田中将大
と 防御率
たなか まさひろ 田中将大 |
田中 将大(たなか まさひろ、1988年11月1日 - )は、兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。タレント、YouTuberとしても活動している。 |
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高校時代の公式戦通算成績は57試合の登板で35勝3敗、計329回2/3を投げ、防御率1.31、奪三振数は横浜高等学校の松坂大輔を上回る458奪三振を記録。
打者としても高校通算13本塁打を記録。
周囲からは「怪物」「世代最強エース」などと評された。
シーズンではホーム開幕戦となる、対ソフトバンク戦に先発して完封でシーズン初勝利を挙げた。
また、4月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投、4月22日のロッテ戦で完封、4月29日の対日本ハム戦で野村克也の監督通算1500勝目となる1失点完投と、1993年の小宮山悟、長谷川滋利以来となる開幕から4試合連続完投勝利を記録し、自身初の月間MVPに選出された。
5月13日の対日本ハム戦で完投は途切れたが、6月3日の対阪神タイガース戦で敗れるまで開幕7連勝を記録。
6月11日の中日戦で8勝目を挙げた後は、7月20日の対ソフトバンク戦で抑えとして登板して自己最速を更新する155km/hを計測し、防御率1点台を維持しつつもオールスターゲーム後まで勝ち星からは遠ざかっていた。
8月7日の日本ハム戦で約2か月ぶりの勝利となる9勝目を挙げて以降は安定した結果を残し、8月27日の西武戦で自己最多となる12勝目を記録。
8月には4試合に登板して4勝0敗、防御率1.44、30奪三振で自身2度目となる月間MVPに選出される。
援護率がパ・リーグでワースト2位の3.54だったにもかかわらず、最終的にリーグ2位タイ、チームトップとなる15勝、リーグ3位となる防御率2.33を記録。
10月17日のクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦の対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げ、チームの第2ステージ進出に貢献した。
12月25日の契約更改では1億500万円増、プロ入り4年目の選手としてはダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる推定年俸1億8000万円で契約。
2010年はシーズン開幕から低調なチームの中でも奮闘した。
5月には自身3度目となる月間MVPを受賞し、6月までにチームトップの8勝を挙げた。
しかし7月に太腿の肉離れで戦線離脱。
8月に復帰するも、8月29日の対西武戦で投球中に違和感を訴えて降板すると右大胸筋部分断裂と診断され、以降の試合は欠場している。
最終成績の11勝、防御率2.50はチームトップだったが、奪三振や投球回はプロ入り後最低となった。
11月15日にはタレントの里田まいとの交際を自身のブログで公表した。
2011年1月12日にホリプロよりマネジメント契約を結んだことが明らかにされた。
公式戦シーズンは、6月と7月には2か月連続で月間MVPを受賞、8月7日の対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から16試合連続でクオリティ・スタートを達成し、8月27日の対ソフトバンク戦では野田浩司に次ぐ歴代2位(当時)の1試合18奪三振を記録。
9月10日の対日ハム戦では、2006年夏の甲子園の決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がりを見せ、結果は田中が1失点完投で勝利した。
この試合は「ジョージア魂」賞の年間大賞に選ばれている。
シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、中々打線の援護に恵まれなかったが後半に勝ち星を伸ばし、最終的に19勝5敗。
前述の6、7月の他に10月も月間MVPを受賞し、リーグ史上初となる年間3度の月間MVP受賞を果たした。
投球回は初の200イニング超えの226回1/3イニング、年々減っていた奪三振は241とイニング数を超える数を記録。
防御率はパ・リーグ史上2位となる1.27で、2リーグ制以降では歴代5位の記録である。
この年は最多勝利(D.J.ホールトンと同数)、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。
他に両リーグトップの完投(14試合、ただし、2試合10イニングを投げた試合があるがいずれも決着が付かなかったため完投ならず)、無四球試合(5試合)も記録。
四球の数も減り、過去最多のイニングを投げながら四球は僅か27と過去最少で、パ・リーグの規定投球回に到達した投手の中では3番目に少なく与四球率1.07、K/BBは最多奪三振を記録したダルビッシュの7.67を上回る8.93を記録し、沢村栄治賞を初受賞、他にもベストナインにも選出され、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞も獲得した。
