戦国の夢再び、東条城跡散策!
東条城跡の特徴
愛知県西尾市に位置する東条城は、戦国時代に築かれた歴史ある城です。
駐車場はわかりにくいものの、城跡の探求には価値があります。
再建された物見櫓には期待が寄せられるものの、現在は足場が残されている状況です。
318号沿いに駐車場あります表示がちょっと分かりにくいです(3台程度)トイレはありません小さな城跡ですが主郭、副郭に帯郭が配されてます主郭跡は3段になってます虎口(東西二ヶ所)、櫓台土塁が残ってます副郭は2つあり、主郭下の副郭は土塁で囲まれてます見学時間は30分程度です。
一昔あった復元櫓は取り壊されて土台が残りロープが張られてた😯説明板がいくつか立ってる🪧🪧🪧かなり改変されてるかもしれないけど曲輪に切岸♬土塁♬削り残された竪土塁状の横矢掛♬門跡♪など遺構も見れる散歩に良さげな城跡🏯🚶♂️
まず、駐車場がわかりにくかったです。2回も通り過ぎてしまいましたwww前にあった、物見櫓等々の建造物は老朽化で撤去されたそうで、また、登城路は、雑草に覆われていて、人があまり来なくなったのか、廃れている感じがしました。なんとかならないもんなんですかねぇ・・・
駐車場は城跡東側に数台分用意されています。注意してないと通り過ぎそうです。城跡は整備されており、県道沿いの登城口から城跡へ坂道を登ると三の丸の広場に着きます。神社のある二の丸があり、西へ降りると腰曲輪を見つつ西側の登城口に出ます。三の丸の広場から東側一段高い曲輪が本丸となり、昔整備された虎口が有ります。本丸は二の丸三の丸を合わせた位の広さでした。北側の木々が切り払われていて、県道を挟んだ丘陵の先に城跡が有る立地を見れました。
再建された物見櫓を期待していましたが足場しか残っていないようです。比較的よく整備され、数台とはいえ駐車場も準備しているのは流石愛知県です。
全体的に管理がおろそかになっています。入口の看板、駐車場の看板、枯れ葉、伸びた草、切った枝。しかしトイレは和式でありながら、たいへんキレイでした。以前、物見櫓を作った人達はもういないのでしょうか?説明の看板も読みづらくなってきました。なんとか復活を期待します。
愛知県西尾市にある東条城は足利義氏によって築かれた城です。現在城趾は古城公園として整備されており、曲輪や一部土塁が残っていて中世の城の様子をよくとどめています。平成4年に城門と物見櫓が復元され往時をしのぶ事が出来ましたが、老朽化のため、令和3年に取り壊されました。本丸跡に東条城趾の石碑立っています。二の丸跡には八幡社が鎮座しています。登城口から50mくらい先の県道の南側に駐車場がありますが、民家の横の数台しか停めれないスペースなので、わかりずらいです。
まさに戦国時代の波に飲み込まれてしまった城、東條城。足利家に縁ある吉良家のもので、家康に攻撃され吉良氏は滅亡しその後、廃城。入口となる虎口跡や二之丸、本丸跡など城郭の様子は看板があり、それに照らし合わせながら歩けばわかります。本丸虎口跡、土塁、曲輪跡が残され、本丸虎口の周りには土塁、木製の柵が復元されている。三の丸付近には清掃されている感があるトイレがあり、駐車場は東に50m行くと看板🪧が現れます。多分近隣の人の車が4台ほど停められますが実際には2台かな。下はコンクリートでなく、土で少しぬかるんでいました。あとはみなさんが言っているように、櫓が再度復元されることを願いますが…
23.3 お花見散策。 桜写真は29枚〜桜と草原散策。公園まで車で来る人もいましたが狭いので駐車場から歩いたほうがいいです。(過去)後期東条吉良氏の居城跡。古城公園として整備されていましたが、復元されていた門と櫓が撤去されていて、今は碑と柵が残っている。場所と景色がいい所なので、もう一度復元してください。桜の名所。あと、駐車場の位置がわかりやすいように、東条城跡駐車場をグーグルマップに登録しました。
| 名前 |
東条城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東条城は現在の愛知県西尾市吉良町に築かれました!その築城者は足利義氏とされ、承久3年(1221年)に築かれたという説があります!まず、義氏の三男・吉良義継が入城し、これが前期東条吉良氏の始まりとなりました!そして、南北朝時代には西条吉良氏との間で城の支配を巡る争いが起こります!また、応仁の乱では東条吉良氏が山名宗全に与し、西条吉良氏と激しく対立しました!さらに、戦国時代には織田氏・松平氏・今川氏などの勢力が台頭し、吉良氏は次第に衰退していきます!加えて、永禄4年(1561年)と永禄6年(1563年)には、徳川家康による攻撃を受け、城主・吉良義昭は退城しました!そのうえ、以後は東条松平氏の居城となり、松平家忠が城主となります!そして、天正9年(1581年)に家忠が跡継ぎなく病没し、家康の四男・松平忠吉が養子となりました!しかし忠吉は東条城には入城せず、翌年には沼津城主となったため、東条城は廃城となります!