志村けん
と ドリフ大爆笑
しむらけん 志村けん |
志村 けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉3月29日)は、日本のコメディアン、お笑いタレント、司会者。東村山市名誉市民。 ザ・ドリフターズのメンバーとして活躍する傍ら、亡くなるまで自らが持つ番組でコントを披露し続けた。生前時は渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに移籍し、同じくザ・ドリフターズのメンバーで、2004年(平成16年)に死去したいかりや長介と同様に没後も籍を残している。 1973年までの旧芸名の表記は「志村 健」。ドリフでの初期には「志村 ケン」名義での表記もあった。本名は志村 康徳(しむら やすのり)で、構成作家としては本名名義でクレジットされた。 |
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一時期(1985年から1998年頃)は確執もあった。
当時の『全員集合』でもいかりやと絡むコントは減り「“俺のほうがもっとウケますよ”と志村さんが意見することが増えていった」「“それほど言うなら志村、お前がやってみろ”と『全員集合』が終わるまでの数か月は、志村さんがすべてのコントを作ることになったんです でもそれからです、2人がギクシャクし始めたのはね……」(週刊女性2020年5月5日号)、『ドリフ大爆笑』ではリハーサルや撮影が別々に行われた1998年には『ドリフ大爆笑』の収録で「“いかりやさんとは一緒にやれない”“番組を降りる”とまで言い出して収録をボイコットすることもあった。
慌てたスタッフが折衷案を出して、いかりやさん、仲本さん、高木さんの3人と、志村さんと加藤さんの2人でコントをするという具合に、メンバーを完全に分けて撮るように」(週刊女性2020年5月5日号) いかりやとの確執が噂された時期の志村は「だいじょうぶだぁ」と「ごきげんテレビ」の収録の合間に「大爆笑」の収録をしていた。
また、「だいじょうぶだぁ」と「大爆笑」のスタッフがほぼ同一であったため「だいじょうぶだぁ」収録時に「大爆笑」のコントも収録していた。
この時期は志村以外のメンバーも個々がそれぞれのスケジュールの合間で収録をして、それをひとつの番組として放送している。
志村以外のメンバーも「全員集合」終了後は個々に活動する合間で「大爆笑」の収録をしていたので、「大爆笑」が唯一ドリフとして活動する期会になっていた。
上記の2番組の放送終了後は「大爆笑」で「全員集合」時代の公開コントや「大爆笑」放送初期のコントを再現することもあり、いかりやと志村の共演が復活している。
「全員集合」終了後は一緒に番組をしていた加藤、志村と他の3人に分かれるケースが多く、この時期から「雷様」や「バカ兄弟」といったカトケン以外のメンバーがメインのコントが増え始めた。
年齢が比較的近く、またドリフ加入の経緯から加藤茶とは特に親密であり、『全員集合』『ドリフ大爆笑』では息の合ったコントを披露し、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』など共演番組や2人をメインにした特別番組が製作されることが多かった。
両者はいつしか加トちゃんケンちゃんと呼ばれるようになった。
志村自身、加藤とは性格や趣味に至るまで自分と似ており、意気投合しやすい為、付き人になって間もない頃からすぐに仲が良くなったと振り返っている。
この事は加藤自身も付き人になってひと月もしないうちに付き人より友達の状態になっていたと振り返っており、師弟関係おかまいなしにプライベートではタメ口になってよく志村に頭をはたかれて、その性格からいつか売れるじゃないかと感じたと語っている。
ドリフ新メンバーの加入経緯も加藤自身、舞台でコントをする際、仲の良い志村が加入した方が加藤個人としてもドリフの活動にストレスの負担が軽減されるからいかりやに推薦したと語っている。
加藤と共にラスベガスで豪遊するなどプライベートでも親交があった。
加藤の妻と3人で遊びに行った際は、志村と加藤の会話が二人にしか通じない話し方で会話をしてて余程仲が良かったんじゃないかとも妻の綾菜は振り返っている。
