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蛭子能収 根本敬

えびす よしかず
蛭子能収
蛭子 能収(えびす よしかず、1947年10月21日 - )は、日本の漫画家、タレント、エッセイスト。ファザーズコーポレーション所属。



1981年には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。
その後はカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』(流行通信)にも登場 スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)1982年3月号では山崎春美のスーパー変態インタビューに応じ、新進気鋭の異端漫画家としてメディアに素顔を現すようになる。
同年には長井勝一の著書『「ガロ」編集長』(筑摩書房)の出版記念パーティーに出席し、特殊漫画家の根本敬と邂逅する。
三流劇画ムーブメント以降は根本敬、平口広美、丸尾末広、宮西計三、川崎ゆきお、ひさうちみちおらガロ系の漫画家と共に官能劇画誌『漫画ピラニア』(辰巳出版)『漫画ラブ&エロス』(日本出版社)自動販売機本『フォトジェニカ』『コレクター』(海鳴書房/群雄社)『ガール&ガール』『ルーシー』『イヴ』(アリス出版)などマイナーなエロ本で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と称される。
1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。
2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。
メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。
担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。
2010年には根本の依頼で国際特殊機関「ハッテンバプロダクション」を結成する。
メンバーは蛭子能収、根本敬、佐川一政 これは「蛭子漫画が世界的に無名未評価でいいのか」という根本の考えから、漫画家としての蛭子能収やパリ人肉事件の佐川一政をアーティストとして海外に売り込む目的で旗揚げされたアート集団である。
「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミック作家のなかでも、特殊漫画家の根本敬・山野一・平口広美と並び極北に位置する最も過激な作風の不条理漫画家である。
読む人を選ぶ非常にシュールな作風であり、不条理ギャグやギャンブルについての4コマ漫画、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界を描き出す精神分裂的な作風で知られている。
根本敬・山田花子・大槻ケンヂ・山野一・花くまゆうさく・福満しげゆき・巻上公一・水野しず・武内享・遠藤ミチロウ・柄本明など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のアングラ・サブカルチャー界を席巻した事でも知られている。
独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画」というようなものになる。
作品は狂気と悪意に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている。
登場人物は平凡なサラリーマンである事が多く、いずれも尋常でない汗をかいている。
背景の舞台装置には何故かストーリーに関係なくUFOやドクロが置かれ、ストーリーの内容も「因果で陰鬱なプロット」「意味のない掛け合い」「オチのない結末」などが多く、救いのないオチがほとんどで、もはや言語解説不可能な域に達している。
特殊漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と述べており、内面からの狂気を描いたブラックな作品が多い 呉智英は蛭子漫画について「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と評している。
また早くから「ヘタウマ」というジャンルを確立した一人でもある。
また初期作品の評価が高く『ガロ』副編集長の白取千夏雄は「青林堂から刊行された初期の『地獄に堕ちた教師ども』から『なんとなくピンピン』あたりまでの作品は本当に凄いと思っている。
中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも『天才』だとさえ思う」と述べている。
特殊漫画家の根本敬も「特に最初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』と2冊目の『私はバカになりたい』は本当に凄いなァと何度読んでも感心し、そして深く胸に突き刺さった」と告白しており、「こんな漫画、絶対俺には描けない」と密かにコンプレックスを抱いていたことを明かしている。
漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、難解な前衛漫画を描く謎の天才漫画家として同業者やマニアックな読者に「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある。
根本敬は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について「神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね それで蛭子さんと実際に会って嘘だろ!って やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね」と大ショックを受けたことを自著『因果鉄道の旅』で回想している。
蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという 後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」とインタビューで自虐したことがある。
根本敬も「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である」と述べている。
因果者・電波系人間探訪の権威にして特殊漫画大統領の根本敬は1982年に蛭子と邂逅して以来、蛭子ウォッチャーと称して定点観測やフィールドワークを長年続けている。
また根本は著書や講演などを通して蛭子の恐怖伝説を広く一般に普及させた蛭子研究家の第一人者としても知られており、「うわべの素朴でお人好しなキャラクターとは裏腹に、その無意識、深層、いや存在の根源においてこれほどしたたかな奴は世界中探してもいない」「普通のおっさんに見えるが実はあれは余りの異常さが一回りして普通の地点に戻った普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に遭う」とも語っている。
