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庵野秀明 アニメ

あんの ひであき
庵野秀明
庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家の安野モヨコ。 別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。 代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿、山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。



庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。
カラー代表取締役社長。
株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。
株式会社でほぎゃらりー取締役。
NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。
山口県宇部市出身。
山口県立宇部高等学校卒業。
大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。
血液型はA型。
妻は漫画家の安野モヨコ。
別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。
代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。
監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿、山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。
幼い頃よりアニメや特撮、そして大規模建造物等に夢中でよく絵を描いていたという。
生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという。
高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている。
また、漫画少年でもあり、中学生の頃は特に少女漫画を大量に読んでいた。
庵野の父親は若い頃の事故で左足の膝から下を失っており義足であった。
朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。
その頃、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀達との自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。
この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀達と『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した。
この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される。
上京し、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』やOVA『メガゾーン23』等の商業作品に参加し、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。
『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された。
この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある。
この頃から原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。
ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野の事である。
なお、師匠として、宮崎と『超時空要塞マクロス』の板野一郎の名前を挙げており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。
1995年(平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。
大ヒットを記録し、「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。
『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる。
これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。
幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている。
2006年(平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。
新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった。
2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。
2011年(平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた。
2013年(平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。
2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。
人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出を得意とする。
意外な所から撮るエキセントリックなアングル(カメラアングル=構図)や逆光などを多用した描写が多い。
また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、道路標識、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い。
電柱・電線は、自らの会社カラーのホームページにも使用している。
好きな映画・アニメ・漫画からのパロディ・オマージュが多く盛り込まれている。
特に永井豪、石川賢や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。
同時にオリジナリティについては『新世紀エヴァンゲリオン』のコミック第1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』で、「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる。
」という趣旨の発言をしている。
作画面では建築物や機械、爆発シーンの描写を得意とする。
人物は、アニメ的なキャラクターが苦手と本人も認めており、描くことは少ないが、ゼネラルプロダクツのアニメック誌の連載やパンフレットの挿絵、まんがアニメックや同人誌に掲載された短編マンガなどがあり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』ではリン・ミンメイの原画を手掛けている。
作中の楽曲には、「Fly me to the Moon(CLAIREと高橋洋子のシングル)」「あの素晴しい愛をもう一度」「夢の中へ」等のカバーが用いられている。
観る側でもアニメや特撮物のマニアであり、特に、中学生ごろに出会った『宇宙戦艦ヤマト』や幼少時代に出会った『ウルトラマン』には非常に影響を受け、特に宇宙戦艦ヤマトは原作者の西崎義展との対談でも自身の人生を変えた作品であることを語っている。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。
ゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫等のメンバーが参加しており、自身と押井守、富野由悠季らとの対談が収録されている。
『機動戦士Vガンダム』は当時、自身はハマっていたが、周囲では評判が芳しくなかったため、アニメ誌での特集を働きかけたり、ガイナックスで原画を手伝ったこと、同時に「自分にとって本作が最後の富野作品」と話している。
2013年に発売された、初代ガンダムのキャラクターデザイン及び作画監督を務めた安彦良和の特集本の責任編集を手掛け、同書では安彦、同作で原画を担当した板野一郎と庵野による師弟&孫弟子の座談会が収録された。