2012年1月26日に里田まいとの婚約を発表。
シーズン開幕を控えた3月20日に里田との婚姻届を提出した。
3月30日の開幕戦では自身初の開幕投手を務めたが、6回5失点で敗戦投手となった。
4月22日に腰痛で2年ぶりに戦線離脱した。
復帰後の5月30日の対巨人戦は先発の杉内俊哉と互いに8回まで投げ2桁奪三振を記録する勝負だったが、チームはノーヒットノーランで敗れ敗戦投手に。
7月6日の西武戦では先発登板が予定されていたが、投球練習中に右脇腹に違和感を訴えて先発登板を回避し、代役として中7日で塩見貴洋が登板することになった。
8月19日の対西武戦(西武ドーム)では通算1000奪三振を記録するものの6失点で敗戦投手となるが、8月26日の対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利を挙げ、これより翌シーズンにかけての連勝記録をスタートさせることになる。
シーズン終盤に4連勝し、最終戦で10勝目を挙げ、4年連続の2桁勝利となった。
防御率は2年連続の1点台となる1.87、リーグ最多奪三振を記録。
また完投、完封もリーグトップを記録。
規定投球回達成者では最少となる19四球、BB/9は0.99と1を割り込んだ。
2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された。
同大会では先発として起用されていたが、中継ぎに配置転換され、4試合に登板。
7イニングで防御率2.57の成績だった。
この年は、最多勝、最優秀防御率、勝率第1位投手を獲得。
前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24としてそれぞれ日本プロ野球新記録を達成。
規定投球回数に達し、勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初。
沢村賞は選考委員会でわずか10分満場一致により選出され、ベストナイン投手部門では24年ぶり、自身初のMVPでは投手野手通じて48年ぶりに、記者投票で満票を獲得しての受賞となった。
。
2014年1月22日にニューヨーク・ヤンキースと総額1億5500万ドルの7年契約に合意したことが発表された。
投手としてはMLB史上5位の契約額となり、4年目終了後には契約をオプトアウトしてFAとなれる条項が付く。
合意後の会見ではヤンキースとの契約を選んだ理由について「最大限の評価をしてもらった。
世界でも名門のチームだし、いろいろなものを感じながら、違ったものを感じながらプレーすることができるのではないかなと思っています」と語った。
24日には背番号が19に決定したことが球団から発表された(楽天時代の背番号18はすでに黒田博樹が使用していたため) これにより、田中は楽天から3人目のメジャー移籍選手(1人目は福盛和男、2人目は岩隈久志)となったが、楽天生え抜き選手だけなら田中が最初の選手となった。
渡米時には、本人や家族と関係者計5人と愛犬1匹のため、かつ入団会見やキャンプに「ベストなコンディションで臨むため」に日本航空のボーイング787を自費負担でチャーターしたことが話題となった。
スプリングトレーニングでは3度の先発を含む5試合に登板し、2勝0敗、防御率2.14、WHIP0.86と好投 3月29日にはスプリングトレーニングで活躍した1年目のヤンキースの選手に与えられる「James P. Dawson Award」を受賞した。
開幕4戦目となる4月4日のトロント・ブルージェイズ戦でMLB初登板となる初先発を果たした。
1回裏に先頭打者のメルキー・カブレラに本塁打を打たれたが、7回を6安打3失点(自責点2)8奪三振の投球で、NPB/MLB通算100勝目となるMLB初勝利を挙げた。
5月14日のニューヨーク・メッツ戦では9回を4安打無失点の好投でMLB初完封勝利を挙げ、9回の第三打席ではMLB初安打も記録。
5月20日のシカゴ・カブス戦では6回8安打4失点(自責点3)でMLBでの初敗戦投手となり、2012年8月26日から続いたNPB/MLBレギュラーシーズンでの連勝記録は34で止まった。
6月3日には日本人投手史上3人目となる5月のリーグピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した。
ヤンキースの新人投手では史上初の受賞となった。
6月28日のボストン・レッドソックス戦では9回2失点の投球で敗戦投手となり、プロ入り後では2010年6月以来の連敗を喫するが、1973年のスティーブ・ロジャース以来となるMLB最長タイ記録となるメジャーデビューからの16試合連続クオリティー・スタートを達成。
前半戦は18試合の先発で12勝4敗、防御率2.51、WHIP1.01の成績を残し、オールスターゲームに選手間投票1位で選出されるが、7月9日に右肘の違和感を訴え15日間の故障者リスト入りしオールスターゲームを辞退した。
翌日に右肘靭帯の部分断裂で全治6週間と診断され、PRP療法という保存療法での回復を目指しリハビリを行う。
9月21日のブルージェイズ戦で復帰し、投球数70球で5回1/3を5安打1失点の投球で13勝目を挙げる。