影響を受けた漫画家につげ義春、花輪和一、渡辺和博、平口広美、湯村輝彦、山森ススム、辰巳ヨシヒロを挙げている。
『ガロ』の後輩漫画家である平口広美とは古くから交流を持っており、かつて所沢航空記念公園で蛭子チームと平口チームに分かれて根本敬、近藤ようこ、友沢ミミヨ、杉作J太郎、原律子、イワモトケンチらと共に漫画家野球対決も行っていた。
また特殊漫画家の根本敬とは2008年に「蛭子劇画プロダクション」という漫画共作ユニットを結成し、それぞれの画風・作風を真似て競作するなど関係は深い(ただし蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが) ちなみに平口広美が監督したアダルトビデオ『オジさんは泣いてます』(ビップ 1992年9月)には根本敬と共に友情出演したこともある。
蛭子は根本敬の出版記念パーティーで手土産に「トランクス1枚と72分の生カセットテープ2本」を持参してきたことがある。
これについて根本は「あれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね それ以上でも以下でもない」と分析している。
後輩漫画家の山野一は高校時代に自販機本『Jam』に掲載された蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」で初めて蛭子の漫画を読み大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。
巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している。
また山野は「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった。
これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている。
『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した。
その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
テレビ出演当初から「温厚で気が弱そうな人畜無害おじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる。
そのため、いじられキャラやヨゴレキャラとしてバラエティ番組に出演させられることが多くなり、番組内でギョウ虫検査を受けさせられた事もある。
なかでも日本テレビの大晦日特番『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈なトラウマを植え付けた(ちなみに塩大福を食べたのは月亭方正と遠藤章造) しかし本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である。
これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか 言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね」と理由を述べている。
漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、その"くまのプーさん"の着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった」と分析しており、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした。
だって、それではウソになってしまうから それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです」と述べている。
楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。
そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂も流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです 別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い」と独自の自論を述べている。
交通事故死した自身のファンクラブ会長の遺体と霊安室で対面した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなったという逸話がある。
また根本敬の証言によれば『なんとなくピンピン』のサイン本を貰った人間のうち4人が交通事故に遭っており、そのうち2人は死亡している。
サイン本を貰っていたみうらじゅんもタイでバイク事故に巻き込まれ、麻酔も打たずに手術を受ける羽目になったという これらのエピソードから根本は「直接ではないが間接的には何人も殺している」とも語っている。
また根本の担当編集者であった白取千夏雄も「蛭子さんを『理解せず』付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ」と警鐘を鳴らしていた。
真昼の暗黒展 (1986年 HBギャラリー) - 根本敬との合同展示会。
自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展(2013年 @btf) - ハッテンバプロダクション(蛭子能収・根本敬・佐川一政)の合同展であったが、ギャラリーとの間で紛議が生じ、根本敬と佐川一政の作品が会期途中で撤去された後、完全撤退となった。
自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展(2013年 Galaxy-銀河系) - ハッテンバプロダクションのやり直し合同展示会。
オジさんは泣いてます(VIP/1992年) - 平口広美監督作品。
根本敬と共に友情出演。
根本敬「日常風景としての地獄」189-191頁。
2018/3/30(金)
1981年には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する その後はカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』(流行通信)にも登場 スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)1982年3月号では山崎春美のスーパー変態インタビューに応じ、新進気鋭の異端漫画家としてメディアに素顔を現すようになる 同年には長井勝一の著書『「ガロ」編集長』(筑摩書房)の出版記念パーティーに出席し、特殊漫画家の根本敬と邂逅する。

