アントニオ猪木
と 両国国技館
アントニオ いのき アントニオ猪木 |
アントニオ猪木(アントニオいのき、本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉、1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー・実業家・政治家。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。複数の結婚歴と離婚歴があり(4回結婚している)、二番目の妻は女優の倍賞美津子である。倍賞との間に娘が一人いる。1991年にイラクのシーア派聖地カルバラーにてイスラム教に改宗しており、ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」である。ただし、ワシントン・ポストによると本人は仏教徒とも自認する。 プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表などを歴任。 |
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2017年10月21日、両国国技館での『INOKI ISM.2』において自身の生前葬を行う。
猪木は闘病と並行しながらメディアなどへの出演も続け、同年8月21日の日本テレビ『24時間テレビ45』に出演し、車椅子に乗りながら両国国技館に姿を現し、かつて日本テレビのプロレス実況担当アナウンサーでもあった徳光和夫と質疑応答を行った。
これが生前最後のテレビへの出演となった。
同月26日には専属マネジメント会社となる「株式会社猪木元気工場」が設立され、同社の顧問となっている。
その後も、同年12月1日の藤波辰爾の50周年記念大会など出演予定のスケジュールも入れていたが、9月後半に入り急速に体調が悪化し、一時危篤状態に陥るなど自宅で24時間の看護体制で療養を続けていた。
猪木の自宅の近所に住んでいた猪木の実弟に当たる啓介は、亡くなる前日の9月30日夜に猪木の自室に呼ばれて40分程度二人きりで過ごしたという。
その後10月1日早朝、啓介と自宅で看護を続けてきたスタッフにより看取られ、息を引き取った。
猪木没後の10月4日に新日本プロレスから「アントニオ猪木が9月1日付で弊社(新日本プロレスリング株式会社)の終身名誉会長に就任した」ことが発表された。
新日本プロレスによれば10月10日に開催する両国国技館での興行の際に猪木終身名誉会長の就任の件を発表する予定であったという。
2023年3月7日、猪木の正式な本葬となる「アントニオ猪木お別れ会」が両国国技館にて執り行われ、生前の猪木と関わりがあった多くの関係者・ファンら7000人が参列、古館が弔辞を読み、愛弟子の藤波辰爾が亡き師に永訣を告げた。
猪木は第8代自民党総裁・清和政策研究会初代会長の福田赳夫に可愛がられ、福田の実弟の福田宏一が猪木の格闘家としての後援会会長を務め、また福田の愛弟子で第19代自民党総裁・清和会第4代会長森喜朗とも親交が深い。
二階堂進は日本プロレスリングコミッション(新日本プロレス・国際プロレス)のコミッショナーも務めていた。
1985年(昭和60年)、新国技館(両国国技館)の新日本プロレス使用を、前年の蔵前国技館でのファンの暴動騒ぎ(IWGPリーグ戦第二回大会決勝戦の項を参照)から相撲協会が貸し出しを渋った際には、仲介の労をとった。
1993年(平成5年)、元秘書による猪木の金銭スキャンダルを告発した本『議員秘書、捨身の告白』の出版や、1995年(平成7年)にスポーツ平和党の幹事長であった新間寿による猪木の買春疑惑の告発の影響により、同年の参議院選挙で落選する。
猪木は闘病と並行しながらメディアなどへの出演も続け、同年8月21日の日本テレビ『24時間テレビ45』に出演し、車椅子に乗りながら両国国技館に姿を現し、かつて日本テレビのプロレス実況担当アナウンサーでもあった徳光和夫と質疑応答を行った。
これが生前最後のテレビへの出演となった。
同月26日には専属マネジメント会社となる「株式会社猪木元気工場」が設立され、同社の顧問となっている。
その後も、同年12月1日の藤波辰爾の50周年記念大会など出演予定のスケジュールも入れていたが、9月後半に入り急速に体調が悪化し、一時危篤状態に陥るなど自宅で24時間の看護体制で療養を続けていた。
猪木の自宅の近所に住んでいた猪木の実弟に当たる啓介は、亡くなる前日の9月30日夜に猪木の自室に呼ばれて40分程度二人きりで過ごしたという。
その後10月1日早朝、啓介と自宅で看護を続けてきたスタッフにより看取られ、息を引き取った。
猪木没後の10月4日に新日本プロレスから「アントニオ猪木が9月1日付で弊社(新日本プロレスリング株式会社)の終身名誉会長に就任した」ことが発表された。
新日本プロレスによれば10月10日に開催する両国国技館での興行の際に猪木終身名誉会長の就任の件を発表する予定であったという。
2023年3月7日、猪木の正式な本葬となる「アントニオ猪木お別れ会」が両国国技館にて執り行われ、生前の猪木と関わりがあった多くの関係者・ファンら7000人が参列、古館が弔辞を読み、愛弟子の藤波辰爾が亡き師に永訣を告げた。
猪木は第8代自民党総裁・清和政策研究会初代会長の福田赳夫に可愛がられ、福田の実弟の福田宏一が猪木の格闘家としての後援会会長を務め、また福田の愛弟子で第19代自民党総裁・清和会第4代会長森喜朗とも親交が深い。
二階堂進は日本プロレスリングコミッション(新日本プロレス・国際プロレス)のコミッショナーも務めていた。
1985年(昭和60年)、新国技館(両国国技館)の新日本プロレス使用を、前年の蔵前国技館でのファンの暴動騒ぎ(IWGPリーグ戦第二回大会決勝戦の項を参照)から相撲協会が貸し出しを渋った際には、仲介の労をとった。
1993年(平成5年)、元秘書による猪木の金銭スキャンダルを告発した本『議員秘書、捨身の告白』の出版や、1995年(平成7年)にスポーツ平和党の幹事長であった新間寿による猪木の買春疑惑の告発の影響により、同年の参議院選挙で落選する。
2023/6/30(金)



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