シーズン最終登板となった復帰2戦目のレッドソックス戦ではMLB移籍後最短の1回2/3を7安打5自責点と打ち込まれる。
チームはポストシーズン出場を逃したが、復帰後は右肘に異常なくシーズンを終えた。
この年は離脱の影響もありNPBでは全ての年で満たしていた規定投球回に初めて届かなかった。
2015年4月6日のトロント・ブルージェイズとの開幕戦で日本人4人目となる開幕投手を務めたが、4回5失点(自責点4)で敗戦投手となった。
4月23日の登板後、右肘の不調で1か月以上登板できなかった。
前半戦は11試合に先発して5勝3敗・防御率3.63を記録した。
8月28日のアトランタ・ブレーブス戦で7回5安打3失点に抑えてシーズン10勝目(6敗)を挙げた。
9月6日、夫人の里田まいが第1子妊娠を公表。
この年は24試合に先発し、12勝7敗。
防御率3.51の数字を残し、シーズンオフの10月に右肘の骨片を取り除く手術を受けた。
この年も1か月以上登板できなかった影響で2年連続で規定投球回を逃した。
2016年2月15日に妻の里田まいがニューヨークの病院で第1子となる長男を出産。
母子ともに健康とされる。
田中はフロリダ州タンパでのトレーニングを切り上げてニューヨークに向かい、出産に立ち会っている。
オープン戦では防御率7.36と振るわなかった。
4月5日のヒューストン・アストロズとの開幕戦、日本人2人目となる2年連続の開幕投手を務め、5 2⁄3回2失点と好投したものの勝ち負けはつかなかった。
9月21日のタンパベイ・レイズ戦では自己最多となる14勝目を記録したが、右前腕の張りのため先発が予定されていた同月26日の登板を回避した。
それでも、メジャー3シーズン目にして初めて規定投球回に到達。
チームトップの14勝を挙げたほか、防御率は最終盤まで最優秀防御率獲得のチャンスがあったが最終的に3.07のリーグ3位で1位とは0.07差で終えた。
2017年1月23日に自身のTwitterで第4回WBCの日本代表不参加の意思を表明した。
スプリングトレーニングでは開始早々に当時の監督であるジョー・ジラルディから開幕投手に指名され、シーズンの目標として「34試合登板、230イニング」を宣言した。
オープン戦は3勝1敗、防御率0.42を記録。
開幕戦の4月2日のレイズ戦に先発し、日本人投手初の3年連続開幕投手となったが、3回途中で7失点と炎上した。
14日のカージナルス戦で同年シーズン初勝利を記録。
27日のレッドソックス戦では2014年5月14日のメッツ戦以来となる完封勝利を記録した。
8月27日のマリナーズ戦で同年シーズン10勝目を挙げ、日本人メジャー初のデビューから4年連続2桁勝利を記録した。
9月2日のレッドソックス戦ではMLB通算50勝目を記録。
101試合目での到達は日本人投手史上最速記録。
14日のボルチモア・オリオールズ戦ではNPB/MLB通算150勝を記録した。
シーズン成績は13勝12敗、防御率4.74だったが、ポストシーズンでは2勝1敗、防御率0.90を記録した。
オフの11月3日にオプトアウト権を行使せずヤンキースに残留することを発表。
2018年は3月31日の開幕2戦目にシーズン登板。
6回3安打1失点8奪三振という好投し、ルーキーイヤーから実に4年ぶりとなる白星スタートを飾る。
シーズン中盤、4週間の故障者リスト入りをするものの、最終的に「5年連続12勝」を達成した。
NPB時代から含めると「10年連続2桁勝利」を達成しており、「NPBとMLBに跨っての10年連続2桁勝利」は史上初の快挙である。
この年は3年ぶりに規定投球回未達に終わったが、12勝6敗、防御率3.75、WHIP1.13という成績を記録した。
この年は、故障者リスト入りするまではイマイチだったが、復帰後に調子を上げた。
また、ポストシーズンではボストン・レッドソックスとのALDSで、チーム唯一の勝ち星を挙げた。
2019年3月28日のオリオールズとの開幕戦で日本出身の投手として最多となる4度目の開幕投手を務め、5回2/3を6安打2失点(自責1)無四球5奪三振の好投で、念願の開幕戦初勝利を飾った。
6月17日の対レイズ戦(ヤンキースタジアム)に先発し、9回2安打10奪三振1四球の快投でMLBでは自身4度目・1年ぶりの同年初完封。
二塁を踏ませない快投だった。
これでMLB通算69勝となり、王建民を抜きアジア出身の投手では単独4位となった。
また、ヤンキースで被安打2以下、10奪三振以上の完封劇は、2002年のマイク・ムッシーナ以来17年ぶり。
10奪三振&完封勝利は日本人ではダルビッシュ有、黒田博樹、野茂英雄(5度)に次いで4人目となった。
6月30日にMLB史上初となるヨーロッパでの試合となるロンドン・スタジアム(イギリス・ロンドン)でのレッドソックス戦に登板。
しかし、両先発が1回持たずに降板(田中は2/3回、リック・ポーセロは1/3回)というこれまたMLB史上初となる珍事となった。
試合は17対13でヤンキースが勝利。
MLBオールスターゲームに代替選手として選出され、日本人史上3人目の登板を果たした。
2回から2番手で登板し、1回を1安打無失点に抑えると直後に味方が得点し、MLBオールスターゲーム初出場で日本人史上初の勝利投手となった。