1984年(昭和59年) - 株式会社ガイナックスの設立に参加。
1988年(昭和63年) - 『トップをねらえ!』でアニメ初監督。
1997年(平成09年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。
2002年(平成14年) - 漫画家安野モヨコと結婚。
明治神宮で挙式を執り行う。
2006年(平成18年) - 庵野個人のアニメ制作会社・株式会社カラー、制作スタジオ・スタジオカラーを設立。
2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。
同年、株式会社ガイナックスを退社。
2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。
同作で監督を務めた樋口真嗣とともに最優秀監督賞を受賞。
また、「平成28年度(第67回)芸術選奨映画部門 文部科学大臣賞」も受賞している。
2017年(平成29年) - スタジオカラー・ドワンゴ・麻生塾の三社で福岡に設立したアニメ制作会社株式会社プロジェクトスタジオQの取締役創作管理統括に就任。
2017年(平成29年) - NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴの二社で設立した株式会社バカー(βακα)の取締役に就任。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴ・KADOKAWA・インクストゥエンター・アソビシステムホールディングス でVTuberを起用したモーションキャプチャアニメの制作、およびVTuberの開発・マネジメント・プロデュースなどの事業を展開する合弁会社としてリドを12月14日に設立。
2021年(令和03年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。
『新世紀エヴァンゲリオン画集 DIE STERNE』庵野秀明総監修、角川書店、2003年7月。
ISBN 9784048536523。
『ふしぎの海のナディアアニメーション原画集 return of Nadia』「ふしぎの海のナディアアニメーション原画集」編集部編、庵野秀明監修、ガイナックス、2004年12月。
ISBN 9784903713090。
安彦良和『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』サンライズ監修、庵野秀明責任編集、氷川竜介構成・編集、角川書店、2013年5月。
ISBN 9784041100899。
『新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト』「新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト」編集部編、庵野秀明監修、カラー許諾・監修、グラウンドワークス、2021年1月。
ISBN 9784909466020。
第11話の最後で話題に上り、第12話に登場したアニメーション監督では、「菅野光明」の名前で登場。
声優は樫井笙人。
1988年(昭和63年)に公開された『火垂るの墓』で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。
もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
アニメージュ」1997年1月号で最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく「岡本喜八」と言ってしまうんですけど」と述べている。
1999年(平成11年)、海上自衛隊のドキュメントビデオである『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったという また、『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のマネは得意。
1970年前後生まれのアニメ監督に、庵野を尊敬している人物が多く、水島精二、山本寛、高村和宏、京田知己などは各所のインタビューで度々その旨を語っている。
若い頃は大の風呂嫌いであり、長い時は1年間風呂に入らなかったという。
庵野曰く「風呂に入らなくても死なない 死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ オレにはやることがあるので、余ってる時間などない ゆえに風呂になど入らない」「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」とのこと。
しかし『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入るようになった。
2022/4/17(日)
庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家の安野モヨコ。

別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。

代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿、山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。

幼い頃よりアニメや特撮、そして大規模建造物等に夢中でよく絵を描いていたという。生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという。高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている また、漫画少年でもあり、中学生の頃は特に少女漫画を大量に読んでいた 庵野の父親は若い頃の事故で左足の膝から下を失っており義足であった 朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。

その頃、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀達との自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀達と『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される。

上京し、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』やOVA『メガゾーン23』等の商業作品に参加し、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける 『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある この頃から原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野の事である なお、師匠として、宮崎と『超時空要塞マクロス』の板野一郎の名前を挙げており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。

1995年(平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。大ヒットを記録し、「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。

『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている。

2006年(平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった 2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。

2011年(平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた 2013年(平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。

2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。

人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出を得意とする。意外な所から撮るエキセントリックなアングル(カメラアングル=構図)や逆光などを多用した描写が多い。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、道路標識、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い。電柱・電線は、自らの会社カラーのホームページにも使用している。
好きな映画・アニメ・漫画からのパロディ・オマージュが多く盛り込まれている。特に永井豪、石川賢や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。同時にオリジナリティについては『新世紀エヴァンゲリオン』のコミック第1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』で、「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる 」という趣旨の発言をしている。
作画面では建築物や機械、爆発シーンの描写を得意とする。人物は、アニメ的なキャラクターが苦手と本人も認めており、描くことは少ないが、ゼネラルプロダクツのアニメック誌の連載やパンフレットの挿絵、まんがアニメックや同人誌に掲載された短編マンガなどがあり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』ではリン・ミンメイの原画を手掛けている。
作中の楽曲には、「Fly me to the Moon(CLAIREと高橋洋子のシングル)」「あの素晴しい愛をもう一度」「夢の中へ」等のカバーが用いられている。
観る側でもアニメや特撮物のマニアであり、特に、中学生ごろに出会った『宇宙戦艦ヤマト』や幼少時代に出会った『ウルトラマン』には非常に影響を受け、特に宇宙戦艦ヤマトは原作者の西崎義展との対談でも自身の人生を変えた作品であることを語っている。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。ゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫等のメンバーが参加しており、自身と押井守、富野由悠季らとの対談が収録されている。
『機動戦士Vガンダム』は当時、自身はハマっていたが、周囲では評判が芳しくなかったため、アニメ誌での特集を働きかけたり、ガイナックスで原画を手伝ったこと、同時に「自分にとって本作が最後の富野作品」と話している。
2013年に発売された、初代ガンダムのキャラクターデザイン及び作画監督を務めた安彦良和の特集本の責任編集を手掛け、同書では安彦、同作で原画を担当した板野一郎と庵野による師弟&孫弟子の座談会が収録された 。
1984年(昭和59年) - 株式会社ガイナックスの設立に参加。
1988年(昭和63年) - 『トップをねらえ!』でアニメ初監督。
1997年(平成09年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。
2002年(平成14年) - 漫画家安野モヨコと結婚。明治神宮で挙式を執り行う。
2006年(平成18年) - 庵野個人のアニメ制作会社・株式会社カラー、制作スタジオ・スタジオカラーを設立。
2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。同年、株式会社ガイナックスを退社。
2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。同作で監督を務めた樋口真嗣とともに最優秀監督賞を受賞。また、「平成28年度(第67回)芸術選奨映画部門 文部科学大臣賞」も受賞している。
2017年(平成29年) - スタジオカラー・ドワンゴ・麻生塾の三社で福岡に設立したアニメ制作会社株式会社プロジェクトスタジオQの取締役創作管理統括に就任。
2017年(平成29年) - NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴの二社で設立した株式会社バカー(βακα)の取締役に就任。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴ・KADOKAWA・インクストゥエンター・アソビシステムホールディングス でVTuberを起用したモーションキャプチャアニメの制作、およびVTuberの開発・マネジメント・プロデュースなどの事業を展開する合弁会社としてリドを12月14日に設立。
2021年(令和03年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。
『新世紀エヴァンゲリオン画集 DIE STERNE』庵野秀明総監修、角川書店、2003年7月。ISBN 9784048536523。
『ふしぎの海のナディアアニメーション原画集 return of Nadia』「ふしぎの海のナディアアニメーション原画集」編集部編、庵野秀明監修、ガイナックス、2004年12月。ISBN 9784903713090。
安彦良和『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』サンライズ監修、庵野秀明責任編集、氷川竜介構成・編集、角川書店、2013年5月。ISBN 9784041100899。
『新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト』「新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト」編集部編、庵野秀明監修、カラー許諾・監修、グラウンドワークス、2021年1月。ISBN 9784909466020。
第11話の最後で話題に上り、第12話に登場したアニメーション監督では、「菅野光明」の名前で登場。声優は樫井笙人。

