすべて揃えていますという感じ。本殿を一回りすればかなりの御神徳があるはず。・大神宮 ・熊野社 ・熱田社 ・祈雨社 ・出雲社 ・稲荷社・天満宮社 ・西宮社 ・有功社(いさおしのかみ、別名 五十猛命)
よく整備されていました。お参りさせて頂きましたが、あっという間に蚊の洗礼を受け退散しました。
川の横にあるんですが雰囲気は山奥の神社です。上から押しつぶされたような狛犬さんがキュートです。一月に奇祭「いごもり祭」をされるみたいです。
| 名前 |
祝園神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0774-94-3770 |
| HP |
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=460&r=1562397392.9726 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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祝園神社(ほうそのじんじゃ)。京都府相楽郡精華町祝園柞の森。式内社(大)、旧郷社。【祭神】天児屋根命 建御雷命 経津主命資料によると、木津川西岸土手下の社。神護慶雲四年(770年)に創建。崇神天皇の時代に武埴安彦が反逆しこの地で討伐される。その亡魂柞の森(ハハソノモリ)に留まり、聖武天皇これを撲滅しようとしたが鬼神の所業なれば如何ともしがたく、称徳天皇、池田六郎広綱・宮城七良朝藤を祝部として春日大神を勧請して創祠。当地は中世以降春日大社の荘園となっており、恐らくはこれ以降に春日神が勧請されてタケハニヤスノ王の伝承に組み込まれたものと思われます。本来は別の神が祀られていたと思われ、タケハニヤスノ王の霊を祀る廟だったか、或いはタケハニヤスノ王の伝承が記紀の付会で当地は文字通り「祝(ほうり)」の地、つまり祭祀の地だったか、さらには木津川の側に鎮座することから木津川の流水を守護する水神だったことなども考えられるかもしれません。とあります。