松尾貴史
と 北吉洋一
まつお たかし 松尾貴史 |
松尾 貴史(まつお たかし、1960年5月11日 - )は日本の俳優、タレント、コラムニスト。本名は岸 邦浩(きし くにひろ)。旧芸名はキッチュ。キッチュは現在の芸名になってからも愛称として使用されている(特に明石家さんま等関西出身の芸人・タレントから呼ばれている)。 所属事務所は古舘プロジェクト。 演劇ユニット・AGAPE storeの座長のほか、日本文藝家協会会員、雑誌『季刊25時』編集委員(一時休刊中)。元京都造形芸術大学芸術学部映画学科客員教授。 |
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1983年、母校の大阪芸大基礎造形研究室に、非常勤職員として勤務。
夜は、北新地のディスコ「クレオ・パラッツィ」でDJ見習いを務めるもものにならず、スプーン曲げショウタイムのようなことばかりやり続ける。
FM大阪主催フィルムコンサートのラジオCM出演料の8,000円に味をしめる。
グリコ・森永事件のさなかに、かい人21面相対策で制作された、江崎グリコのイメージアップ用テレビCMナレーションを録音したこともある。
1984年、大阪・北新地「クレオ・パラッツィ」店内でスカウトされ、大滝エージェンシーに所属 事務所が、前述のテープをニッポン放送へ送ったことから、夜の9時から10時までの帯番組をいきなり1人でやらされて途方に暮れる。
それを機に、テレビ番組『ザ・テレビ演芸』で「キッチュ」(Kitsch)の芸名でタレント活動を開始(当初、勝ち抜きコーナーに出演した際には本名でチャレンジしている) 『お笑いスター誕生!!』のサバイバルシリーズにもチャレンジしたが、2回戦で敗退 約5年間、東京と大阪の二重生活を送る。
中島らもの公開イベントで共演する事になり、緊張のあまり萎縮していた中島がキッチュに「気違い」の話題を持ちかけ盛り上がり、中島との酒席において無礼で横柄な芸人に絡まれていたキッチュを中島が包皮に明細書を吸着させて支払いを迫るなどの行為で退散させ「この人に一生付いて行こう」と感動 中島の自宅や職場周辺を付きまとい「薫陶」を受け、後、1986年、中島らも主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の旗揚げに参加し、同劇団に、約4年間在籍 東京では、作家の北吉洋一の自宅に「猫の世話をすること」を条件に半ば居候することで、放送局から支給される宿泊費を浮かせていた。
1989年 元日付けで株式会社古舘プロジェクトに移籍。
4月3日、芸名として「松尾貴史」と改名、メインの表記も改める。
「『トークシャワー』(フジテレビ)のレギュラーが決まった時に、報道部からキッチュという名前が難色を示されて変えることになった」とのことで、「タモリ、たけし、さんま、三枝、萩本欽一のようにあ段で始まる名前がいい」と言った所、古舘プロジェクトの当時の社長が「自分の名前(たかし)はどうだ」と言われたといい、本人は「ウルトラQの万城目淳の『万城目』」という名前も考えていたという 結局、古舘伊知郎の妻の旧姓「松尾」に、古舘プロジェクト社長の名前と同音の「貴史」(貴史は本名の「きし(岸)」と読める字を当てた)を合わせた芸名に決定した。
同時に、活動の拠点を東京に移す。
夜は、北新地のディスコ「クレオ・パラッツィ」でDJ見習いを務めるもものにならず、スプーン曲げショウタイムのようなことばかりやり続ける。
FM大阪主催フィルムコンサートのラジオCM出演料の8,000円に味をしめる。
グリコ・森永事件のさなかに、かい人21面相対策で制作された、江崎グリコのイメージアップ用テレビCMナレーションを録音したこともある。
1984年、大阪・北新地「クレオ・パラッツィ」店内でスカウトされ、大滝エージェンシーに所属 事務所が、前述のテープをニッポン放送へ送ったことから、夜の9時から10時までの帯番組をいきなり1人でやらされて途方に暮れる。
それを機に、テレビ番組『ザ・テレビ演芸』で「キッチュ」(Kitsch)の芸名でタレント活動を開始(当初、勝ち抜きコーナーに出演した際には本名でチャレンジしている) 『お笑いスター誕生!!』のサバイバルシリーズにもチャレンジしたが、2回戦で敗退 約5年間、東京と大阪の二重生活を送る。
中島らもの公開イベントで共演する事になり、緊張のあまり萎縮していた中島がキッチュに「気違い」の話題を持ちかけ盛り上がり、中島との酒席において無礼で横柄な芸人に絡まれていたキッチュを中島が包皮に明細書を吸着させて支払いを迫るなどの行為で退散させ「この人に一生付いて行こう」と感動 中島の自宅や職場周辺を付きまとい「薫陶」を受け、後、1986年、中島らも主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の旗揚げに参加し、同劇団に、約4年間在籍 東京では、作家の北吉洋一の自宅に「猫の世話をすること」を条件に半ば居候することで、放送局から支給される宿泊費を浮かせていた。
1989年 元日付けで株式会社古舘プロジェクトに移籍。
4月3日、芸名として「松尾貴史」と改名、メインの表記も改める。
「『トークシャワー』(フジテレビ)のレギュラーが決まった時に、報道部からキッチュという名前が難色を示されて変えることになった」とのことで、「タモリ、たけし、さんま、三枝、萩本欽一のようにあ段で始まる名前がいい」と言った所、古舘プロジェクトの当時の社長が「自分の名前(たかし)はどうだ」と言われたといい、本人は「ウルトラQの万城目淳の『万城目』」という名前も考えていたという 結局、古舘伊知郎の妻の旧姓「松尾」に、古舘プロジェクト社長の名前と同音の「貴史」(貴史は本名の「きし(岸)」と読める字を当てた)を合わせた芸名に決定した。
同時に、活動の拠点を東京に移す。
2020/3/30(月)



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