1988年(昭和63年)に公開された『火垂るの墓』で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
「アニメージュ」1997年1月号で最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく「岡本喜八」と言ってしまうんですけど」と述べている。
1999年(平成11年)、海上自衛隊のドキュメントビデオである『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったという また、『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のマネは得意。
1970年前後生まれのアニメ監督に、庵野を尊敬している人物が多く、水島精二、山本寛、高村和宏、京田知己などは各所のインタビューで度々その旨を語っている。
若い頃は大の風呂嫌いであり、長い時は1年間風呂に入らなかったという。庵野曰く「風呂に入らなくても死なない 死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ オレにはやることがあるので、余ってる時間などない ゆえに風呂になど入らない」「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」とのこと。しかし『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入るようになった。
庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家の安野モヨコ。

別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。

代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿、山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。

幼い頃よりアニメや特撮、そして大規模建造物等に夢中でよく絵を描いていたという。生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという。高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている また、漫画少年でもあり、中学生の頃は特に少女漫画を大量に読んでいた 庵野の父親は若い頃の事故で左足の膝から下を失っており義足であった 朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。

その頃、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀達との自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀達と『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される。

上京し、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』やOVA『メガゾーン23』等の商業作品に参加し、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける 『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある この頃から原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野の事である なお、師匠として、宮崎と『超時空要塞マクロス』の板野一郎の名前を挙げており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。

1995年(平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。大ヒットを記録し、「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。

『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている。

2006年(平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった 2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。

2011年(平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた 2013年(平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。

