新庄剛志
と 槙原寛己
しんじょう つよし 新庄剛志 |
新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年〈昭和47年〉1月28日 - )は、日本の野球監督、元選手(外野手、内野手・右投右打)。長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区育ち。タレント、実業家、クリエイター(商品プロデューサー、画家、YouTuberなど)、地方競馬全国協会(NAR)の馬主としての側面も持つ。元妻はタレントの大河内志保。紺綬褒章受章(2007年)。2022年シーズンより北海道日本ハムファイターズの監督を務める。監督としての愛称・並びに登録名は「BIGBOSS」(ビッグボス)。 |
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1999年6月12日、巨人との首位攻防戦(甲子園)12回裏同点一死一・三塁の場面(投手:槙原寛己、捕手:光山英和)で敬遠球を打ちサヨナラ安打を記録。
初球の外角への外し方がやや甘い投球を見逃し、自身は「これくらいの球(外し方)なら打てる」と感じ2球目の同様の投球を打ち、三遊間を抜いて左翼前へ転がした。
外し方の甘い投球が来るように、初球の前よりバッターボックス内の三塁側の白線付近で構えておき、遊撃手が二塁ベース寄りに守っていて大きく空いた三遊間を狙ったという 巨人側から「打つ際に踏み込んだ左足がバッターボックスからはみ出しており反則打球ではないか」という抗議があったが、球審の田中俊幸は「バッターボックスの白線に左足のかかとは残っていた(はみ出した足が白線を踏んでいれば反則打球にはならない)」とこれを退けた。
自身は実行3日前の広島戦で敬遠された際にバットを出せば届くのではないかと感じ、予め柏原純一打撃コーチ(現役時代に敬遠球を打ち本塁打にした経験がある)、尻無浜啓造打撃投手と大きく外された投球を打つ練習を行っていた。
また野村監督とも柏原を通し状況により実行許可のサインをもらえるよう打合せていて、実行直前にサインが出されていた。
なお巨人側のこの敬遠策は走者三塁となったための満塁策であるが、前イニング同点の場面での阪神の攻撃においても先頭・新庄の三塁打が出たため満塁策がとられ、後続は三者凡退するという経緯があった。
新庄のこのプレーは引退後の2015年に行われた阪神球団創設80周年特別企画でのファンに対するインターネットアンケート「思い出のシーン ベスト10」にて第6位に選出された。
この試合では他にも、リードされた直後の8回の攻撃で同点ソロ本塁打を放つなど、6打数4安打2打点を記録 12回の守備では、前回の攻撃での代打起用で内野手が足りなくなった事情でプロ初の二塁に就いた(清原和博のセカンドゴロを処理する守備機会もあり)。
ヒーローインタビューでは、最後の質問に対して「明日も勝つ!」と宣言し、そのままお立ち台を離れ自らインタビューを締めた。
しかし翌13日の同対戦でチームは敗戦。
自身も前夜から一転して上原浩治から3打席連続三振を喫するなど5打数無安打に終わった。
自身は前夜の取材では、敬遠球を打つのは一度きりと宣言していたが、この日の試合前にも大きく外された投球を打つ練習を行っていた。
以降しばらくの間、新庄を敬遠する際には相手捕手が投手に対して投球前ごとに大きく外すようジェスチャーを送る姿が見られた。
槙原寛己のYouTubeチャンネルにて少年時代に憧れた選手として鴻野淳基を挙げており、プロ入り当初に一時遊撃手に転向したのも彼の影響だったと語っている。
初球の外角への外し方がやや甘い投球を見逃し、自身は「これくらいの球(外し方)なら打てる」と感じ2球目の同様の投球を打ち、三遊間を抜いて左翼前へ転がした。
外し方の甘い投球が来るように、初球の前よりバッターボックス内の三塁側の白線付近で構えておき、遊撃手が二塁ベース寄りに守っていて大きく空いた三遊間を狙ったという 巨人側から「打つ際に踏み込んだ左足がバッターボックスからはみ出しており反則打球ではないか」という抗議があったが、球審の田中俊幸は「バッターボックスの白線に左足のかかとは残っていた(はみ出した足が白線を踏んでいれば反則打球にはならない)」とこれを退けた。
自身は実行3日前の広島戦で敬遠された際にバットを出せば届くのではないかと感じ、予め柏原純一打撃コーチ(現役時代に敬遠球を打ち本塁打にした経験がある)、尻無浜啓造打撃投手と大きく外された投球を打つ練習を行っていた。
また野村監督とも柏原を通し状況により実行許可のサインをもらえるよう打合せていて、実行直前にサインが出されていた。
なお巨人側のこの敬遠策は走者三塁となったための満塁策であるが、前イニング同点の場面での阪神の攻撃においても先頭・新庄の三塁打が出たため満塁策がとられ、後続は三者凡退するという経緯があった。
新庄のこのプレーは引退後の2015年に行われた阪神球団創設80周年特別企画でのファンに対するインターネットアンケート「思い出のシーン ベスト10」にて第6位に選出された。
この試合では他にも、リードされた直後の8回の攻撃で同点ソロ本塁打を放つなど、6打数4安打2打点を記録 12回の守備では、前回の攻撃での代打起用で内野手が足りなくなった事情でプロ初の二塁に就いた(清原和博のセカンドゴロを処理する守備機会もあり)。
ヒーローインタビューでは、最後の質問に対して「明日も勝つ!」と宣言し、そのままお立ち台を離れ自らインタビューを締めた。
しかし翌13日の同対戦でチームは敗戦。
自身も前夜から一転して上原浩治から3打席連続三振を喫するなど5打数無安打に終わった。
自身は前夜の取材では、敬遠球を打つのは一度きりと宣言していたが、この日の試合前にも大きく外された投球を打つ練習を行っていた。
以降しばらくの間、新庄を敬遠する際には相手捕手が投手に対して投球前ごとに大きく外すようジェスチャーを送る姿が見られた。
槙原寛己のYouTubeチャンネルにて少年時代に憧れた選手として鴻野淳基を挙げており、プロ入り当初に一時遊撃手に転向したのも彼の影響だったと語っている。
2023/3/18(土)



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