蛭子能収
と 青林工藝舎
えびす よしかず 蛭子能収 |
蛭子 能収(えびす よしかず、1947年10月21日 - )は、日本の漫画家、タレント、エッセイスト。ファザーズコーポレーション所属。 |
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1981年には初単行本『地獄に堕ちた教師ども』を青林堂より上梓、これを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。
1980年代後半からは柄本明との出会いを契機として芸能界でのタレント・俳優活動に比重を移し、劇団東京乾電池の公演に出演して以降『笑っていいとも!』(フジテレビ)へのレギュラー出演やテレビドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りに数多くのテレビ番組に出演している。
また芸能活動と並行して狂気と毒をはらんだ前衛的な漫画作品を精力的に発表し続け、日本漫画に新たな表現の地平を切り開く 現在は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』にて特殊漫画家の根本敬と共に「隔月蛭子劇画プロダクション社内報」を連載中。
1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。
2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。
メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。
担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。
2016年には長編映画初主演となる任侠映画『任侠野郎』が公開 同年10月には青林工藝舎より『地獄に堕ちた教師ども』が35年ぶりに復刊された。
この様な作風のためメジャー誌での連載経験は皆無に等しく、主な執筆活動の場は、青林堂の『月刊漫画ガロ』や青林工藝舎の『アックス』など、極めて自由な創作が行えるマイナー志向の超カルト的サブカルチャー雑誌を中心に活動しており、アウトサイダー・アートに対応した“特殊漫画家”と呼ぶべき存在でもある。
単行本は絶版や品切のため入手困難な状態が長年続いていたが、2016年に青林工藝舎から処女作品集『地獄に堕ちた教師ども』(1981年・青林堂)が35年ぶりに復刊された。
青林工藝舎社長で『アックス』編集長の手塚能理子も「蛭子さんって作品と本人にものすごいギャップがあるというか まあ、本当は最終的には無いんだけど、作品と作家本人の印象が全然違うじゃないですか まだお目にかかる以前は、青白い顔した怖い人なのかと思っていたんですけど、会うと全然漫画とイメージが違う人で、『誰、この人?』みたいな感じでした」と語っている。
『ガロ』の後輩漫画家である鬼畜系漫画家の山野一(ねこぢるy)は高校時代に自販機本『Jam』で初めて蛭子の漫画を読み、蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」に大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。
巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している。
また山野は蛭子について「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった。
これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている。
『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
サラリーマンを辞めて漫画家になろうとした1981年頃、『ガロ』の名物編集長で知られる長井勝一と水道橋の路上を歩いていると、長井は蛭子に「青林堂はなかなか経営が良くならないけど、僕は蛭子さんで儲けさせてもらおうと思ってるんだよ」と真剣な顔で述べたことがあるという その時、蛭子は「果たして冗談で言ってるのだろうか、そもそも私の漫画ってそんなに売れるのだろうか?」と思い「社長、それは無理ですよ」と照れながらも真剣に言葉を返してしまったという 長井はそれから15年後の1996年に他界したが、蛭子は『ガロ』に寄稿した追悼文の中で「私は漫画では売れなかったけどテレビに出て自分のキャラクターで十分すぎる程食えるようになってしまった。
実は長井さんは私に言ったのは別に漫画に限って言ってるわけではなかったのではないかと思っているのですよ」と回想している。
元青林堂編集者の山ノ井靖の結婚式が福島県郡山市で催された際、40歳にして他人の結婚式に初めて呼ばれる。
しかし、蛭子は正装でなく普段着で結婚式に訪れた。
その時の言い訳は「でもシャツは洗ってますし、髭も剃ってますよ」だった。
数十年来の付き合いがある青林工藝舎の担当編集者高市真紀(山田花子の実妹)は蛭子と初めて顔を合わせた際、初対面の蛭子が発した第一声が「アンタ猿に似てるねぇ」だったと回想している。
伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾と『HEAVEN』3代目編集長であり、前衛的なロックバンド「ガセネタ」「TACO」のボーカリストで知られるロックミュージシャンの山崎春美を蛭子は「人生の恩人」と慕っており、特に高杉弾について「私は今、十分に稼いでいますが、あの時私を拾ってくれたご恩は一生わすれません なにしろ私の漫画に初めてお金を払ってくれた人ですから それから漫画の注文がたくさん来るようになったのも、テレビの仕事が来るようになったのも、全て高杉さんのおかげです この世で一番感謝してます」とまで語っているが、そもそも高杉弾はテレビを観ないため「タレントになっているという話は聞いたことあるけど、観たことは一度もない」とインタビューで語っている。
また高杉弾は蛭子から借金を断られた過去があるため、「蛭子能収はじつは血も涙もない人非人だと思う 僕のことを恩人だなどと言いながら、かつて『ガロ』の手塚能理子さんと二人でウチに晩メシを食べに来たことさえすっかり忘れている。
信用を回復したいと思ったら、今すぐ僕に10万円貸して下さい」「あの人、なんかバカの一つ覚えみたいに、『自分がこんなふうになれたのは、高杉さんのおかげです』とか言ってんだけど、本当にそう思うんだったら、金貸してくれって(笑)、俺は言いたいんだけどね 100万ぐらい貸してくれてもいいのになあ あの人もケチだからね 頭もおかしいしね」とシニカルな態度で批判的に語っている。
また山崎春美も雑誌に寄稿した人命事典の中で「エピソードは数限りない それもだいたいが『一人の人間として如何なものか』と考えさせられるものが多い 根本敬を紹介するのに『オレのことを面白可笑しく言って、それで食ってるヒト』ってのも大概、問題だけど、『アックス』編集の高市真紀さん捕まえて『妹だか姉だかが自殺して、それで食ってるヒト』ってねぇ… 山田花子を知らないヒトでなし 『こないだ競艇場に行ったら何年ぶりかに兄貴に会って、ほしたら兄貴の財布が見えて(と、いかにも可笑しげな表情に変わる)それが千円札何枚しかないんですよ…』 年収が億を超えるヒトの発言だろうか。
やっぱりあのままダスキンで主任かなんか正社員になって、年金の心配でもしておいてもらった方が社会のためだった?」と批判めいた紹介を行っている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した。
その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
マン - 1970年に発表された同人誌。
『地獄に堕ちた教師ども』オリジナル版のほか、商業誌未発表作品『帰り道はきつかった』『恐るべき美声年』掲載。
その他に冨永佳宏、勇村良興が寄稿。
数冊だけ現存が確認されている。
ヒルコ選集 - タコシェがヒルコプロの名義で1999年5月1日に限定500部で発行した同人誌。
『地獄に堕ちた教師ども』JAM版&オリジナル版ほか、単行本未収録のエロ劇画作品『虫』『男と女』『ダーティー・ガール』を再録。
編集はタコシェの大西祥平と中山亜弓が担当。
協力:青林堂、青林工藝舎、蛭子能収、津川聡子、菅野邦明(ソフトマジック)。
1980年代後半からは柄本明との出会いを契機として芸能界でのタレント・俳優活動に比重を移し、劇団東京乾電池の公演に出演して以降『笑っていいとも!』(フジテレビ)へのレギュラー出演やテレビドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りに数多くのテレビ番組に出演している。
また芸能活動と並行して狂気と毒をはらんだ前衛的な漫画作品を精力的に発表し続け、日本漫画に新たな表現の地平を切り開く 現在は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』にて特殊漫画家の根本敬と共に「隔月蛭子劇画プロダクション社内報」を連載中。
1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。
2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。
メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。
担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。
2016年には長編映画初主演となる任侠映画『任侠野郎』が公開 同年10月には青林工藝舎より『地獄に堕ちた教師ども』が35年ぶりに復刊された。
この様な作風のためメジャー誌での連載経験は皆無に等しく、主な執筆活動の場は、青林堂の『月刊漫画ガロ』や青林工藝舎の『アックス』など、極めて自由な創作が行えるマイナー志向の超カルト的サブカルチャー雑誌を中心に活動しており、アウトサイダー・アートに対応した“特殊漫画家”と呼ぶべき存在でもある。
単行本は絶版や品切のため入手困難な状態が長年続いていたが、2016年に青林工藝舎から処女作品集『地獄に堕ちた教師ども』(1981年・青林堂)が35年ぶりに復刊された。
青林工藝舎社長で『アックス』編集長の手塚能理子も「蛭子さんって作品と本人にものすごいギャップがあるというか まあ、本当は最終的には無いんだけど、作品と作家本人の印象が全然違うじゃないですか まだお目にかかる以前は、青白い顔した怖い人なのかと思っていたんですけど、会うと全然漫画とイメージが違う人で、『誰、この人?』みたいな感じでした」と語っている。