また、ヤンキースの投手がオールスターゲームで勝利投手となったのは71年ぶり5人目である。
7月14日のブルージェイズ戦で、6回2失点で同年6勝目を挙げ、野茂英雄(123勝109敗)、黒田博樹(79勝79敗)に次いで日本人選手3人目となるMLB通算70勝(39敗)を記録した。
8月11日のブルージェイズ戦(ロジャーズ・センター)で、9回途中3安打無失点で同年8勝目を挙げ、NPB/MLB通算171勝目(NPB99勝、MLB72勝)。
現役日本選手の勝利数で松坂大輔、岩隈久志の各170勝を抜き単独トップに立った。
8月27日の対マリナーズ戦(T-モバイル・パーク)で7回を投げ3安打無失点、1四球7奪三振の力投でシーズン10勝目(7敗)を挙げ、日本人投手初となる6年連続2桁勝利を達成した。
NPB時代から含めると11年連続での2桁勝利となった。
9月19日、マジック「1」で迎えたエンゼルス戦で先発登板。
7回4安打1失点と好投し、ヤンキースの7年ぶり19回目のア・リーグ東地区優勝に貢献した。
また、この試合で日本人投手5人目のMLB通算1,000投球回となった。
同29日のテキサス・レンジャーズ戦でMLBでは初のリリーフを経験。
2回から2番手として登板したが、3回5安打2失点で敗戦投手となった。
最終成績は11勝9敗・防御率4.45で、対レッドソックス戦を除く29登板での防御率は3.52だったのに対し、対レッドソックス戦では3先発で防御率24.75を記録した。
ポストシーズン、まずディビジョンシリーズ第2戦の先発で5回1失点に抑えてチームの全勝に貢献した。
続くリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦を6回無失点に抑え、デビュー以来PS7試合連続で2失点に封じたMLB史上初の先発投手となった。
しかし第4戦では5回3失点で敗戦投手になり、その後チームもこのシリーズで敗退した。
オフに右肘のクリーニング手術を受けた。
2020年は開幕2戦目の登板が有力視されていたが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、シーズン開幕が不透明となった。
アメリカでの感染拡大は終息の兆しが見えず、3月下旬にキャンプ地のフロリダから家族と共に日本に一時帰国した。
アメリカではアジア人への差別や暴力なども発生する状況となっており、田中は球団広報を通じて「感染以外でも身の危険を感じさせられる出来事があり、十分に注意をしながら一時帰国する決断をしました」とコメントを出した。
帰国後は日本政府の要請に従い、2週間の自宅待機となった。
その後、7月4日から夏季キャンプが始まるのに合わせ、再度ニューヨークへ渡った。
夏季キャンプ1日目の7月4日、練習中にチームメイトのジャンカルロ・スタントンの打った打球が頭部を直撃。
約5分倒れ込むも、トレーナーに支えられ自力で歩行し病院に搬送された。
その後復帰し、シーズンでは3勝3敗、防御率3.56の成績を記録した。
新型コロナウイルス感染拡大によるレギュラーシーズンの試合数大幅削減により60試合制だったことで日本時代の2009年から続けてきた連続2桁勝利は11年でストップした。
ポストシーズンではワイルドカードラウンド第2戦で先発したが、5回途中6失点で降板。
その後地区シリーズ第3戦にも先発したが、5回途中5失点で敗戦投手となり、チームもこのシリーズで敗退した。
オフの10月28日にFAとなった。
2021年1月28日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表した。
背番号は18。
開幕第2戦(3月27日・対日本ハム・楽天生命パーク)に先発を予定していたが、3月25日に右ヒラメ筋損傷と診断されたため登板を回避した。
4月17日の日本ハム戦(東京ドーム)で日本球界復帰後初登板初先発を果たしたが、初回に中田翔に先制2点本塁打を打たれると2回には石井一成にソロ本塁打を打たれ2回までに3失点を喫する。
3回以降は無失点に抑えたが5回で降板し、5回3失点で敗戦投手となった。
日本でのレギュラーシーズンで敗戦投手となったのは2012年8月19日の西武戦以来3163日ぶりだった。
4月24日の西武戦(楽天生命パーク宮城では6回1失点でNPB復帰後初勝利を挙げると同時に史上139人目のNPB通算100勝を達成した。
177試合の登板での達成は史上2番目の早さで、楽天のみでの100勝は田中が史上初だった。
9月10日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では佐々木朗希と初対決。
田中は8回120球2失点、佐々木は8回99球2失点とお互い勝ち負けは付かなかった。
結局レギュラーシーズンでは規定投球回に到達し、防御率はリーグ5位となる3.01を記録したものの、4勝9敗と負け越した。
2022年、5月3日の日本ハム戦で史上181人目のNPB通算1500投球回を達成。
5月10日、対ロッテ戦で9年ぶりの完封勝利をあげる。
8月30日に登録日数が9年に達したため、自身初めて海外FA権を取得した。
最終戦の10月2日のオリックス戦で5回2失点でパ・リーグ単独最多の12敗目を喫し、9勝で2桁勝利に届かず。
開幕ローテに入り25登板で9勝12敗、防御率3・31と不本意な成績に終わった。
