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ウッチャンナンチャン ショートコント

ウッチャンナンチャン
ウッチャンナンチャン
ウッチャンナンチャンは、内村光良(ウッチャン)と南原清隆(ナンチャン)から成る、日本のお笑いコンビ。通称「ウンナン」、「UN」。マセキ芸能社所属。

matome.naver.jp

matome-sokuhou2ch.com

sublowtown.blog.jp
1985年、横浜放送映画専門学院(現日本映画大学)の漫才の講義で一緒に組んだのをきっかけとして、コンビ結成。
この時に講師をしていた内海桂子・好江の薦めで、マセキ芸能社所属のタレントとなる。
ウンナンを初めて見た好江は、2人の才能を見抜き、「この2人を絶対に逃しちゃダメよ!」と涙ながらに言ったという お笑いコンビとしては『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)から本格的な活動を始めた。
その頃のコンビ名は「おあずけブラザーズ」(おあずけシスターズをもじって命名)であった。
ショートコント』を流行らせた第一人者でもある。
1987年、専門学校の同期生である出川哲朗、入江雅人らと劇団SHA・LA・LAを結成し、演劇役者としても活動。
内村は、脚本と演出も担当した。
因みに、長谷川初範が先輩であったことをラジオ等でネタにした事もあった。
新人時代は7分〜10分間程度の長尺のコントをやっていたが、ラ・ママ新人コント大会などで交流があったジャドーズの影響で、「短めのコントを連発する」スタイルのネタを多く作成した。
そのネタ中では、それぞれのネタの冒頭に「(ショート)コント、○○」と言ってからネタに入るスタイルを用いていた。
その後、ウッチャンナンチャンはネタと共に人気を獲得することとなり、「ショートコント」というネタのフォーマットは後の芸人にも多大な影響を与えた。
「短いネタを連発する」という意味で、ショートコントの源流は上記のジャドーズや、パート2の『4コマ漫才』に見ることができるという評価もあるが、渡辺正行は「ショートコント」というフォーマットを名称と共に一般的に認知させたのはウッチャンナンチャンであると評している。
また、デビュー当時にラ・ママ新人コント大会で共演していた爆笑問題の太田光は「ウッチャンナンチャンがショートコントをやって流行らせて、そうしたら他の芸人がみんなウッチャンナンチャンの真似(ショートコント)をやり始めた。
」と語っている。
「M-1グランプリ2010」において南原が審査員を務めた際には、デビュー当時の映像と共に『「ショートコント」というスタイルを確立し、落語や狂言など芸の真髄を追い求める…』と紹介された。
笑福亭鶴瓶は「ウンナンの笑いって優しいんですよ 攻撃的な笑いが多い中で、優しい笑いを作ってきた2人が中心に出て、今も一線でいるのは必然だと思う 」と評している。
また、「僕は誰かとつるむことはあまりないけど、唯一つるむとしたらウンナンの二人 」とも語っている。
『笑いの殿堂』で共演していた爆笑問題は、自身のラジオ番組で「ウッチャンナンチャンほど人間が綺麗な人たちはいない 」と語った。
太田は、若い頃嫉妬からウッチャンナンチャンの悪口を言っていたが、「悪口を言ってるのをわかっていても、ウッチャンナンチャンの2人は変わらない接し方をしてくれた。
自分が嫌になる。
人の悪口言ってるところを見たことない 俺たちは人の悪口や不幸をネタにするが、ウッチャンナンチャンのネタは綺麗 」などと語った。
また、デビュー当時の爆笑問題はコントをメインに活動していたが、漫才に転向するきっかけはウッチャンナンチャンであり、「ウッチャンナンチャンがショートコントをやって流行らせて、そうしたら他の芸人がみんなウッチャンナンチャンの真似(ショートコント)をやり始めたから、自分たちはあえて漫才の方に行った。
」という。
「お笑い第三世代」の先輩にあたるとんねるずの石橋貴明は、自身が司会を務める「うたばん」にネプチューンが出演した際に「ウッチャンナンチャンは(後輩の育成もちゃんとやって)偉い」と発言している。
2019/5/18(土)
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