島田紳助
と 明石家さんま
しまだ しんすけ 島田紳助 |
島田 紳助(しまだ しんすけ、1956年〈昭和31年〉3月24日 - )は、日本の元お笑いタレント・漫才師・司会者・歌手・俳優・作詞家・プロデューサー。本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。京都府京都市南区出身。 |
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高校時代にテレビでB&B(当時は島田洋七と上方よしおのコンビ)の漫才を見て衝撃を受け、漫才師になる事を志し、1974年に洋七と同門になるため島田洋之介・今喜多代に弟子入りし内弟子となる。
その後しばらくは洋七の付き人になる一方で、同期の明石家さんまと営業活動を行なったり、しばらく相方を変えながら漫才活動を行うがどれも上手くいかず、さんまから紹介された劇場進行係のスタッフ・松本竜介と1977年に「紳助・竜介」を結成 紳助は徹底的に過去の漫才を研究し、若い世代にターゲットを絞った「ツッパリ漫才」を考案。
以降、1980年からの漫才ブームの到来により一気に全国ネットのスターダムにのし上がった。
1980年に結婚。
1980年代後半も吉本興業の東京の本格的進出の足掛かりとして明石家さんまと共にピンでのタレント活動で多忙を極めるが、吉本の東京支社長であった木村政雄のアイデアで、さんまとの差別化を図る目的で、1989年4月に放送を開始した政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)の総合司会に抜擢。
自分のジャンル外として、当初は固辞していたが、その後2004年まで15年間にわたって総合司会を続けた。
特に当時、同番組に出演することが多かった自民党内でも異端的な政治家であった小泉純一郎については自らのコラムでたびたび好意的に言及したり、自らのトーク番組にゲストで招いたりしていた。
そのため小泉が自民党の総裁選に出馬した際や自らの公約である郵政民営化については期待を込めていずれも支持した。
但し、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、「今の日本には強力な保守二大政党制が必要」「民主党が政権を取ったときは自民党を応援する」と発言し、大阪府選挙区に民主党から出馬していた梅村聡の応援演説に立った。
引退後は完全に芸能界から退いている。
ただし、芸能マスコミのインタビューに応じることはあり、その度に明確に復帰を否定している。
また、東野幸治や宮迫博之などの行列ファミリーやmisonoを始めとするヘキサゴンファミリーなど親しい芸能人とはゴルフや食事などで交流を続けており(後述)、明石家さんまや松本人志らも紳助とメールのやり取りをするなどしているという。
引退後も定期的に紳助の芸能界復帰の噂が流れ、実際に吉本興業も明石家さんまに相談して本人の意思があればカムバックを準備していたが、結局紳助本人に復帰意思はなかったという。
紳助自身も後年応じたインタビューにおいて「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい 人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定している。
一方で「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた番組スタッフらに償いをしたいという気持ちがあるとし、レギュラー番組などの完全な復帰は否定しつつも、(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている。
同期の明石家さんまは、紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。
疲れてくるんですよ いろんなことに 僕も何度もやめようと思った」とコメントを残している。
一方、「紳助は同期で親友の間柄だが、本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知った」、「一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆した」とギャグにしており、本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見を開くつもりだったとして笑いを取っている。
公には「(仕事が増えて)嬉しいわ」「本人とは連絡とっていない あいつは法律で決まっているかのように大事な話は一切せえへんねんな」「あいつが辞めたことで、仕事が増えるやろ (引退の真相を)俺が調べてラジオで言うわ」とコメントする。
紳助引退後は、『行列のできる法律相談所』の特番時に「スペシャル司会者」を務めるが、現在でも紳助の名前を出して笑いを取っている。
紳助の引退に伴い、2011年8月24日以降に放送予定だった紳助が出演していた収録済みだった番組はいずれもお蔵入りとなり、紳助出演番組VTRの資料映像や、CSチャンネルでの再放送などの二次使用が原則できなくなった。