オフの11月9日に取得した海外FA権を行使せずに楽天を再契約を結んだことを発表した。
シーズンによっては防御率もすこぶるよく、防御率1.50以下を2シーズン記録した。
打者としても高校通算13本塁打を記録。
周囲からは「怪物」「世代最強エース」などと評された。
シーズンではホーム開幕戦となる、対ソフトバンク戦に先発して完封でシーズン初勝利を挙げた。
また、4月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投、4月22日のロッテ戦で完封、4月29日の対日本ハム戦で野村克也の監督通算1500勝目となる1失点完投と、1993年の小宮山悟、長谷川滋利以来となる開幕から4試合連続完投勝利を記録し、自身初の月間MVPに選出された。
5月13日の対日本ハム戦で完投は途切れたが、6月3日の対阪神タイガース戦で敗れるまで開幕7連勝を記録。
6月11日の中日戦で8勝目を挙げた後は、7月20日の対ソフトバンク戦で抑えとして登板して自己最速を更新する155km/hを計測し、防御率1点台を維持しつつもオールスターゲーム後まで勝ち星からは遠ざかっていた。
8月7日の日本ハム戦で約2か月ぶりの勝利となる9勝目を挙げて以降は安定した結果を残し、8月27日の西武戦で自己最多となる12勝目を記録。
8月には4試合に登板して4勝0敗、防御率1.44、30奪三振で自身2度目となる月間MVPに選出される。
援護率がパ・リーグでワースト2位の3.54だったにもかかわらず、最終的にリーグ2位タイ、チームトップとなる15勝、リーグ3位となる防御率2.33を記録。
10月17日のクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦の対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げ、チームの第2ステージ進出に貢献した。
12月25日の契約更改では1億500万円増、プロ入り4年目の選手としてはダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる推定年俸1億8000万円で契約。
2010年はシーズン開幕から低調なチームの中でも奮闘した。
5月には自身3度目となる月間MVPを受賞し、6月までにチームトップの8勝を挙げた。
しかし7月に太腿の肉離れで戦線離脱。
8月に復帰するも、8月29日の対西武戦で投球中に違和感を訴えて降板すると右大胸筋部分断裂と診断され、以降の試合は欠場している。
最終成績の11勝、防御率2.50はチームトップだったが、奪三振や投球回はプロ入り後最低となった。
11月15日にはタレントの里田まいとの交際を自身のブログで公表した。
2011年1月12日にホリプロよりマネジメント契約を結んだことが明らかにされた。
公式戦シーズンは、6月と7月には2か月連続で月間MVPを受賞、8月7日の対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から16試合連続でクオリティ・スタートを達成し、8月27日の対ソフトバンク戦では野田浩司に次ぐ歴代2位(当時)の1試合18奪三振を記録。
9月10日の対日ハム戦では、2006年夏の甲子園の決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がりを見せ、結果は田中が1失点完投で勝利した。
この試合は「ジョージア魂」賞の年間大賞に選ばれている。
シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、中々打線の援護に恵まれなかったが後半に勝ち星を伸ばし、最終的に19勝5敗。
前述の6、7月の他に10月も月間MVPを受賞し、リーグ史上初となる年間3度の月間MVP受賞を果たした。
投球回は初の200イニング超えの226回1/3イニング、年々減っていた奪三振は241とイニング数を超える数を記録。
防御率はパ・リーグ史上2位となる1.27で、2リーグ制以降では歴代5位の記録である。
この年は最多勝利(D.J.ホールトンと同数)、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。
他に両リーグトップの完投(14試合、ただし、2試合10イニングを投げた試合があるがいずれも決着が付かなかったため完投ならず)、無四球試合(5試合)も記録。
四球の数も減り、過去最多のイニングを投げながら四球は僅か27と過去最少で、パ・リーグの規定投球回に到達した投手の中では3番目に少なく与四球率1.07、K/BBは最多奪三振を記録したダルビッシュの7.67を上回る8.93を記録し、沢村栄治賞を初受賞、他にもベストナインにも選出され、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞も獲得した。
2012年1月26日に里田まいとの婚約を発表。
シーズン開幕を控えた3月20日に里田との婚姻届を提出した。
3月30日の開幕戦では自身初の開幕投手を務めたが、6回5失点で敗戦投手となった。
4月22日に腰痛で2年ぶりに戦線離脱した。
