Tweet
当サイトについて

◆ 最新芸能人一覧

キングコング_(お笑いコンビ)


タカアンドトシ


ダウンタウン_(お笑いコンビ)


SKE48


バナナマン


大竹まこと


加藤浩次


吉岡里帆


>>もっと見る

ザ・ドリフターズ ロカビリー

ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。通称はドリフ。1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。現在は、グループで活動することはほとんどない。

amass.jp

live.nicovideo.jp

sp.mainichi.jp
元・正メンバー。
二松學舍大学文学部卒業。
1964年9月に高木と同時にドリフ入り。
ドリフ入りした当初は「リーダー(いかりや)より年上では何かと問題がある」ということで、加入後しばらくは高木とほぼ同年代(1934年7月30日生まれ)と年齢を詐称していた。
なお、当初はドリフのメンバーですら彼の正確な年齢を知らなかった。
オルガン(ピアノ)担当。
しかし、クレージーウエスト時代にピアノの欠員が出て、それまで担当していたスチールギターから急遽転向した経緯があったため、ロカビリーのスリーコードしか弾けず、演奏できるレパートリーは数少なかった。
いかりやの著書によれば、いかりやは彼のレパートリーの少ないことを知らないままヘッドハンティングしたことを後悔したという。
コントでは「威張り散らすいかりやをシラっとした目で見、シカトし、いかりやに怒られてふてくされながらギャグを言う」というパターンが人気を博した。
「なんだ、バカヤロー!」と「This is a pen!」のギャグはよく知れ渡っている。
いかりやの著書では新生ドリフのコントにおけるキャラクター付け(役割)が最初に決まったと述べられている。
2代目リーダー。
ギター、ボーカル担当。
1965年の夏頃に脱退。
1959年の末に岸部リーダー時のメンバーが小野以外全員脱退した後、脱退しなかった小野ヤスシ、新加入のポン青木、高橋一を誘って4人で解散寸前のドリフターズを再結成させる。
ドリフをロカビリーからコミックバンドに転向させる際、桜井はコミックに精通していなかったため、ジミー時田とマウンテンプレイボーイズより碇矢長一をヘットハンティング。
一般的に知られている5人のメンバーになったドリフメンバーの中では、いかりやと加藤のみが桜井リーダー時のメンバーとして在籍(荒井・高木、仲本の3人も居るには居たが、3人は桜井がオーナーの立場になってからの加入)。
1964年の秋、リーダーの座を正式にいかりやに譲り、1965年にドリフの管理を渡辺プロダクションへ譲渡して脱退。
フジテレビ系バラエティ番組『ウチくる!?』の2001年10月7日放送分において、加藤茶がゲスト出演した際に、加藤の芸能界の恩師として登場したことがある。
ボーカル担当。
1959年11月に脱退。
水原弘、守屋浩と並んで「三人ひろし」と呼ばれるロカビリー歌手 山下の脱退後、ドリフのバンドボーイから昇格 長身と甘いマスクで女性ファンを魅了した。
映画「青春を賭けろ」にも出演 代表曲は「雨に咲く花」。
ドリフ脱退後も暫くは売れていたものの、その後は鳴かず飛ばずで料理人になるための勉強を始めるが急性心筋梗塞のため44歳という若さで死去。
2018/10/31(水)
ザ・ドリフターズのつながりをもっと見る
スポンサードリンク
ザ・ドリフターズのつながりをもっと見る