2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。

人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出を得意とする。意外な所から撮るエキセントリックなアングル(カメラアングル=構図)や逆光などを多用した描写が多い。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、道路標識、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い。電柱・電線は、自らの会社カラーのホームページにも使用している。
好きな映画・アニメ・漫画からのパロディ・オマージュが多く盛り込まれている。特に永井豪、石川賢や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。同時にオリジナリティについては『新世紀エヴァンゲリオン』のコミック第1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』で、「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる 」という趣旨の発言をしている。
作画面では建築物や機械、爆発シーンの描写を得意とする。人物は、アニメ的なキャラクターが苦手と本人も認めており、描くことは少ないが、ゼネラルプロダクツのアニメック誌の連載やパンフレットの挿絵、まんがアニメックや同人誌に掲載された短編マンガなどがあり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』ではリン・ミンメイの原画を手掛けている。
作中の楽曲には、「Fly me to the Moon(CLAIREと高橋洋子のシングル)」「あの素晴しい愛をもう一度」「夢の中へ」等のカバーが用いられている。
観る側でもアニメや特撮物のマニアであり、特に、中学生ごろに出会った『宇宙戦艦ヤマト』や幼少時代に出会った『ウルトラマン』には非常に影響を受け、特に宇宙戦艦ヤマトは原作者の西崎義展との対談でも自身の人生を変えた作品であることを語っている。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。ゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫等のメンバーが参加しており、自身と押井守、富野由悠季らとの対談が収録されている。
『機動戦士Vガンダム』は当時、自身はハマっていたが、周囲では評判が芳しくなかったため、アニメ誌での特集を働きかけたり、ガイナックスで原画を手伝ったこと、同時に「自分にとって本作が最後の富野作品」と話している。
2013年に発売された、初代ガンダムのキャラクターデザイン及び作画監督を務めた安彦良和の特集本の責任編集を手掛け、同書では安彦、同作で原画を担当した板野一郎と庵野による師弟&孫弟子の座談会が収録された 。
1984年(昭和59年) - 株式会社ガイナックスの設立に参加。
1988年(昭和63年) - 『トップをねらえ!』でアニメ初監督。
1997年(平成09年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。
2002年(平成14年) - 漫画家安野モヨコと結婚。明治神宮で挙式を執り行う。
2006年(平成18年) - 庵野個人のアニメ制作会社・株式会社カラー、制作スタジオ・スタジオカラーを設立。
2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。同年、株式会社ガイナックスを退社。
2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。同作で監督を務めた樋口真嗣とともに最優秀監督賞を受賞。また、「平成28年度(第67回)芸術選奨映画部門 文部科学大臣賞」も受賞している。
2017年(平成29年) - スタジオカラー・ドワンゴ・麻生塾の三社で福岡に設立したアニメ制作会社株式会社プロジェクトスタジオQの取締役創作管理統括に就任。
2017年(平成29年) - NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴの二社で設立した株式会社バカー(βακα)の取締役に就任。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴ・KADOKAWA・インクストゥエンター・アソビシステムホールディングス でVTuberを起用したモーションキャプチャアニメの制作、およびVTuberの開発・マネジメント・プロデュースなどの事業を展開する合弁会社としてリドを12月14日に設立。
2021年(令和03年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。
『新世紀エヴァンゲリオン画集 DIE STERNE』庵野秀明総監修、角川書店、2003年7月。ISBN 9784048536523。
『ふしぎの海のナディアアニメーション原画集 return of Nadia』「ふしぎの海のナディアアニメーション原画集」編集部編、庵野秀明監修、ガイナックス、2004年12月。ISBN 9784903713090。
安彦良和『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』サンライズ監修、庵野秀明責任編集、氷川竜介構成・編集、角川書店、2013年5月。ISBN 9784041100899。
『新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト』「新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト」編集部編、庵野秀明監修、カラー許諾・監修、グラウンドワークス、2021年1月。ISBN 9784909466020。
第11話の最後で話題に上り、第12話に登場したアニメーション監督では、「菅野光明」の名前で登場。声優は樫井笙人。

1988年(昭和63年)に公開された『火垂るの墓』で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
「アニメージュ」1997年1月号で最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく「岡本喜八」と言ってしまうんですけど」と述べている。
1999年(平成11年)、海上自衛隊のドキュメントビデオである『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったという また、『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のマネは得意。
1970年前後生まれのアニメ監督に、庵野を尊敬している人物が多く、水島精二、山本寛、高村和宏、京田知己などは各所のインタビューで度々その旨を語っている。
若い頃は大の風呂嫌いであり、長い時は1年間風呂に入らなかったという。庵野曰く「風呂に入らなくても死なない 死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ オレにはやることがあるので、余ってる時間などない ゆえに風呂になど入らない」「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」とのこと。しかし『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入るようになった。
庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家の安野モヨコ。

別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。

代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿、山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。

幼い頃よりアニメや特撮、そして大規模建造物等に夢中でよく絵を描いていたという。生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという。高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている また、漫画少年でもあり、中学生の頃は特に少女漫画を大量に読んでいた 庵野の父親は若い頃の事故で左足の膝から下を失っており義足であった 朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。

その頃、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀達との自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀達と『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される。

上京し、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』やOVA『メガゾーン23』等の商業作品に参加し、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける 『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある この頃から原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野の事である なお、師匠として、宮崎と『超時空要塞マクロス』の板野一郎の名前を挙げており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。

1995年(平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。大ヒットを記録し、「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。

『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている。

2006年(平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった 2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。

2011年(平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた 2013年(平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。