復帰後の5月30日の対巨人戦は先発の杉内俊哉と互いに8回まで投げ2桁奪三振を記録する勝負だったが、チームはノーヒットノーランで敗れ敗戦投手に。
7月6日の西武戦では先発登板が予定されていたが、投球練習中に右脇腹に違和感を訴えて先発登板を回避し、代役として中7日で塩見貴洋が登板することになった。
8月19日の対西武戦(西武ドーム)では通算1000奪三振を記録するものの6失点で敗戦投手となるが、8月26日の対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利を挙げ、これより翌シーズンにかけての連勝記録をスタートさせることになる。
シーズン終盤に4連勝し、最終戦で10勝目を挙げ、4年連続の2桁勝利となった。
防御率は2年連続の1点台となる1.87、リーグ最多奪三振を記録。
また完投、完封もリーグトップを記録。
規定投球回達成者では最少となる19四球、BB/9は0.99と1を割り込んだ。
2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された。
同大会では先発として起用されていたが、中継ぎに配置転換され、4試合に登板。
7イニングで防御率2.57の成績だった。
この年は、最多勝、最優秀防御率、勝率第1位投手を獲得。
前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24としてそれぞれ日本プロ野球新記録を達成。
規定投球回数に達し、勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初。
沢村賞は選考委員会でわずか10分満場一致により選出され、ベストナイン投手部門では24年ぶり、自身初のMVPでは投手野手通じて48年ぶりに、記者投票で満票を獲得しての受賞となった。
。
2014年1月22日にニューヨーク・ヤンキースと総額1億5500万ドルの7年契約に合意したことが発表された。
投手としてはMLB史上5位の契約額となり、4年目終了後には契約をオプトアウトしてFAとなれる条項が付く。
合意後の会見ではヤンキースとの契約を選んだ理由について「最大限の評価をしてもらった。
世界でも名門のチームだし、いろいろなものを感じながら、違ったものを感じながらプレーすることができるのではないかなと思っています」と語った。
24日には背番号が19に決定したことが球団から発表された(楽天時代の背番号18はすでに黒田博樹が使用していたため) これにより、田中は楽天から3人目のメジャー移籍選手(1人目は福盛和男、2人目は岩隈久志)となったが、楽天生え抜き選手だけなら田中が最初の選手となった。
渡米時には、本人や家族と関係者計5人と愛犬1匹のため、かつ入団会見やキャンプに「ベストなコンディションで臨むため」に日本航空のボーイング787を自費負担でチャーターしたことが話題となった。
スプリングトレーニングでは3度の先発を含む5試合に登板し、2勝0敗、防御率2.14、WHIP0.86と好投 3月29日にはスプリングトレーニングで活躍した1年目のヤンキースの選手に与えられる「James P. Dawson Award」を受賞した。
開幕4戦目となる4月4日のトロント・ブルージェイズ戦でMLB初登板となる初先発を果たした。
1回裏に先頭打者のメルキー・カブレラに本塁打を打たれたが、7回を6安打3失点(自責点2)8奪三振の投球で、NPB/MLB通算100勝目となるMLB初勝利を挙げた。
5月14日のニューヨーク・メッツ戦では9回を4安打無失点の好投でMLB初完封勝利を挙げ、9回の第三打席ではMLB初安打も記録。
5月20日のシカゴ・カブス戦では6回8安打4失点(自責点3)でMLBでの初敗戦投手となり、2012年8月26日から続いたNPB/MLBレギュラーシーズンでの連勝記録は34で止まった。
6月3日には日本人投手史上3人目となる5月のリーグピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した。
ヤンキースの新人投手では史上初の受賞となった。
6月28日のボストン・レッドソックス戦では9回2失点の投球で敗戦投手となり、プロ入り後では2010年6月以来の連敗を喫するが、1973年のスティーブ・ロジャース以来となるMLB最長タイ記録となるメジャーデビューからの16試合連続クオリティー・スタートを達成。
前半戦は18試合の先発で12勝4敗、防御率2.51、WHIP1.01の成績を残し、オールスターゲームに選手間投票1位で選出されるが、7月9日に右肘の違和感を訴え15日間の故障者リスト入りしオールスターゲームを辞退した。
翌日に右肘靭帯の部分断裂で全治6週間と診断され、PRP療法という保存療法での回復を目指しリハビリを行う。
9月21日のブルージェイズ戦で復帰し、投球数70球で5回1/3を5安打1失点の投球で13勝目を挙げる。
シーズン最終登板となった復帰2戦目のレッドソックス戦ではMLB移籍後最短の1回2/3を7安打5自責点と打ち込まれる。
チームはポストシーズン出場を逃したが、復帰後は右肘に異常なくシーズンを終えた。
この年は離脱の影響もありNPBでは全ての年で満たしていた規定投球回に初めて届かなかった。