『全員集合』の終了と『ドリフ大爆笑』の不定期化後、加藤以外のドリフメンバーとは距離を置き、1990年代までは志村が同一の番組で共演したことのあるドリフメンバーはほとんど加藤のみだったが、2000年代からは高木ブーがバカ殿にゲスト出演する事が増え、志村は『ダウンタウンDX』に頻繁に出演していたが、ドリフメンバーで志村と一緒に出演したのは加藤と高木だけである。
志村の主演する2005年のアリコジャパンのCMで高木は特別出演をする。
2016年には志村の発案で「となりのシムラ」にゲスト出演するなど、高木との共演数も増えている。
高木ブ―は志村けんの死後、追悼番組にて志村がドリフに加入した時、演奏で自分がミスをしても、いかりや長介は常に一番年下の志村ばかり怒鳴りつけていた、それを平然と耐えていた志村には感謝していると語っている。
志村がドリフ加入前の「マックボンボン」時代の1972年、PYGから離れてソロ歌手になった沢田のコンサートの前座を務めてそれが出会いという。
『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などの番組内に於いて沢田研二とよく共演していた。
当時、沢田と志村は共に渡辺プロダクションに所属していたこともあり、共演する回数は多かった。
いかりやに対して反抗の意志を示すために、腕と顎を突き出してポーズをとる。
後述する「アイーン」のポーズは、この時のポーズと後に『ドリフ大爆笑』でも加藤と志村が時折披露していた「ニン」のポーズを合成したものである。
加藤、女性ゲスト(松本伊代や中森明菜等)との三人で演じる時代劇コント。
志村演じる病気の父と健気に看病する娘のもとへ、加藤演じる借金取りが現れて返済を迫る。
加藤が「借金のカタに娘をもらってくぜ!」と言って強引に娘を連れ出そうとすると、志村が「加藤の旦那、それだけはご勘弁を!」と加藤を何度も壁に叩きつけたり、プロレス技をかけたりと散々痛めつけ、倒れた加藤が「おい、借金はいいからよ、医者呼んでくれ…」と音を上げてオチがつく。
『ドリフ大爆笑』ではこのパターンをテレビ画面に映し、その傍で女性が着替えや入浴で服を脱ぐごとに、志村と加藤がコントそっちのけで目移りしてしまうなどのメタ的な変化を加えた派生型のコントも存在する。
テレビ特番では、加藤に代わって柄本明や梅沢富美男が借金取り役を演じることが多かった。
1982年にハウス食品から発売されたインスタントラーメン「楊夫人」(マダム・ヤン 現在絶版)のCMソングがモチーフ 若い女性アイドル歌手に「○○ちゃーん(アイドルの名前)、マダムヤン、マダム・ヤーン♪」と歌いながら奇妙な手つきでからむ 「ドリフ大爆笑」でも多用していた。
岡江久美子 - 『ドリフ大爆笑』でのゲスト共演者。
志村の没後、新型コロナウイルス感染により急逝。
当時の『全員集合』でもいかりやと絡むコントは減り「“俺のほうがもっとウケますよ”と志村さんが意見することが増えていった」「“それほど言うなら志村、お前がやってみろ”と『全員集合』が終わるまでの数か月は、志村さんがすべてのコントを作ることになったんです でもそれからです、2人がギクシャクし始めたのはね……」(週刊女性2020年5月5日号)、『ドリフ大爆笑』ではリハーサルや撮影が別々に行われた1998年には『ドリフ大爆笑』の収録で「“いかりやさんとは一緒にやれない”“番組を降りる”とまで言い出して収録をボイコットすることもあった。
慌てたスタッフが折衷案を出して、いかりやさん、仲本さん、高木さんの3人と、志村さんと加藤さんの2人でコントをするという具合に、メンバーを完全に分けて撮るように」(週刊女性2020年5月5日号) いかりやとの確執が噂された時期の志村は「だいじょうぶだぁ」と「ごきげんテレビ」の収録の合間に「大爆笑」の収録をしていた。
また、「だいじょうぶだぁ」と「大爆笑」のスタッフがほぼ同一であったため「だいじょうぶだぁ」収録時に「大爆笑」のコントも収録していた。
この時期は志村以外のメンバーも個々がそれぞれのスケジュールの合間で収録をして、それをひとつの番組として放送している。
志村以外のメンバーも「全員集合」終了後は個々に活動する合間で「大爆笑」の収録をしていたので、「大爆笑」が唯一ドリフとして活動する期会になっていた。
上記の2番組の放送終了後は「大爆笑」で「全員集合」時代の公開コントや「大爆笑」放送初期のコントを再現することもあり、いかりやと志村の共演が復活している。
「全員集合」終了後は一緒に番組をしていた加藤、志村と他の3人に分かれるケースが多く、この時期から「雷様」や「バカ兄弟」といったカトケン以外のメンバーがメインのコントが増え始めた。