2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。

人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出を得意とする。意外な所から撮るエキセントリックなアングル(カメラアングル=構図)や逆光などを多用した描写が多い。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、道路標識、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い。電柱・電線は、自らの会社カラーのホームページにも使用している。
好きな映画・アニメ・漫画からのパロディ・オマージュが多く盛り込まれている。特に永井豪、石川賢や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。同時にオリジナリティについては『新世紀エヴァンゲリオン』のコミック第1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』で、「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる 」という趣旨の発言をしている。
作画面では建築物や機械、爆発シーンの描写を得意とする。人物は、アニメ的なキャラクターが苦手と本人も認めており、描くことは少ないが、ゼネラルプロダクツのアニメック誌の連載やパンフレットの挿絵、まんがアニメックや同人誌に掲載された短編マンガなどがあり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』ではリン・ミンメイの原画を手掛けている。
作中の楽曲には、「Fly me to the Moon(CLAIREと高橋洋子のシングル)」「あの素晴しい愛をもう一度」「夢の中へ」等のカバーが用いられている。
観る側でもアニメや特撮物のマニアであり、特に、中学生ごろに出会った『宇宙戦艦ヤマト』や幼少時代に出会った『ウルトラマン』には非常に影響を受け、特に宇宙戦艦ヤマトは原作者の西崎義展との対談でも自身の人生を変えた作品であることを語っている。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版。ゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫等のメンバーが参加しており、自身と押井守、富野由悠季らとの対談が収録されている。
『機動戦士Vガンダム』は当時、自身はハマっていたが、周囲では評判が芳しくなかったため、アニメ誌での特集を働きかけたり、ガイナックスで原画を手伝ったこと、同時に「自分にとって本作が最後の富野作品」と話している。
2013年に発売された、初代ガンダムのキャラクターデザイン及び作画監督を務めた安彦良和の特集本の責任編集を手掛け、同書では安彦、同作で原画を担当した板野一郎と庵野による師弟&孫弟子の座談会が収録された 。
1984年(昭和59年) - 株式会社ガイナックスの設立に参加。
1988年(昭和63年) - 『トップをねらえ!』でアニメ初監督。
1997年(平成09年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。
2002年(平成14年) - 漫画家安野モヨコと結婚。明治神宮で挙式を執り行う。
2006年(平成18年) - 庵野個人のアニメ制作会社・株式会社カラー、制作スタジオ・スタジオカラーを設立。
2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。同年、株式会社ガイナックスを退社。
2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。同作で監督を務めた樋口真嗣とともに最優秀監督賞を受賞。また、「平成28年度(第67回)芸術選奨映画部門 文部科学大臣賞」も受賞している。
2017年(平成29年) - スタジオカラー・ドワンゴ・麻生塾の三社で福岡に設立したアニメ制作会社株式会社プロジェクトスタジオQの取締役創作管理統括に就任。
2017年(平成29年) - NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴの二社で設立した株式会社バカー(βακα)の取締役に就任。
2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴ・KADOKAWA・インクストゥエンター・アソビシステムホールディングス でVTuberを起用したモーションキャプチャアニメの制作、およびVTuberの開発・マネジメント・プロデュースなどの事業を展開する合弁会社としてリドを12月14日に設立。
2021年(令和03年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。
『新世紀エヴァンゲリオン画集 DIE STERNE』庵野秀明総監修、角川書店、2003年7月。ISBN 9784048536523。
『ふしぎの海のナディアアニメーション原画集 return of Nadia』「ふしぎの海のナディアアニメーション原画集」編集部編、庵野秀明監修、ガイナックス、2004年12月。ISBN 9784903713090。
安彦良和『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』サンライズ監修、庵野秀明責任編集、氷川竜介構成・編集、角川書店、2013年5月。ISBN 9784041100899。
『新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト』「新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト」編集部編、庵野秀明監修、カラー許諾・監修、グラウンドワークス、2021年1月。ISBN 9784909466020。
第11話の最後で話題に上り、第12話に登場したアニメーション監督では、「菅野光明」の名前で登場。声優は樫井笙人。

1988年(昭和63年)に公開された『火垂るの墓』で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面での軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って描写することを求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
「アニメージュ」1997年1月号で最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく「岡本喜八」と言ってしまうんですけど」と述べている。
1999年(平成11年)、海上自衛隊のドキュメントビデオである『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったという また、『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のマネは得意。
1970年前後生まれのアニメ監督に、庵野を尊敬している人物が多く、水島精二、山本寛、高村和宏、京田知己などは各所のインタビューで度々その旨を語っている。
若い頃は大の風呂嫌いであり、長い時は1年間風呂に入らなかったという。庵野曰く「風呂に入らなくても死なない 死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ オレにはやることがあるので、余ってる時間などない ゆえに風呂になど入らない」「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」とのこと。しかし『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入るようになった。
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