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大槻ケンヂ オールナイトニッポン

おおつき ケンヂ
大槻ケンヂ
大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 - )は、日本のロックミュージシャンで作家。本名、大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は、オーケン。東京都中野区野方出身。有限会社オーケン企画所属。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」など。身長178cm。

www.okenkikaku.jp

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safarina.blog.fc2.com
1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカル・ベースに作詞を担当 ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの三人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。
後に筋肉少女帯もナゴムからリリースを重ね(ごく初期の段階で、大槻がベースを弾きながらだと歌えないことが発覚したため、当初はキーボードだった内田雄一郎にベースのポジションを任せている)、1980年代後半からのバンドブームに乗って1988年6月、トイズファクトリーからメジャーデビュー。
比較的初期から同バンドのフロントマン兼宣伝塔として『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに露出し、『徹子の部屋』や『さんまのまんま』などのテレビ番組にも出演する。
『徹子の部屋』初回登場の際は、極度の緊張で聞かれた内容を上手く表現できなかったという。
レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成して音楽活動を続ける。
また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯、元SOFT BALLETサポート)や小畑ポンプ(すかんち)、佐藤研二(石窟寺院など、元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ他、「オーケン&ニセ特撮」「大槻ケンヂ&ヤングス」「大槻ケンヂと名前は何でもいい」、バンド形式ながら大槻以外のメンバーを固定しない「大槻ケンヂス」といった企画バンドで各種イベントにも多数出演。
現在も、弾き語りや、アンプラグドユニット、ジャズやアニメ・特撮ソングといったイベントへのゲスト参加などで、積極的にソロでのライブ活動を行っている。
1970〜1980年代にヒットしたサブカル誌「ビックリハウス」の常連投稿者(ハウサー)だった。
当時の年齢は13歳 「ビッグムーン大槻」というペンネームで、「ジャパベン合衆国」というコーナーでは外務大臣の地位を得ていた。
「気弱な文学青年」という自己形容の通り、普段は穏やかでユーモラスだが、議論の際にはストレートな物言いを見せる一面もある。
1990年頃、伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った(後に伊集院とは和解している) また、「オタク」という言葉が確立する以前、『オールナイトニッポン』のパーソナリティ時代に、今で言うところのアニメオタク達を「アニマー」と名付けて批評したところ、リスナーから反論が寄せられる一幕もあった。
1990年代のバンドブームの最中を第一線で過ごした人物として、バンドブーム時代の追っかけギャル達の生態やヴィジュアル系と言われるバンド群に関して、小説やエッセイ、対談などで多く言及している。
また自分自身(筋肉少女帯)を「Xは光、筋少は影」などとしてヴィジュアル系の元祖であることも自書やエッセイでほのめかしている。
JASRACによる音楽独占管理が批判に上がる際、よく引き合いに出されるのが通称「オーケン事件」であった。
自身が作詞した「高円寺心中」をエッセイに載せたところ、JASRACに歌詞の使用料を求められ、しかも印税として還元されなかったという話である。
大槻本人が「使用料を徴収されたことはない 都市伝説だと思う」と公式に否定している。
冴島奈緒・結城ゆかり共演のアダルトビデオ「女教師の下着」(1989年4月24日、マドンナメイト)に生徒役で出演したことがある。
絡みシーンはない。
AV出演したことを宝島に掲載され、それが大槻ケンヂ本人であることを1989年6月28日の伊集院光のオールナイトニッポンにゲスト出演した際に告白している。
オールナイトニッポンのパーソナリティーを担当した際、当初はプレッシャーから放送前に毎回のようにブロン液を一気飲みしたり、飲酒して放送していたと後に告白している。
40代からギターを初めたが、それまで作曲は鼻歌とイメージをメンバーに聞いてもらいコードに起こしていた。
2019/5/7(火)
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