年齢が比較的近く、またドリフ加入の経緯から加藤茶とは特に親密であり、『全員集合』『ドリフ大爆笑』では息の合ったコントを披露し、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』など共演番組や2人をメインにした特別番組が製作されることが多かった。
両者はいつしか加トちゃんケンちゃんと呼ばれるようになった。
志村自身、加藤とは性格や趣味に至るまで自分と似ており、意気投合しやすい為、付き人になって間もない頃からすぐに仲が良くなったと振り返っている。
この事は加藤自身も付き人になってひと月もしないうちに付き人より友達の状態になっていたと振り返っており、師弟関係おかまいなしにプライベートではタメ口になってよく志村に頭をはたかれて、その性格からいつか売れるじゃないかと感じたと語っている。
ドリフ新メンバーの加入経緯も加藤自身、舞台でコントをする際、仲の良い志村が加入した方が加藤個人としてもドリフの活動にストレスの負担が軽減されるからいかりやに推薦したと語っている。
加藤と共にラスベガスで豪遊するなどプライベートでも親交があった。
加藤の妻と3人で遊びに行った際は、志村と加藤の会話が二人にしか通じない話し方で会話をしてて余程仲が良かったんじゃないかとも妻の綾菜は振り返っている。
『全員集合』の終了と『ドリフ大爆笑』の不定期化後、加藤以外のドリフメンバーとは距離を置き、1990年代までは志村が同一の番組で共演したことのあるドリフメンバーはほとんど加藤のみだったが、2000年代からは高木ブーがバカ殿にゲスト出演する事が増え、志村は『ダウンタウンDX』に頻繁に出演していたが、ドリフメンバーで志村と一緒に出演したのは加藤と高木だけである。
志村の主演する2005年のアリコジャパンのCMで高木は特別出演をする。
2016年には志村の発案で「となりのシムラ」にゲスト出演するなど、高木との共演数も増えている。
高木ブ―は志村けんの死後、追悼番組にて志村がドリフに加入した時、演奏で自分がミスをしても、いかりや長介は常に一番年下の志村ばかり怒鳴りつけていた、それを平然と耐えていた志村には感謝していると語っている。
志村がドリフ加入前の「マックボンボン」時代の1972年、PYGから離れてソロ歌手になった沢田のコンサートの前座を務めてそれが出会いという。
『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などの番組内に於いて沢田研二とよく共演していた。
当時、沢田と志村は共に渡辺プロダクションに所属していたこともあり、共演する回数は多かった。
いかりやに対して反抗の意志を示すために、腕と顎を突き出してポーズをとる。
後述する「アイーン」のポーズは、この時のポーズと後に『ドリフ大爆笑』でも加藤と志村が時折披露していた「ニン」のポーズを合成したものである。
加藤、女性ゲスト(松本伊代や中森明菜等)との三人で演じる時代劇コント。
志村演じる病気の父と健気に看病する娘のもとへ、加藤演じる借金取りが現れて返済を迫る。
加藤が「借金のカタに娘をもらってくぜ!」と言って強引に娘を連れ出そうとすると、志村が「加藤の旦那、それだけはご勘弁を!」と加藤を何度も壁に叩きつけたり、プロレス技をかけたりと散々痛めつけ、倒れた加藤が「おい、借金はいいからよ、医者呼んでくれ…」と音を上げてオチがつく。
『ドリフ大爆笑』ではこのパターンをテレビ画面に映し、その傍で女性が着替えや入浴で服を脱ぐごとに、志村と加藤がコントそっちのけで目移りしてしまうなどのメタ的な変化を加えた派生型のコントも存在する。
テレビ特番では、加藤に代わって柄本明や梅沢富美男が借金取り役を演じることが多かった。
1982年にハウス食品から発売されたインスタントラーメン「楊夫人」(マダム・ヤン 現在絶版)のCMソングがモチーフ 若い女性アイドル歌手に「○○ちゃーん(アイドルの名前)、マダムヤン、マダム・ヤーン♪」と歌いながら奇妙な手つきでからむ 「ドリフ大爆笑」でも多用していた。
岡江久美子 - 『ドリフ大爆笑』でのゲスト共演者。
志村の没後、新型コロナウイルス感染により急逝。
2023/4/21(金)



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