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千葉真一 真瀬樹里

ちば しんいち
千葉真一
千葉 真一(ちば しんいち、JJ Sonny Chiba, 1939年1月22日 - 2021年8月19日)は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。愛称:千葉ちゃん。本名:前田 禎穂(まえだ さだほ)。 日本を代表する映画スターとして海外ではSonny Chiba(サニー ちば)の名で知られている。特技の器械体操や極真カラテ四段・少林寺拳法弐段・乗馬・スキーを活かした、アクロバティックなスタント・擬斗・殺陣には定評がある。吹き替えに任せず、自ら演じるアクションスターの元祖ともいえる存在で、これまで映画・テレビドラマ・演劇など、計1,500本以上の作品に出演。芸能生活は半世紀以上の60年を越え、ジャパンアクションクラブ (JAC) を設立して俳優・スタントマンを育成し、監督・プロデュースと幅広く活躍していた。



2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。
もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された。
前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ(⇒ #人柄)、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。
後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で型と杉板の試割りを、家族皆で披露した。
勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。
千葉は「あっという間の50年だった。
まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた。
7月末に感染。
せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた。
しかし8月4日に38.8度の熱を発し、PCR検査の数値も悪く、肺炎が悪化。
救急車で搬送され、8日に入院した。
酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変。
18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った。
新田真剣佑はハリウッド映画の撮影で米国に滞在しており、長女・真瀬樹里と次男・眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも、3人は父親の最期を看取ることができなかった。
真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず… しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。
苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。
私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います 父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した。
『寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した。
同ドラマは千葉と長女・真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、新田真剣佑。
眞栄田郷敦の写真を添えている。
2022年8月17日午後、延期となっていた「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 リーガロイヤルホテル東京 3階 ロイヤルホール)が行われた。
発起人は、KADOKAWA執行役員 若泉久朗、日本体育大学理事長 松浪健四郎、千葉県知事 熊谷俊人、倉田プロモーション代表取締役 倉田保昭、映画監督 中島貞夫、映画監督 金子修介、映画監督 北村龍平、映画監督 深作健太、俳優 谷隼人、俳優 真田広之、サンライズジャパン代表取締役 兵頭慶爾、ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長 金田治・代表取締役副社長 西本良治郎、アストライア代表 鈴木哲也。
主催は株式会社アストライア、喪主は真瀬樹里が務めた(協力:株式会社ジャパンアクションエンタープライズ、株式会社東映エージェンシー)。
白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇に真瀬樹里が選んだ千葉の写真が飾られた。
会場内には、千葉が出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた。
午後1時から関係者の部、午後3時から千葉が創立したアクション事務所関係者の部、午後5時から一般の部の3部に分けて行われ、参列者はそれぞれ献花を行った。
千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ、俳優の谷隼人、別所哲也ら約250人が出席した。
スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一 パパは私の誇り」と話している。
高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。
思わず『高平です ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。
2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う」と記している。
テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。
おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と、日本に居たい野際の意志不一致から、1994年に離婚 記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。
1996年に28歳年下の一般女性と再婚。
長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた。
2015年に一般女性と離婚したが、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた。
2023/3/20(月)
2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ(⇒ #人柄)、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で型と杉板の試割りを、家族皆で披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた。

7月末に感染。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた。しかし8月4日に38.8度の熱を発し、PCR検査の数値も悪く、肺炎が悪化。救急車で搬送され、8日に入院した。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影で米国に滞在しており、長女・真瀬樹里と次男・眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも、3人は父親の最期を看取ることができなかった。

真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず… しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました 苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした 私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います 父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した。

『寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した 同ドラマは千葉と長女・真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました 心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、新田真剣佑。眞栄田郷敦の写真を添えている。

2022年8月17日午後、延期となっていた「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 リーガロイヤルホテル東京 3階 ロイヤルホール)が行われた。発起人は、KADOKAWA執行役員 若泉久朗、日本体育大学理事長 松浪健四郎、千葉県知事 熊谷俊人、倉田プロモーション代表取締役 倉田保昭、映画監督 中島貞夫、映画監督 金子修介、映画監督 北村龍平、映画監督 深作健太、俳優 谷隼人、俳優 真田広之、サンライズジャパン代表取締役 兵頭慶爾、ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長 金田治・代表取締役副社長 西本良治郎、アストライア代表 鈴木哲也。主催は株式会社アストライア、喪主は真瀬樹里が務めた(協力:株式会社ジャパンアクションエンタープライズ、株式会社東映エージェンシー)。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇に真瀬樹里が選んだ千葉の写真が飾られた。会場内には、千葉が出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた。 午後1時から関係者の部、午後3時から千葉が創立したアクション事務所関係者の部、午後5時から一般の部の3部に分けて行われ、参列者はそれぞれ献花を行った。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ、俳優の谷隼人、別所哲也ら約250人が出席した。

スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一 パパは私の誇り」と話している 高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた 思わず『高平です ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた 2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う」と記している。

テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と、日本に居たい野際の意志不一致から、1994年に離婚 記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた。2015年に一般女性と離婚したが、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた。
2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ(⇒ #人柄)、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で型と杉板の試割りを、家族皆で披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた。

7月末に感染。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた。しかし8月4日に38.8度の熱を発し、PCR検査の数値も悪く、肺炎が悪化。救急車で搬送され、8日に入院した。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影で米国に滞在しており、長女・真瀬樹里と次男・眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも、3人は父親の最期を看取ることができなかった。

真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず… しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました 苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした 私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います 父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した。

『寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した 同ドラマは千葉と長女・真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました 心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、新田真剣佑。眞栄田郷敦の写真を添えている。

2022年8月17日午後、延期となっていた「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 リーガロイヤルホテル東京 3階 ロイヤルホール)が行われた。発起人は、KADOKAWA執行役員 若泉久朗、日本体育大学理事長 松浪健四郎、千葉県知事 熊谷俊人、倉田プロモーション代表取締役 倉田保昭、映画監督 中島貞夫、映画監督 金子修介、映画監督 北村龍平、映画監督 深作健太、俳優 谷隼人、俳優 真田広之、サンライズジャパン代表取締役 兵頭慶爾、ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長 金田治・代表取締役副社長 西本良治郎、アストライア代表 鈴木哲也。主催は株式会社アストライア、喪主は真瀬樹里が務めた(協力:株式会社ジャパンアクションエンタープライズ、株式会社東映エージェンシー)。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇に真瀬樹里が選んだ千葉の写真が飾られた。会場内には、千葉が出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた。 午後1時から関係者の部、午後3時から千葉が創立したアクション事務所関係者の部、午後5時から一般の部の3部に分けて行われ、参列者はそれぞれ献花を行った。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ、俳優の谷隼人、別所哲也ら約250人が出席した。

スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一 パパは私の誇り」と話している 高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた 思わず『高平です ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた 2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う」と記している。

テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と、日本に居たい野際の意志不一致から、1994年に離婚 記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた。2015年に一般女性と離婚したが、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた。
2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ(⇒ #人柄)、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で型と杉板の試割りを、家族皆で披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた。

7月末に感染。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた。しかし8月4日に38.8度の熱を発し、PCR検査の数値も悪く、肺炎が悪化。救急車で搬送され、8日に入院した。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影で米国に滞在しており、長女・真瀬樹里と次男・眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも、3人は父親の最期を看取ることができなかった。

真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず… しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました 苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした 私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います 父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した。

『寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した 同ドラマは千葉と長女・真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました 心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、新田真剣佑。眞栄田郷敦の写真を添えている。

2022年8月17日午後、延期となっていた「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 リーガロイヤルホテル東京 3階 ロイヤルホール)が行われた。発起人は、KADOKAWA執行役員 若泉久朗、日本体育大学理事長 松浪健四郎、千葉県知事 熊谷俊人、倉田プロモーション代表取締役 倉田保昭、映画監督 中島貞夫、映画監督 金子修介、映画監督 北村龍平、映画監督 深作健太、俳優 谷隼人、俳優 真田広之、サンライズジャパン代表取締役 兵頭慶爾、ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役社長 金田治・代表取締役副社長 西本良治郎、アストライア代表 鈴木哲也。主催は株式会社アストライア、喪主は真瀬樹里が務めた(協力:株式会社ジャパンアクションエンタープライズ、株式会社東映エージェンシー)。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇に真瀬樹里が選んだ千葉の写真が飾られた。会場内には、千葉が出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた。 午後1時から関係者の部、午後3時から千葉が創立したアクション事務所関係者の部、午後5時から一般の部の3部に分けて行われ、参列者はそれぞれ献花を行った。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ、俳優の谷隼人、別所哲也ら約250人が出席した。

スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一 パパは私の誇り」と話している 高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた 思わず『高平です ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた 2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う」と記している。

テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と、日本に居たい野際の意志不一致から、1994年に離婚 記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた。2015年に一般女性と離婚したが、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた。
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