『ガロ』の後輩漫画家である鬼畜系漫画家の山野一(ねこぢるy)は高校時代に自販機本『Jam』で初めて蛭子の漫画を読み、蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」に大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。
巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している。
また山野は蛭子について「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった。
これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている。
『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
サラリーマンを辞めて漫画家になろうとした1981年頃、『ガロ』の名物編集長で知られる長井勝一と水道橋の路上を歩いていると、長井は蛭子に「青林堂はなかなか経営が良くならないけど、僕は蛭子さんで儲けさせてもらおうと思ってるんだよ」と真剣な顔で述べたことがあるという その時、蛭子は「果たして冗談で言ってるのだろうか、そもそも私の漫画ってそんなに売れるのだろうか?」と思い「社長、それは無理ですよ」と照れながらも真剣に言葉を返してしまったという 長井はそれから15年後の1996年に他界したが、蛭子は『ガロ』に寄稿した追悼文の中で「私は漫画では売れなかったけどテレビに出て自分のキャラクターで十分すぎる程食えるようになってしまった。
実は長井さんは私に言ったのは別に漫画に限って言ってるわけではなかったのではないかと思っているのですよ」と回想している。
元青林堂編集者の山ノ井靖の結婚式が福島県郡山市で催された際、40歳にして他人の結婚式に初めて呼ばれる。
しかし、蛭子は正装でなく普段着で結婚式に訪れた。
その時の言い訳は「でもシャツは洗ってますし、髭も剃ってますよ」だった。
数十年来の付き合いがある青林工藝舎の担当編集者高市真紀(山田花子の実妹)は蛭子と初めて顔を合わせた際、初対面の蛭子が発した第一声が「アンタ猿に似てるねぇ」だったと回想している。
伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾と『HEAVEN』3代目編集長であり、前衛的なロックバンド「ガセネタ」「TACO」のボーカリストで知られるロックミュージシャンの山崎春美を蛭子は「人生の恩人」と慕っており、特に高杉弾について「私は今、十分に稼いでいますが、あの時私を拾ってくれたご恩は一生わすれません なにしろ私の漫画に初めてお金を払ってくれた人ですから それから漫画の注文がたくさん来るようになったのも、テレビの仕事が来るようになったのも、全て高杉さんのおかげです この世で一番感謝してます」とまで語っているが、そもそも高杉弾はテレビを観ないため「タレントになっているという話は聞いたことあるけど、観たことは一度もない」とインタビューで語っている。
また高杉弾は蛭子から借金を断られた過去があるため、「蛭子能収はじつは血も涙もない人非人だと思う 僕のことを恩人だなどと言いながら、かつて『ガロ』の手塚能理子さんと二人でウチに晩メシを食べに来たことさえすっかり忘れている。
信用を回復したいと思ったら、今すぐ僕に10万円貸して下さい」「あの人、なんかバカの一つ覚えみたいに、『自分がこんなふうになれたのは、高杉さんのおかげです』とか言ってんだけど、本当にそう思うんだったら、金貸してくれって(笑)、俺は言いたいんだけどね 100万ぐらい貸してくれてもいいのになあ あの人もケチだからね 頭もおかしいしね」とシニカルな態度で批判的に語っている。
また山崎春美も雑誌に寄稿した人命事典の中で「エピソードは数限りない それもだいたいが『一人の人間として如何なものか』と考えさせられるものが多い 根本敬を紹介するのに『オレのことを面白可笑しく言って、それで食ってるヒト』ってのも大概、問題だけど、『アックス』編集の高市真紀さん捕まえて『妹だか姉だかが自殺して、それで食ってるヒト』ってねぇ… 山田花子を知らないヒトでなし 『こないだ競艇場に行ったら何年ぶりかに兄貴に会って、ほしたら兄貴の財布が見えて(と、いかにも可笑しげな表情に変わる)それが千円札何枚しかないんですよ…』 年収が億を超えるヒトの発言だろうか。
やっぱりあのままダスキンで主任かなんか正社員になって、年金の心配でもしておいてもらった方が社会のためだった?」と批判めいた紹介を行っている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した。
その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
マン - 1970年に発表された同人誌。
『地獄に堕ちた教師ども』オリジナル版のほか、商業誌未発表作品『帰り道はきつかった』『恐るべき美声年』掲載。
その他に冨永佳宏、勇村良興が寄稿。
数冊だけ現存が確認されている。
ヒルコ選集 - タコシェがヒルコプロの名義で1999年5月1日に限定500部で発行した同人誌。
『地獄に堕ちた教師ども』JAM版&オリジナル版ほか、単行本未収録のエロ劇画作品『虫』『男と女』『ダーティー・ガール』を再録。
編集はタコシェの大西祥平と中山亜弓が担当。
協力:青林堂、青林工藝舎、蛭子能収、津川聡子、菅野邦明(ソフトマジック)。
2018/8/8(水)



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