三流劇画ムーブメント以降は根本敬、平口広美、丸尾末広、宮西計三、川崎ゆきお、ひさうちみちおらガロ系の漫画家と共に官能劇画誌『漫画ピラニア』(辰巳出版)『漫画ラブ&エロス』(日本出版社)自動販売機本『フォトジェニカ』『コレクター』(海鳴書房/群雄社)『ガール&ガール』『ルーシー』『イヴ』(アリス出版)などマイナーなエロ本で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と称される。

1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。

2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。

2010年には根本の依頼で国際特殊機関「ハッテンバプロダクション」を結成する メンバーは蛭子能収、根本敬、佐川一政 これは「蛭子漫画が世界的に無名未評価でいいのか」という根本の考えから、漫画家としての蛭子能収やパリ人肉事件の佐川一政をアーティストとして海外に売り込む目的で旗揚げされたアート集団である。

「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミック作家のなかでも、特殊漫画家の根本敬・山野一・平口広美と並び極北に位置する最も過激な作風の不条理漫画家である。読む人を選ぶ非常にシュールな作風であり、不条理ギャグやギャンブルについての4コマ漫画、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界を描き出す精神分裂的な作風で知られている。

根本敬・山田花子・大槻ケンヂ・山野一・花くまゆうさく・福満しげゆき・巻上公一・水野しず・武内享・遠藤ミチロウ・柄本明など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のアングラ・サブカルチャー界を席巻した事でも知られている。

独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画」というようなものになる 作品は狂気と悪意に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている 登場人物は平凡なサラリーマンである事が多く、いずれも尋常でない汗をかいている 背景の舞台装置には何故かストーリーに関係なくUFOやドクロが置かれ、ストーリーの内容も「因果で陰鬱なプロット」「意味のない掛け合い」「オチのない結末」などが多く、救いのないオチがほとんどで、もはや言語解説不可能な域に達している 特殊漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と述べており、内面からの狂気を描いたブラックな作品が多い 呉智英は蛭子漫画について「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と評している また早くから「ヘタウマ」というジャンルを確立した一人でもある。

また初期作品の評価が高く『ガロ』副編集長の白取千夏雄は「青林堂から刊行された初期の『地獄に堕ちた教師ども』から『なんとなくピンピン』あたりまでの作品は本当に凄いと思っている 中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも『天才』だとさえ思う」と述べている 特殊漫画家の根本敬も「特に最初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』と2冊目の『私はバカになりたい』は本当に凄いなァと何度読んでも感心し、そして深く胸に突き刺さった」と告白しており、「こんな漫画、絶対俺には描けない」と密かにコンプレックスを抱いていたことを明かしている。

漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、難解な前衛漫画を描く謎の天才漫画家として同業者やマニアックな読者に「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある 根本敬は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について「神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね それで蛭子さんと実際に会って嘘だろ!って やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね」と大ショックを受けたことを自著『因果鉄道の旅』で回想している。

蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという 後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」とインタビューで自虐したことがある 根本敬も「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である」と述べている。

因果者・電波系人間探訪の権威にして特殊漫画大統領の根本敬は1982年に蛭子と邂逅して以来、蛭子ウォッチャーと称して定点観測やフィールドワークを長年続けている。また根本は著書や講演などを通して蛭子の恐怖伝説を広く一般に普及させた蛭子研究家の第一人者としても知られており、「うわべの素朴でお人好しなキャラクターとは裏腹に、その無意識、深層、いや存在の根源においてこれほどしたたかな奴は世界中探してもいない」「普通のおっさんに見えるが実はあれは余りの異常さが一回りして普通の地点に戻った普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に遭う」とも語っている。

