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よしだ たくろう
吉田拓郎
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ、広島県広島市育ち。



2012年8月13日の「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」で、坂崎から「拓郎さん、日本ではどんな音楽が好きなんですか?」という話題が出た中で、「みんな以外なところでね、俺、山下達郎とか好きなんだよ、あいつのボーカルが好きなんだよ、達郎の声とか(彼の)奥さんの竹内まりやの声は、かなり俺(胸に)クるんだな あそこの夫婦のファンだね これ、このラジオで本邦初公開だけど」と告白した。
この発言がきっかけとなり、同年10月1日の同番組で、お互いソロアーティストとしての立場で初共演を果たした。
この放送で山下は"私的吉田拓郎史"を言わせてもらえば2時間は喋れると話し、18歳の時、東長崎のレコード店でアルバイトをしていた時、ちょうど拓郎のアルバム『元気です 』(1972年)が出た頃で、その『元気です 』とカーペンターズの「ア・ソング・フォー・ユー」の2枚が飛ぶように売れて10枚問屋に注文しても1枚しか来なかったという思い出や、前述の「風の街」のレコーディングで拓郎に歌唱指導された話、その時のしこりで1975年のつま恋にもコーラスとして参加を要請されたが「絶対イヤ」と断った話などをした。
拓郎の方はそんな話はまったく知らず、山下を認識したのは1980年代になってから、毎年行くハワイで「LOVELAND, ISLAND」(1982年)を聴いて、こんなウェストコースト風サウンドを歌いこなせる日本人ボーカリストがいるのか、と感激したのが最初と話した。
ちなみに、この日の出会いがきっかけとなり、番組後には互いのメルアド交換をし、夫妻ともどもメールするほどの仲になっている。
2016/5/17(火)
2012年8月13日の「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」で、坂崎から「拓郎さん、日本ではどんな音楽が好きなんですか?」という話題が出た中で、「みんな以外なところでね、俺、山下達郎とか好きなんだよ、あいつのボーカルが好きなんだよ、達郎の声とか(彼の)奥さんの竹内まりやの声は、かなり俺(胸に)クるんだな あそこの夫婦のファンだね これ、このラジオで本邦初公開だけど」と告白した。
この発言がきっかけとなり、同年10月1日の同番組で、お互いソロアーティストとしての立場で初共演を果たした。この放送で山下は私的吉田拓郎史を言わせてもらえば2時間は喋れると話し、18歳の時、東長崎のレコード店でアルバイトをしていた時、ちょうど拓郎のアルバム『元気です 』(1972年)が出た頃で、その『元気です 』とカーペンターズの「ア・ソング・フォー・ユー」の2枚が飛ぶように売れて10枚問屋に注文しても1枚しか来なかったという思い出や、前述の「風の街」のレコーディングで拓郎に歌唱指導された話、その時のしこりで1975年のつま恋にもコーラスとして参加を要請されたが「絶対イヤ」と断った話などをした。
 拓郎の方はそんな話はまったく知らず、山下を認識したのは1980年代になってから、毎年行くハワイで「LOVELAND, ISLAND」(1982年)を聴いて、こんなウェストコースト風サウンドを歌いこなせる日本人ボーカリストがいるのか、と感激したのが最初と話した。ちなみに、この日の出会いがきっかけとなり、番組後には互いのメルアド交換をし、夫妻ともどもメールするほどの仲になっている。
2012年8月13日の「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」で、坂崎から「拓郎さん、日本ではどんな音楽が好きなんですか?」という話題が出た中で、「みんな以外なところでね、俺、山下達郎とか好きなんだよ、あいつのボーカルが好きなんだよ、達郎の声とか(彼の)奥さんの竹内まりやの声は、かなり俺(胸に)クるんだな あそこの夫婦のファンだね これ、このラジオで本邦初公開だけど」と告白した。
この発言がきっかけとなり、同年10月1日の同番組で、お互いソロアーティストとしての立場で初共演を果たした。この放送で山下は私的吉田拓郎史を言わせてもらえば2時間は喋れると話し、18歳の時、東長崎のレコード店でアルバイトをしていた時、ちょうど拓郎のアルバム『元気です 』(1972年)が出た頃で、その『元気です 』とカーペンターズの「ア・ソング・フォー・ユー」の2枚が飛ぶように売れて10枚問屋に注文しても1枚しか来なかったという思い出や、前述の「風の街」のレコーディングで拓郎に歌唱指導された話、その時のしこりで1975年のつま恋にもコーラスとして参加を要請されたが「絶対イヤ」と断った話などをした。
 拓郎の方はそんな話はまったく知らず、山下を認識したのは1980年代になってから、毎年行くハワイで「LOVELAND, ISLAND」(1982年)を聴いて、こんなウェストコースト風サウンドを歌いこなせる日本人ボーカリストがいるのか、と感激したのが最初と話した。ちなみに、この日の出会いがきっかけとなり、番組後には互いのメルアド交換をし、夫妻ともどもメールするほどの仲になっている。
2012年8月13日の「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」で、坂崎から「拓郎さん、日本ではどんな音楽が好きなんですか?」という話題が出た中で、「みんな以外なところでね、俺、山下達郎とか好きなんだよ、あいつのボーカルが好きなんだよ、達郎の声とか(彼の)奥さんの竹内まりやの声は、かなり俺(胸に)クるんだな あそこの夫婦のファンだね これ、このラジオで本邦初公開だけど」と告白した。
この発言がきっかけとなり、同年10月1日の同番組で、お互いソロアーティストとしての立場で初共演を果たした。この放送で山下は私的吉田拓郎史を言わせてもらえば2時間は喋れると話し、18歳の時、東長崎のレコード店でアルバイトをしていた時、ちょうど拓郎のアルバム『元気です 』(1972年)が出た頃で、その『元気です 』とカーペンターズの「ア・ソング・フォー・ユー」の2枚が飛ぶように売れて10枚問屋に注文しても1枚しか来なかったという思い出や、前述の「風の街」のレコーディングで拓郎に歌唱指導された話、その時のしこりで1975年のつま恋にもコーラスとして参加を要請されたが「絶対イヤ」と断った話などをした。
 拓郎の方はそんな話はまったく知らず、山下を認識したのは1980年代になってから、毎年行くハワイで「LOVELAND, ISLAND」(1982年)を聴いて、こんなウェストコースト風サウンドを歌いこなせる日本人ボーカリストがいるのか、と感激したのが最初と話した。ちなみに、この日の出会いがきっかけとなり、番組後には互いのメルアド交換をし、夫妻ともどもメールするほどの仲になっている。
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