筒井康隆
と エノケン
つつい やすたか 筒井康隆 |
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 -)は、日本の小説家・劇作家・俳優である。ホリプロ所属。身長166cm。兵庫県神戸市垂水区在住。 小松左京・星新一と並んで「SF御三家」とも称される。パロディやスラップスティックな笑いを得意とし、初期にはナンセンス文学なSF作品を多数発表。1970年代よりメタフィクションの手法を用いた前衛的な作品が増え、エンターテインメントや純文学といった境界を越える実験作を多数発表している。 戦国時代の武将筒井順慶と同姓であり、その子孫であるとの設定で小説「筒井順慶」を書いている。先祖は筒井順慶家の足軽だったらしい、と筒井は述べている。父は草分け期の日本の動物生態学者で、大阪市立自然史博物館の初代館長筒井嘉隆。実弟のは安藤百福発明記念館 横浜(愛称:カップヌードルミュージアム 横浜)の館長。息子は画家筒井伸輔。孫がいる。 |
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1934年(昭和9年)、父・筒井嘉隆と母・八重の長男として、父方の実家である大阪府大阪市北堀江に出生。
生家は住吉区山坂町(現在の東住吉区山坂)。
筒井は初期に自筆年譜を書き、船場生まれとしていたが、これは複数の勘違いが重なった事によるもので、その後修正されている。
後に弟が3人(正隆、俊隆、之隆)生まれ、男ばかりの兄弟で育つ。
1941年(昭和16年)、南田辺国民学校に入学。
幼少期から漫画と映画に没頭し、小学生時代は『のらくろ』、エノケンに熱中。
自分でも漫画を描いて他の子供に売りつけるなどしていた。
また父が蔵書家であったことから読書好きとなり、小学生の頃は江戸川乱歩を愛読した。
1944年(昭和19年)、吹田市千里山に学童疎開し、千里第二国民学校に転校。
地元の農家の子供から苛烈ないじめを受ける。
終戦後の1946年(昭和21年)、息子の成績不振を心配した父の計らいで大阪市立中大江小学校に転校。
まもなく実施された知能検査で市内トップのIQ178であることが判明し、終戦後、当時大阪市によって設置されていた特別教室(政府設置の特別科学学級とは異なる)に在籍した。
小林信彦 -筒井同様にマルクス兄弟を愛好する作家。
互いの作品をリスペクトしていた。
小林のパロディ小説『唐獅子株式会社』の文庫版解説に、筒井は詳細な元ネタの注を書いた。
筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。
また、小林は筒井の短編「五郎八航空」を「ギャグだけで出来ている小説」として高く評価している。
色川武大 -小林同様に、笑芸愛好、映画愛好と共通の趣味を持ち、互いの作品をリスペクトしていた。
色川は「SF作家にならなくてよかった。
なったら筒井康隆の亜流になっただろう」と、発言している。
小林も含めた3人で、フィルムセンターにて、戦前のエノケン映画などを一緒に見たこともある。
また、色川の膨大なビデオ・コレクションから、借り出しもうけた。
また『不良少年の映画史』の解説も色川が担当 筒井は色川への追悼文で、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人だとし、その中でも特に色川が、「不良少年期、映画、ジャズ、狂気への傾斜、夢へのこだわり」と、もっとも共通点が多い作家であり、「5歳上の兄貴のような存在だった」と書いている。
長部日出雄 - 長部が「週刊読売」に勤務していた時代からのつきあい 筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。
生家は住吉区山坂町(現在の東住吉区山坂)。
筒井は初期に自筆年譜を書き、船場生まれとしていたが、これは複数の勘違いが重なった事によるもので、その後修正されている。
後に弟が3人(正隆、俊隆、之隆)生まれ、男ばかりの兄弟で育つ。
1941年(昭和16年)、南田辺国民学校に入学。
幼少期から漫画と映画に没頭し、小学生時代は『のらくろ』、エノケンに熱中。
自分でも漫画を描いて他の子供に売りつけるなどしていた。
また父が蔵書家であったことから読書好きとなり、小学生の頃は江戸川乱歩を愛読した。
1944年(昭和19年)、吹田市千里山に学童疎開し、千里第二国民学校に転校。
地元の農家の子供から苛烈ないじめを受ける。
終戦後の1946年(昭和21年)、息子の成績不振を心配した父の計らいで大阪市立中大江小学校に転校。
まもなく実施された知能検査で市内トップのIQ178であることが判明し、終戦後、当時大阪市によって設置されていた特別教室(政府設置の特別科学学級とは異なる)に在籍した。
小林信彦 -筒井同様にマルクス兄弟を愛好する作家。
互いの作品をリスペクトしていた。
小林のパロディ小説『唐獅子株式会社』の文庫版解説に、筒井は詳細な元ネタの注を書いた。
筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。
また、小林は筒井の短編「五郎八航空」を「ギャグだけで出来ている小説」として高く評価している。
色川武大 -小林同様に、笑芸愛好、映画愛好と共通の趣味を持ち、互いの作品をリスペクトしていた。
色川は「SF作家にならなくてよかった。
なったら筒井康隆の亜流になっただろう」と、発言している。
小林も含めた3人で、フィルムセンターにて、戦前のエノケン映画などを一緒に見たこともある。
また、色川の膨大なビデオ・コレクションから、借り出しもうけた。
また『不良少年の映画史』の解説も色川が担当 筒井は色川への追悼文で、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人だとし、その中でも特に色川が、「不良少年期、映画、ジャズ、狂気への傾斜、夢へのこだわり」と、もっとも共通点が多い作家であり、「5歳上の兄貴のような存在だった」と書いている。
長部日出雄 - 長部が「週刊読売」に勤務していた時代からのつきあい 筒井は1989年に、「全作品を読んでいる同時代の作家5人」の1人としてあげている。
2016/5/15(日)



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