影響を受けた漫画家につげ義春、花輪和一、渡辺和博、平口広美、湯村輝彦、山森ススム、辰巳ヨシヒロを挙げている。
『ガロ』の後輩漫画家である平口広美とは古くから交流を持っており、かつて所沢航空記念公園で蛭子チームと平口チームに分かれて根本敬、近藤ようこ、友沢ミミヨ、杉作J太郎、原律子、イワモトケンチらと共に漫画家野球対決も行っていた また特殊漫画家の根本敬とは2008年に「蛭子劇画プロダクション」という漫画共作ユニットを結成し、それぞれの画風・作風を真似て競作するなど関係は深い(ただし蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが) ちなみに平口広美が監督したアダルトビデオ『オジさんは泣いてます』(ビップ 1992年9月)には根本敬と共に友情出演したこともある。
蛭子は根本敬の出版記念パーティーで手土産に「トランクス1枚と72分の生カセットテープ2本」を持参してきたことがある これについて根本は「あれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね それ以上でも以下でもない」と分析している。
後輩漫画家の山野一は高校時代に自販機本『Jam』に掲載された蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」で初めて蛭子の漫画を読み大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった 巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している また山野は「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
 1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている 『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
 2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
テレビ出演当初から「温厚で気が弱そうな人畜無害おじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる そのため、いじられキャラやヨゴレキャラとしてバラエティ番組に出演させられることが多くなり、番組内でギョウ虫検査を受けさせられた事もある なかでも日本テレビの大晦日特番『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈なトラウマを植え付けた(ちなみに塩大福を食べたのは月亭方正と遠藤章造) しかし本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか 言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね」と理由を述べている。
漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、そのくまのプーさんの着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった」と分析しており、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした だって、それではウソになってしまうから それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです」と述べている。
 楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂も流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです 別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い」と独自の自論を述べている。
交通事故死した自身のファンクラブ会長の遺体と霊安室で対面した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなったという逸話がある また根本敬の証言によれば『なんとなくピンピン』のサイン本を貰った人間のうち4人が交通事故に遭っており、そのうち2人は死亡している サイン本を貰っていたみうらじゅんもタイでバイク事故に巻き込まれ、麻酔も打たずに手術を受ける羽目になったという これらのエピソードから根本は「直接ではないが間接的には何人も殺している」とも語っている また根本の担当編集者であった白取千夏雄も「蛭子さんを『理解せず』付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ」と警鐘を鳴らしていた。

真昼の暗黒展 (1986年 HBギャラリー) - 根本敬との合同展示会。

自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展(2013年 @btf) - ハッテンバプロダクション(蛭子能収・根本敬・佐川一政)の合同展であったが、ギャラリーとの間で紛議が生じ、根本敬と佐川一政の作品が会期途中で撤去された後、完全撤退となった。
自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展(2013年 Galaxy-銀河系) - ハッテンバプロダクションのやり直し合同展示会。

オジさんは泣いてます(VIP/1992年) - 平口広美監督作品。根本敬と共に友情出演。

根本敬「日常風景としての地獄」189-191頁。
1981年には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する その後はカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』(流行通信)にも登場 スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)1982年3月号では山崎春美のスーパー変態インタビューに応じ、新進気鋭の異端漫画家としてメディアに素顔を現すようになる 同年には長井勝一の著書『「ガロ」編集長』(筑摩書房)の出版記念パーティーに出席し、特殊漫画家の根本敬と邂逅する。

三流劇画ムーブメント以降は根本敬、平口広美、丸尾末広、宮西計三、川崎ゆきお、ひさうちみちおらガロ系の漫画家と共に官能劇画誌『漫画ピラニア』(辰巳出版)『漫画ラブ&エロス』(日本出版社)自動販売機本『フォトジェニカ』『コレクター』(海鳴書房/群雄社)『ガール&ガール』『ルーシー』『イヴ』(アリス出版)などマイナーなエロ本で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と称される。

1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。

2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。

2010年には根本の依頼で国際特殊機関「ハッテンバプロダクション」を結成する メンバーは蛭子能収、根本敬、佐川一政 これは「蛭子漫画が世界的に無名未評価でいいのか」という根本の考えから、漫画家としての蛭子能収やパリ人肉事件の佐川一政をアーティストとして海外に売り込む目的で旗揚げされたアート集団である。

「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミック作家のなかでも、特殊漫画家の根本敬・山野一・平口広美と並び極北に位置する最も過激な作風の不条理漫画家である。読む人を選ぶ非常にシュールな作風であり、不条理ギャグやギャンブルについての4コマ漫画、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界を描き出す精神分裂的な作風で知られている。

根本敬・山田花子・大槻ケンヂ・山野一・花くまゆうさく・福満しげゆき・巻上公一・水野しず・武内享・遠藤ミチロウ・柄本明など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のアングラ・サブカルチャー界を席巻した事でも知られている。

独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画」というようなものになる 作品は狂気と悪意に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている 登場人物は平凡なサラリーマンである事が多く、いずれも尋常でない汗をかいている 背景の舞台装置には何故かストーリーに関係なくUFOやドクロが置かれ、ストーリーの内容も「因果で陰鬱なプロット」「意味のない掛け合い」「オチのない結末」などが多く、救いのないオチがほとんどで、もはや言語解説不可能な域に達している 特殊漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と述べており、内面からの狂気を描いたブラックな作品が多い 呉智英は蛭子漫画について「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と評している また早くから「ヘタウマ」というジャンルを確立した一人でもある。