2015年4月6日のトロント・ブルージェイズとの開幕戦で日本人4人目となる開幕投手を務めたが、4回5失点(自責点4)で敗戦投手となった。
4月23日の登板後、右肘の不調で1か月以上登板できなかった。
前半戦は11試合に先発して5勝3敗・防御率3.63を記録した。
8月28日のアトランタ・ブレーブス戦で7回5安打3失点に抑えてシーズン10勝目(6敗)を挙げた。
9月6日、夫人の里田まいが第1子妊娠を公表。
この年は24試合に先発し、12勝7敗。
防御率3.51の数字を残し、シーズンオフの10月に右肘の骨片を取り除く手術を受けた。
この年も1か月以上登板できなかった影響で2年連続で規定投球回を逃した。
2016年2月15日に妻の里田まいがニューヨークの病院で第1子となる長男を出産。
母子ともに健康とされる。
田中はフロリダ州タンパでのトレーニングを切り上げてニューヨークに向かい、出産に立ち会っている。
オープン戦では防御率7.36と振るわなかった。
4月5日のヒューストン・アストロズとの開幕戦、日本人2人目となる2年連続の開幕投手を務め、5 2⁄3回2失点と好投したものの勝ち負けはつかなかった。
9月21日のタンパベイ・レイズ戦では自己最多となる14勝目を記録したが、右前腕の張りのため先発が予定されていた同月26日の登板を回避した。
それでも、メジャー3シーズン目にして初めて規定投球回に到達。
チームトップの14勝を挙げたほか、防御率は最終盤まで最優秀防御率獲得のチャンスがあったが最終的に3.07のリーグ3位で1位とは0.07差で終えた。
2017年1月23日に自身のTwitterで第4回WBCの日本代表不参加の意思を表明した。
スプリングトレーニングでは開始早々に当時の監督であるジョー・ジラルディから開幕投手に指名され、シーズンの目標として「34試合登板、230イニング」を宣言した。
オープン戦は3勝1敗、防御率0.42を記録。
開幕戦の4月2日のレイズ戦に先発し、日本人投手初の3年連続開幕投手となったが、3回途中で7失点と炎上した。
14日のカージナルス戦で同年シーズン初勝利を記録。
27日のレッドソックス戦では2014年5月14日のメッツ戦以来となる完封勝利を記録した。
8月27日のマリナーズ戦で同年シーズン10勝目を挙げ、日本人メジャー初のデビューから4年連続2桁勝利を記録した。
9月2日のレッドソックス戦ではMLB通算50勝目を記録。
101試合目での到達は日本人投手史上最速記録。
14日のボルチモア・オリオールズ戦ではNPB/MLB通算150勝を記録した。
シーズン成績は13勝12敗、防御率4.74だったが、ポストシーズンでは2勝1敗、防御率0.90を記録した。
オフの11月3日にオプトアウト権を行使せずヤンキースに残留することを発表。
2018年は3月31日の開幕2戦目にシーズン登板。
6回3安打1失点8奪三振という好投し、ルーキーイヤーから実に4年ぶりとなる白星スタートを飾る。
シーズン中盤、4週間の故障者リスト入りをするものの、最終的に「5年連続12勝」を達成した。
NPB時代から含めると「10年連続2桁勝利」を達成しており、「NPBとMLBに跨っての10年連続2桁勝利」は史上初の快挙である。
この年は3年ぶりに規定投球回未達に終わったが、12勝6敗、防御率3.75、WHIP1.13という成績を記録した。
この年は、故障者リスト入りするまではイマイチだったが、復帰後に調子を上げた。
また、ポストシーズンではボストン・レッドソックスとのALDSで、チーム唯一の勝ち星を挙げた。
2019年3月28日のオリオールズとの開幕戦で日本出身の投手として最多となる4度目の開幕投手を務め、5回2/3を6安打2失点(自責1)無四球5奪三振の好投で、念願の開幕戦初勝利を飾った。
6月17日の対レイズ戦(ヤンキースタジアム)に先発し、9回2安打10奪三振1四球の快投でMLBでは自身4度目・1年ぶりの同年初完封。
二塁を踏ませない快投だった。
これでMLB通算69勝となり、王建民を抜きアジア出身の投手では単独4位となった。
また、ヤンキースで被安打2以下、10奪三振以上の完封劇は、2002年のマイク・ムッシーナ以来17年ぶり。
10奪三振&完封勝利は日本人ではダルビッシュ有、黒田博樹、野茂英雄(5度)に次いで4人目となった。
6月30日にMLB史上初となるヨーロッパでの試合となるロンドン・スタジアム(イギリス・ロンドン)でのレッドソックス戦に登板。
しかし、両先発が1回持たずに降板(田中は2/3回、リック・ポーセロは1/3回)というこれまたMLB史上初となる珍事となった。
試合は17対13でヤンキースが勝利。
MLBオールスターゲームに代替選手として選出され、日本人史上3人目の登板を果たした。
2回から2番手で登板し、1回を1安打無失点に抑えると直後に味方が得点し、MLBオールスターゲーム初出場で日本人史上初の勝利投手となった。
また、ヤンキースの投手がオールスターゲームで勝利投手となったのは71年ぶり5人目である。
7月14日のブルージェイズ戦で、6回2失点で同年6勝目を挙げ、野茂英雄(123勝109敗)、黒田博樹(79勝79敗)に次いで日本人選手3人目となるMLB通算70勝(39敗)を記録した。
8月11日のブルージェイズ戦(ロジャーズ・センター)で、9回途中3安打無失点で同年8勝目を挙げ、NPB/MLB通算171勝目(NPB99勝、MLB72勝)。
