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名前 |
飯塚城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
周防国守護・大内弘世が長門国守護・厚東義武を霜降山城に攻め、これを豊前国に駆逐し厚東氏を滅ぼすと、その矛先はこの地を治めていた豊田氏に向きました。当時の豊田氏・13代豊田種藤は大内氏に対するにあたり、一ノ瀬城では位置的に不都合と考え本拠を長生寺城に移したとされています。それと同時期に大内が侵攻して来る際に通ると想定される各街道沿いにいくつかの支城を築城しました。その一つ、飯塚城は小月街道沿いにあたるこの地に、豊田氏重臣の飯塚三郎が築城したとされます。もう少し木屋川下流に行ったところに、豊田氏が平安時代中期に設けた関所跡がありますが、この関所とセットで領内に入って来る侵入者を警戒したのでしょう。現在、山頂には「飯塚氏開祖 飯塚三郎之碑」と刻まれた石碑が建立されています。飯塚三郎はこの城跡より西にそびえる華山にある神上寺と領地を争い、この城で自害したと伝わります。