アントニオ猪木
と 馬場正平
アントニオ いのき アントニオ猪木 |
アントニオ猪木(アントニオいのき、本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉、1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー・実業家・政治家。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。複数の結婚歴と離婚歴があり(4回結婚している)、二番目の妻は女優の倍賞美津子である。倍賞との間に娘が一人いる。1991年にイラクのシーア派聖地カルバラーにてイスラム教に改宗しており、ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」である。ただし、ワシントン・ポストによると本人は仏教徒とも自認する。 プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表などを歴任。 |
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1960年(昭和35年)9月30日、デビュー戦で大木金太郎(金一=キム・イル)に逆腕固めで敗退。
1961年(昭和36年)5月25日、馬場正平と初対決、羽交い締めで敗退。
以後1963年10月まで16戦全敗。
1964年(昭和39年)3月12日、海外武者修行の初戦において、ハワイにてプリンス・イヤウケアと対戦(猪木のセコンドに付いていた豊登の乱入で反則負け)。
以降、2年後の東京プロレス旗揚げに伴う帰国まで、ディック・ザ・ブルーザー、フレッド・ブラッシー、ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、カウボーイ・ボブ・エリス、マーク・ルーイン、キラー・カール・コックスなどと対戦。
1961年(昭和36年)5月25日、馬場正平と初対決、羽交い締めで敗退。
以後1963年10月まで16戦全敗。
1964年(昭和39年)3月12日、海外武者修行の初戦において、ハワイにてプリンス・イヤウケアと対戦(猪木のセコンドに付いていた豊登の乱入で反則負け)。
以降、2年後の東京プロレス旗揚げに伴う帰国まで、ディック・ザ・ブルーザー、フレッド・ブラッシー、ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、カウボーイ・ボブ・エリス、マーク・ルーイン、キラー・カール・コックスなどと対戦。
2023/6/30(金)



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