現役日本選手の勝利数で松坂大輔、岩隈久志の各170勝を抜き単独トップに立った。
8月27日の対マリナーズ戦(T-モバイル・パーク)で7回を投げ3安打無失点、1四球7奪三振の力投でシーズン10勝目(7敗)を挙げ、日本人投手初となる6年連続2桁勝利を達成した。
NPB時代から含めると11年連続での2桁勝利となった。
9月19日、マジック「1」で迎えたエンゼルス戦で先発登板。
7回4安打1失点と好投し、ヤンキースの7年ぶり19回目のア・リーグ東地区優勝に貢献した。
また、この試合で日本人投手5人目のMLB通算1,000投球回となった。
同29日のテキサス・レンジャーズ戦でMLBでは初のリリーフを経験。
2回から2番手として登板したが、3回5安打2失点で敗戦投手となった。
最終成績は11勝9敗・防御率4.45で、対レッドソックス戦を除く29登板での防御率は3.52だったのに対し、対レッドソックス戦では3先発で防御率24.75を記録した。
ポストシーズン、まずディビジョンシリーズ第2戦の先発で5回1失点に抑えてチームの全勝に貢献した。
続くリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦を6回無失点に抑え、デビュー以来PS7試合連続で2失点に封じたMLB史上初の先発投手となった。
しかし第4戦では5回3失点で敗戦投手になり、その後チームもこのシリーズで敗退した。
オフに右肘のクリーニング手術を受けた。
2020年は開幕2戦目の登板が有力視されていたが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、シーズン開幕が不透明となった。
アメリカでの感染拡大は終息の兆しが見えず、3月下旬にキャンプ地のフロリダから家族と共に日本に一時帰国した。
アメリカではアジア人への差別や暴力なども発生する状況となっており、田中は球団広報を通じて「感染以外でも身の危険を感じさせられる出来事があり、十分に注意をしながら一時帰国する決断をしました」とコメントを出した。
帰国後は日本政府の要請に従い、2週間の自宅待機となった。
その後、7月4日から夏季キャンプが始まるのに合わせ、再度ニューヨークへ渡った。
夏季キャンプ1日目の7月4日、練習中にチームメイトのジャンカルロ・スタントンの打った打球が頭部を直撃。
約5分倒れ込むも、トレーナーに支えられ自力で歩行し病院に搬送された。
その後復帰し、シーズンでは3勝3敗、防御率3.56の成績を記録した。
新型コロナウイルス感染拡大によるレギュラーシーズンの試合数大幅削減により60試合制だったことで日本時代の2009年から続けてきた連続2桁勝利は11年でストップした。
ポストシーズンではワイルドカードラウンド第2戦で先発したが、5回途中6失点で降板。
その後地区シリーズ第3戦にも先発したが、5回途中5失点で敗戦投手となり、チームもこのシリーズで敗退した。
オフの10月28日にFAとなった。
2021年1月28日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表した。
背番号は18。
開幕第2戦(3月27日・対日本ハム・楽天生命パーク)に先発を予定していたが、3月25日に右ヒラメ筋損傷と診断されたため登板を回避した。
4月17日の日本ハム戦(東京ドーム)で日本球界復帰後初登板初先発を果たしたが、初回に中田翔に先制2点本塁打を打たれると2回には石井一成にソロ本塁打を打たれ2回までに3失点を喫する。
3回以降は無失点に抑えたが5回で降板し、5回3失点で敗戦投手となった。
日本でのレギュラーシーズンで敗戦投手となったのは2012年8月19日の西武戦以来3163日ぶりだった。
4月24日の西武戦(楽天生命パーク宮城では6回1失点でNPB復帰後初勝利を挙げると同時に史上139人目のNPB通算100勝を達成した。
177試合の登板での達成は史上2番目の早さで、楽天のみでの100勝は田中が史上初だった。
9月10日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では佐々木朗希と初対決。
田中は8回120球2失点、佐々木は8回99球2失点とお互い勝ち負けは付かなかった。
結局レギュラーシーズンでは規定投球回に到達し、防御率はリーグ5位となる3.01を記録したものの、4勝9敗と負け越した。
2022年、5月3日の日本ハム戦で史上181人目のNPB通算1500投球回を達成。
5月10日、対ロッテ戦で9年ぶりの完封勝利をあげる。
8月30日に登録日数が9年に達したため、自身初めて海外FA権を取得した。
最終戦の10月2日のオリックス戦で5回2失点でパ・リーグ単独最多の12敗目を喫し、9勝で2桁勝利に届かず。
開幕ローテに入り25登板で9勝12敗、防御率3・31と不本意な成績に終わった。
オフの11月9日に取得した海外FA権を行使せずに楽天を再契約を結んだことを発表した。
シーズンによっては防御率もすこぶるよく、防御率1.50以下を2シーズン記録した。
2023/1/8(日)



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