また初期作品の評価が高く『ガロ』副編集長の白取千夏雄は「青林堂から刊行された初期の『地獄に堕ちた教師ども』から『なんとなくピンピン』あたりまでの作品は本当に凄いと思っている 中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも『天才』だとさえ思う」と述べている 特殊漫画家の根本敬も「特に最初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』と2冊目の『私はバカになりたい』は本当に凄いなァと何度読んでも感心し、そして深く胸に突き刺さった」と告白しており、「こんな漫画、絶対俺には描けない」と密かにコンプレックスを抱いていたことを明かしている。

漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、難解な前衛漫画を描く謎の天才漫画家として同業者やマニアックな読者に「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある 根本敬は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について「神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね それで蛭子さんと実際に会って嘘だろ!って やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね」と大ショックを受けたことを自著『因果鉄道の旅』で回想している。

蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという 後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」とインタビューで自虐したことがある 根本敬も「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である」と述べている。

因果者・電波系人間探訪の権威にして特殊漫画大統領の根本敬は1982年に蛭子と邂逅して以来、蛭子ウォッチャーと称して定点観測やフィールドワークを長年続けている。また根本は著書や講演などを通して蛭子の恐怖伝説を広く一般に普及させた蛭子研究家の第一人者としても知られており、「うわべの素朴でお人好しなキャラクターとは裏腹に、その無意識、深層、いや存在の根源においてこれほどしたたかな奴は世界中探してもいない」「普通のおっさんに見えるが実はあれは余りの異常さが一回りして普通の地点に戻った普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に遭う」とも語っている。

影響を受けた漫画家につげ義春、花輪和一、渡辺和博、平口広美、湯村輝彦、山森ススム、辰巳ヨシヒロを挙げている。
『ガロ』の後輩漫画家である平口広美とは古くから交流を持っており、かつて所沢航空記念公園で蛭子チームと平口チームに分かれて根本敬、近藤ようこ、友沢ミミヨ、杉作J太郎、原律子、イワモトケンチらと共に漫画家野球対決も行っていた また特殊漫画家の根本敬とは2008年に「蛭子劇画プロダクション」という漫画共作ユニットを結成し、それぞれの画風・作風を真似て競作するなど関係は深い(ただし蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが) ちなみに平口広美が監督したアダルトビデオ『オジさんは泣いてます』(ビップ 1992年9月)には根本敬と共に友情出演したこともある。
蛭子は根本敬の出版記念パーティーで手土産に「トランクス1枚と72分の生カセットテープ2本」を持参してきたことがある これについて根本は「あれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね それ以上でも以下でもない」と分析している。
後輩漫画家の山野一は高校時代に自販機本『Jam』に掲載された蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」で初めて蛭子の漫画を読み大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった 巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している また山野は「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
 1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている 『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
 2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
テレビ出演当初から「温厚で気が弱そうな人畜無害おじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる そのため、いじられキャラやヨゴレキャラとしてバラエティ番組に出演させられることが多くなり、番組内でギョウ虫検査を受けさせられた事もある なかでも日本テレビの大晦日特番『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈なトラウマを植え付けた(ちなみに塩大福を食べたのは月亭方正と遠藤章造) しかし本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか 言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね」と理由を述べている。
漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、そのくまのプーさんの着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった」と分析しており、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした だって、それではウソになってしまうから それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです」と述べている。
 楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂も流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです 別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い」と独自の自論を述べている。
交通事故死した自身のファンクラブ会長の遺体と霊安室で対面した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなったという逸話がある また根本敬の証言によれば『なんとなくピンピン』のサイン本を貰った人間のうち4人が交通事故に遭っており、そのうち2人は死亡している サイン本を貰っていたみうらじゅんもタイでバイク事故に巻き込まれ、麻酔も打たずに手術を受ける羽目になったという これらのエピソードから根本は「直接ではないが間接的には何人も殺している」とも語っている また根本の担当編集者であった白取千夏雄も「蛭子さんを『理解せず』付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ」と警鐘を鳴らしていた。