再放送では、紳助がゲスト等で出演した回は避けているが、『オレたちひょうきん族』などレギュラー・司会として毎回出ていた番組はリピート再放送を打ち切っている。
『ひょうきん族』のメインはたけし・さんまであるが、紳助もこの2人に次ぐ番組の主要メンバーであり、「ひょうきんベストテン」の司会を終始一貫して務めていたことから、ほぼ毎回出演していたただし、ある放送分の「ひょうきんベストテン」において、紳助が仕事の都合で海外に行っており、さんまが代役を務めたことがあった。
ため打ち切りとなった。
しかし、ひょうきん族・ヘキサゴン・M-1グランプリなどDVD化された商品の回収は行われておらず、現在もCD・DVDショップ・ネットサイトでの購入や、レンタルビデオ店で貸し出しは可能である。
また、地上波で資料VTRとして使用する際は、紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送され、発言部分も音声が消されているが相槌程度の声が入ることはあった。
しかし、時間が経つにつれて二次使用の制限が多少緩和され、『開運!なんでも鑑定団』は、2013年11月12日の『1000回記念スペシャル』及び2019年4月30日(いずれもテレビ東京系他同時ネット局の放送日)の『平成最後のお宝鑑定スペシャル』で紳助司会時代の映像、2015年10月12日にTBSテレビで放送された『伝説のドラマ&バラエティー全部見せます!夢共演も大連発SP』では『ヤングおー!おー!』出演時の映像や写真(特に出演者による野球チームの写真では氏名も記載されていた)がモザイク処理なしで、 2018年5月20日にMBSテレビで放送された『明石家さんまが語り継ぎたい 愛すべきレジェンド芸人20人』でも紳助・竜介時代や引退前の番組映像がそれぞれ使用されるなど、二次使用される例も多くなった。
一方で2022年9月29日にフジテレビで放送された『私のバカせまい史』で『クイズ!ヘキサゴンⅡ』のVTRが使われた際にはオープニングタイトルの背景のスタジオの引きの画に映る紳助にモザイクがかけられるなど局によっては未だに映像が解禁されてない事も多い。
8月最終週分の放送を中止し、代替番組(直前番組『世界の果てまでイッテQ!』の特別編)が放送された。
8月29日に番組の存続が日本テレビから発表された。
9月以降は所長(MC)を変え、9月4日放送分の所長代理(MC代理)を東野幸治に決定し収録が行われた。
その後は東野と後藤輝基(フットボールアワー)が隔週交代で所長(MC)を務めているただし、2011年12月4日は綾部祐二(ピース)が、2012年3月4日はベッキーがそれぞれ担当した。
なお、番組改編期のスペシャル版は上記の4人ではなく明石家さんまが務めている。
。
2012年1月から再放送が再開されている。
その後しばらくは洋七の付き人になる一方で、同期の明石家さんまと営業活動を行なったり、しばらく相方を変えながら漫才活動を行うがどれも上手くいかず、さんまから紹介された劇場進行係のスタッフ・松本竜介と1977年に「紳助・竜介」を結成 紳助は徹底的に過去の漫才を研究し、若い世代にターゲットを絞った「ツッパリ漫才」を考案。
以降、1980年からの漫才ブームの到来により一気に全国ネットのスターダムにのし上がった。
1980年に結婚。
1980年代後半も吉本興業の東京の本格的進出の足掛かりとして明石家さんまと共にピンでのタレント活動で多忙を極めるが、吉本の東京支社長であった木村政雄のアイデアで、さんまとの差別化を図る目的で、1989年4月に放送を開始した政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)の総合司会に抜擢。
自分のジャンル外として、当初は固辞していたが、その後2004年まで15年間にわたって総合司会を続けた。
特に当時、同番組に出演することが多かった自民党内でも異端的な政治家であった小泉純一郎については自らのコラムでたびたび好意的に言及したり、自らのトーク番組にゲストで招いたりしていた。
そのため小泉が自民党の総裁選に出馬した際や自らの公約である郵政民営化については期待を込めていずれも支持した。
但し、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、「今の日本には強力な保守二大政党制が必要」「民主党が政権を取ったときは自民党を応援する」と発言し、大阪府選挙区に民主党から出馬していた梅村聡の応援演説に立った。
引退後は完全に芸能界から退いている。
ただし、芸能マスコミのインタビューに応じることはあり、その度に明確に復帰を否定している。
また、東野幸治や宮迫博之などの行列ファミリーやmisonoを始めとするヘキサゴンファミリーなど親しい芸能人とはゴルフや食事などで交流を続けており(後述)、明石家さんまや松本人志らも紳助とメールのやり取りをするなどしているという。
引退後も定期的に紳助の芸能界復帰の噂が流れ、実際に吉本興業も明石家さんまに相談して本人の意思があればカムバックを準備していたが、結局紳助本人に復帰意思はなかったという。
