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名前 |
固寧倉 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
市指定重要有形文化財[平成七年(一九九五)九月二十五日指定]固寧倉固寧倉は江戸時代末期の酒井時代に姫路藩で集落毎に設けられた飢饉や災害などの非常時に備えるために備荒貯穀を目的とした倉庫である。固寧倉は文化六年(一八O九)飾西郡町村組大庄屋衣笠弥惣左衛門氏長などが備荒貯穀を目的とする倉庫の設立を時の家老河合道臣(寸翁)に建議し、藩主酒井忠道がこれを取り上げ、領内に米麦貯蔵用の倉庫が設けられたのが始まりである。最盛期の弘化三年(一八四六)には姫路藩領内二百八十八ヶ所に設置されたが、現在はこの野里固寧倉を含めて他に妻鹿・東山・中村(白浜)・刀出の五ヶ所が残るのみである。固寧倉の名称は中国の儒教の経典である「書経」の中に出てくる『民は惟れの本、本固ければ那寧し』の言葉から幕府の儒学者林大学頭述斎が選んで付けたもので、扁額の揮毫は林述斎の子樫宇のもので、これを欅の板に彫り込んだものである。規模は正面三.七二m・側面は二.八二m・棟高四.三一m・建築面積は十、五mで間口二間・奥行き二間の平入り前庇付きで内部は板床を張り、小屋裏を利用するために二階床が張られているが階段は設けられず、床板を滑らせて上り降りする仕組みになっている。平成九年七月姫路市教育委員会。