真昼の暗黒展 (1986年 HBギャラリー) - 根本敬との合同展示会。

自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展(2013年 @btf) - ハッテンバプロダクション(蛭子能収・根本敬・佐川一政)の合同展であったが、ギャラリーとの間で紛議が生じ、根本敬と佐川一政の作品が会期途中で撤去された後、完全撤退となった。
自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展(2013年 Galaxy-銀河系) - ハッテンバプロダクションのやり直し合同展示会。

オジさんは泣いてます(VIP/1992年) - 平口広美監督作品。根本敬と共に友情出演。

根本敬「日常風景としての地獄」189-191頁。
1981年には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する その後はカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』(流行通信)にも登場 スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)1982年3月号では山崎春美のスーパー変態インタビューに応じ、新進気鋭の異端漫画家としてメディアに素顔を現すようになる 同年には長井勝一の著書『「ガロ」編集長』(筑摩書房)の出版記念パーティーに出席し、特殊漫画家の根本敬と邂逅する。

三流劇画ムーブメント以降は根本敬、平口広美、丸尾末広、宮西計三、川崎ゆきお、ひさうちみちおらガロ系の漫画家と共に官能劇画誌『漫画ピラニア』(辰巳出版)『漫画ラブ&エロス』(日本出版社)自動販売機本『フォトジェニカ』『コレクター』(海鳴書房/群雄社)『ガール&ガール』『ルーシー』『イヴ』(アリス出版)などマイナーなエロ本で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と称される。

1997年、青林堂の内紛騒動で『ガロ』が休刊 以降は青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』に移籍し、特殊漫画家の根本敬らと共作活動を行う(後述)。

2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーの第一人者でもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成し、青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』を拠点に現在も活動中である。メンバーは蛭子能収、根本敬、安部慎一(現在は脱退)、マスクベビー(湯村輝彦の息子)。担当編集者は青林工藝舎の高市真紀。

2010年には根本の依頼で国際特殊機関「ハッテンバプロダクション」を結成する メンバーは蛭子能収、根本敬、佐川一政 これは「蛭子漫画が世界的に無名未評価でいいのか」という根本の考えから、漫画家としての蛭子能収やパリ人肉事件の佐川一政をアーティストとして海外に売り込む目的で旗揚げされたアート集団である。

「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミック作家のなかでも、特殊漫画家の根本敬・山野一・平口広美と並び極北に位置する最も過激な作風の不条理漫画家である。読む人を選ぶ非常にシュールな作風であり、不条理ギャグやギャンブルについての4コマ漫画、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界を描き出す精神分裂的な作風で知られている。

根本敬・山田花子・大槻ケンヂ・山野一・花くまゆうさく・福満しげゆき・巻上公一・水野しず・武内享・遠藤ミチロウ・柄本明など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のアングラ・サブカルチャー界を席巻した事でも知られている。

独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画」というようなものになる 作品は狂気と悪意に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている 登場人物は平凡なサラリーマンである事が多く、いずれも尋常でない汗をかいている 背景の舞台装置には何故かストーリーに関係なくUFOやドクロが置かれ、ストーリーの内容も「因果で陰鬱なプロット」「意味のない掛け合い」「オチのない結末」などが多く、救いのないオチがほとんどで、もはや言語解説不可能な域に達している 特殊漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と述べており、内面からの狂気を描いたブラックな作品が多い 呉智英は蛭子漫画について「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と評している また早くから「ヘタウマ」というジャンルを確立した一人でもある。

また初期作品の評価が高く『ガロ』副編集長の白取千夏雄は「青林堂から刊行された初期の『地獄に堕ちた教師ども』から『なんとなくピンピン』あたりまでの作品は本当に凄いと思っている 中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも『天才』だとさえ思う」と述べている 特殊漫画家の根本敬も「特に最初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』と2冊目の『私はバカになりたい』は本当に凄いなァと何度読んでも感心し、そして深く胸に突き刺さった」と告白しており、「こんな漫画、絶対俺には描けない」と密かにコンプレックスを抱いていたことを明かしている。

漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、難解な前衛漫画を描く謎の天才漫画家として同業者やマニアックな読者に「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある 根本敬は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について「神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね それで蛭子さんと実際に会って嘘だろ!って やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね」と大ショックを受けたことを自著『因果鉄道の旅』で回想している。

蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという 後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」とインタビューで自虐したことがある 根本敬も「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である」と述べている。

因果者・電波系人間探訪の権威にして特殊漫画大統領の根本敬は1982年に蛭子と邂逅して以来、蛭子ウォッチャーと称して定点観測やフィールドワークを長年続けている。また根本は著書や講演などを通して蛭子の恐怖伝説を広く一般に普及させた蛭子研究家の第一人者としても知られており、「うわべの素朴でお人好しなキャラクターとは裏腹に、その無意識、深層、いや存在の根源においてこれほどしたたかな奴は世界中探してもいない」「普通のおっさんに見えるが実はあれは余りの異常さが一回りして普通の地点に戻った普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に遭う」とも語っている。

影響を受けた漫画家につげ義春、花輪和一、渡辺和博、平口広美、湯村輝彦、山森ススム、辰巳ヨシヒロを挙げている。
『ガロ』の後輩漫画家である平口広美とは古くから交流を持っており、かつて所沢航空記念公園で蛭子チームと平口チームに分かれて根本敬、近藤ようこ、友沢ミミヨ、杉作J太郎、原律子、イワモトケンチらと共に漫画家野球対決も行っていた また特殊漫画家の根本敬とは2008年に「蛭子劇画プロダクション」という漫画共作ユニットを結成し、それぞれの画風・作風を真似て競作するなど関係は深い(ただし蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが) ちなみに平口広美が監督したアダルトビデオ『オジさんは泣いてます』(ビップ 1992年9月)には根本敬と共に友情出演したこともある。
蛭子は根本敬の出版記念パーティーで手土産に「トランクス1枚と72分の生カセットテープ2本」を持参してきたことがある これについて根本は「あれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね それ以上でも以下でもない」と分析している。
後輩漫画家の山野一は高校時代に自販機本『Jam』に掲載された蛭子の再デビュー作「不確実性の家族」で初めて蛭子の漫画を読み大ショックを受けたという 後に山野は「何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった 巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している また山野は「根本敬さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ 自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは 絶対勝てないですよ あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている。
 1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません でも、いいんです オレはアングラの世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている 『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『アックス』の連載でも青林工藝舎の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した その後『アックス』(青林工藝舎)102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を根本敬との共作で発表している。
 2016年2月13日放送の『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
テレビ出演当初から「温厚で気が弱そうな人畜無害おじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる そのため、いじられキャラやヨゴレキャラとしてバラエティ番組に出演させられることが多くなり、番組内でギョウ虫検査を受けさせられた事もある なかでも日本テレビの大晦日特番『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈なトラウマを植え付けた(ちなみに塩大福を食べたのは月亭方正と遠藤章造) しかし本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか 言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね」と理由を述べている。
漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、そのくまのプーさんの着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった」と分析しており、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした だって、それではウソになってしまうから それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです」と述べている。
 楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂も流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです 別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い」と独自の自論を述べている。
交通事故死した自身のファンクラブ会長の遺体と霊安室で対面した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなったという逸話がある また根本敬の証言によれば『なんとなくピンピン』のサイン本を貰った人間のうち4人が交通事故に遭っており、そのうち2人は死亡している サイン本を貰っていたみうらじゅんもタイでバイク事故に巻き込まれ、麻酔も打たずに手術を受ける羽目になったという これらのエピソードから根本は「直接ではないが間接的には何人も殺している」とも語っている また根本の担当編集者であった白取千夏雄も「蛭子さんを『理解せず』付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ」と警鐘を鳴らしていた。

真昼の暗黒展 (1986年 HBギャラリー) - 根本敬との合同展示会。

自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展(2013年 @btf) - ハッテンバプロダクション(蛭子能収・根本敬・佐川一政)の合同展であったが、ギャラリーとの間で紛議が生じ、根本敬と佐川一政の作品が会期途中で撤去された後、完全撤退となった。
自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展(2013年 Galaxy-銀河系) - ハッテンバプロダクションのやり直し合同展示会。

オジさんは泣いてます(VIP/1992年) - 平口広美監督作品。根本敬と共に友情出演。

根本敬「日常風景としての地獄」189-191頁。
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