紳助自身も後年応じたインタビューにおいて「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい 人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定している。
一方で「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた番組スタッフらに償いをしたいという気持ちがあるとし、レギュラー番組などの完全な復帰は否定しつつも、(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている。
同期の明石家さんまは、紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。
疲れてくるんですよ いろんなことに 僕も何度もやめようと思った」とコメントを残している。
一方、「紳助は同期で親友の間柄だが、本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知った」、「一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆した」とギャグにしており、本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見を開くつもりだったとして笑いを取っている。
公には「(仕事が増えて)嬉しいわ」「本人とは連絡とっていない あいつは法律で決まっているかのように大事な話は一切せえへんねんな」「あいつが辞めたことで、仕事が増えるやろ (引退の真相を)俺が調べてラジオで言うわ」とコメントする。
紳助引退後は、『行列のできる法律相談所』の特番時に「スペシャル司会者」を務めるが、現在でも紳助の名前を出して笑いを取っている。
紳助の引退に伴い、2011年8月24日以降に放送予定だった紳助が出演していた収録済みだった番組はいずれもお蔵入りとなり、紳助出演番組VTRの資料映像や、CSチャンネルでの再放送などの二次使用が原則できなくなった。
再放送では、紳助がゲスト等で出演した回は避けているが、『オレたちひょうきん族』などレギュラー・司会として毎回出ていた番組はリピート再放送を打ち切っている。
『ひょうきん族』のメインはたけし・さんまであるが、紳助もこの2人に次ぐ番組の主要メンバーであり、「ひょうきんベストテン」の司会を終始一貫して務めていたことから、ほぼ毎回出演していたただし、ある放送分の「ひょうきんベストテン」において、紳助が仕事の都合で海外に行っており、さんまが代役を務めたことがあった。
ため打ち切りとなった。
しかし、ひょうきん族・ヘキサゴン・M-1グランプリなどDVD化された商品の回収は行われておらず、現在もCD・DVDショップ・ネットサイトでの購入や、レンタルビデオ店で貸し出しは可能である。
また、地上波で資料VTRとして使用する際は、紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送され、発言部分も音声が消されているが相槌程度の声が入ることはあった。
しかし、時間が経つにつれて二次使用の制限が多少緩和され、『開運!なんでも鑑定団』は、2013年11月12日の『1000回記念スペシャル』及び2019年4月30日(いずれもテレビ東京系他同時ネット局の放送日)の『平成最後のお宝鑑定スペシャル』で紳助司会時代の映像、2015年10月12日にTBSテレビで放送された『伝説のドラマ&バラエティー全部見せます!夢共演も大連発SP』では『ヤングおー!おー!』出演時の映像や写真(特に出演者による野球チームの写真では氏名も記載されていた)がモザイク処理なしで、 2018年5月20日にMBSテレビで放送された『明石家さんまが語り継ぎたい 愛すべきレジェンド芸人20人』でも紳助・竜介時代や引退前の番組映像がそれぞれ使用されるなど、二次使用される例も多くなった。
一方で2022年9月29日にフジテレビで放送された『私のバカせまい史』で『クイズ!ヘキサゴンⅡ』のVTRが使われた際にはオープニングタイトルの背景のスタジオの引きの画に映る紳助にモザイクがかけられるなど局によっては未だに映像が解禁されてない事も多い。
8月最終週分の放送を中止し、代替番組(直前番組『世界の果てまでイッテQ!』の特別編)が放送された。
8月29日に番組の存続が日本テレビから発表された。
9月以降は所長(MC)を変え、9月4日放送分の所長代理(MC代理)を東野幸治に決定し収録が行われた。
その後は東野と後藤輝基(フットボールアワー)が隔週交代で所長(MC)を務めているただし、2011年12月4日は綾部祐二(ピース)が、2012年3月4日はベッキーがそれぞれ担当した。
なお、番組改編期のスペシャル版は上記の4人ではなく明石家さんまが務めている。
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2012年1月から再放送が再開されている。
2023/5/3(水)



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