福良鳥取の海岸、リラックスできる場所。
鳥取繋船場の特徴
ロケーションが良く、リラックスできる空間が魅力です。
戦隊ヒーローのロケ地としても名高いスポットです。
地元の人々に愛されるユニークな歴史的な場所です。
釣り場探しでマップを見て来ました。岩場の地磯は全体的に浅くてボトムに落とすと根掛かり確実人口の堤防?付近は遠投でトップから中層かな釣り場としては微妙景色は良い。
ある人のコメントで、戦後に米軍が軍事施設爆破、解体して何故か鳥取繋船場だけはほぼ原形を留めてると書いてありますが、洲本の千畳敷(現在 大浜海岸の端の海に突き出した駐車場になってる所)もそうでないですか?そういう船着き場みたいなので破壊されてないのは全国で見たら普通に探したらあるのでは?と思います。他に淡路と和歌山の間の島友ヶ島で、テレビでラピュタの島と紹介されたこともある島、あの島の軍事施設も破壊されてなかったと思います。砲台みたいなのは当然取り除かれてますが。他に戦争で行ったら大見山の慰霊塔ですね。昔、頂上にレストランがあった時にいって展示物を保管してある施設もありました。それから約30年は行ってないのでレストラン、展示してる施設はなくなってるかもしれません。慰霊塔自体は検索したらまだあるみたいです。それと現在の段階で投稿されてる写真と現在の景観で違う所があり、何年前か知りませんが船着場の根元の鳴門側がレンガで壁ができて向こう側に行けなくなりました。昔はそのレンガの壁がなくて向こう側に行って釣りができました。その場所に行くには、2通りの道があり海沿いの道から下っていく道は基本的に一本道で車一台の幅です。山の上の方から下る道があるみたいですがその道を使ったことないので車幅は分かりません。
淡路島の南端、福良鳥取(ふくらとっとり)の海岸にひっそりと眠る鳥取繋船場(とっとりけいせんば)は、明治時代末期に建設された鳴門要塞関連の軍用桟橋跡だ。地元では昔から軍波止(ぐんばし)とも呼ばれ、現在でも石積みの護岸やコンクリートが海中にしっかりと残っている。鳴門要塞というのは、明治30年代に大阪湾を守るため、淡路島南部の鳴門海峡沿いに築かれた軍事施設だ。当時の日本は日清・日露の二度の戦争を経て、防衛意識が強くなり、敵艦隊が瀬戸内海へ侵入するのを防ぐため、この鳴門海峡にも砲台を並べた。福良地区周辺には笹山(ささやま)砲台、行者ヶ嶽(ぎょうじゃがたけ)砲台、門崎(とざき)砲台という重要な砲台群があり、これらをつなぐ軍用道路「福良軍道」が整備された。鳥取繋船場もその一環として、海から弾薬や燃料などの物資を運び入れる重要拠点になっていたという。桟橋の長さは約62メートル。緩やかな傾斜をつけた石積みが海の中へと続き、小型船やはしけが物資を運び込んでいたことがよく分かる。この桟橋から揚げられた弾薬は、すぐ背後にある鳥取弾薬本庫(とっとりだんやくほんこ)という煉瓦造りの倉庫群に運ばれた。今でも桟橋と倉庫跡の距離は約200メートルほど。かつての物流の動線が想像しやすい距離感だ。鳴門要塞は、1903年に北部の由良要塞へと統合されていくが、この桟橋や弾薬本庫などはそのまま使用され続けた。しかし太平洋戦争末期、時代が空軍中心になったことで、こうした要塞群が実戦で使われることはなかった。戦後まもなく進駐してきた米軍が淡路島の軍事施設を次々と爆破・解体したが、なぜかこの鳥取繋船場だけはほぼ原形を留めたまま今日に至る。地元の証言では、終戦直後、米軍による解体の様子を見聞きした人も多いという。当時90歳だったという地元の谷口さんの証言によると、この桟橋周辺にたくさんの兵隊がいて、戦後に大砲や兵舎が爆破された轟音を聞いたという話も残っている。戦時中、この桟橋がどれほど重要な拠点であったかを物語る貴重な話だ。興味深いのは「鳥取」というこの地名の由来だ。淡路島における「鳥取」は、古代に鳥を捕らえて朝廷に献上した職業集団『鳥取部(ととりべ)』が由来という説がある。ただ、淡路島の福良鳥取について確かな史料が確認されていないので、これはあくまで一説という範囲になる。それでも、この軍用桟橋跡が「鳥取」と名乗ること自体が古代から連なる土地の歴史を感じさせる。この鳥取繋船場の魅力は、やはり周辺の遺構とセットで楽しめることだろう。徒歩圏内には鳥取弾薬本庫跡、少し足を伸ばせば山の中腹には行者ヶ嶽砲台跡や笹山砲台跡、門崎砲台跡など、明治期の軍事遺構が点在している。これらは文化財指定こそされていないものの、地元の歴史愛好家や研究者によって丁寧に調査されている。地元の文化協会の代表者も「鳴門要塞の遺構群は後世に伝えるべき貴重な文化財」と話していることからも、その歴史的価値は折り紙付きだ。南あわじ市長もまた、こうした戦争遺構の保全・調査に前向きな姿勢を示している。また淡路島の洲本市には淡路文化史料館があり、そこで鳴門・由良要塞に関する詳しい資料や展示がなされている。淡路島を訪れた際には、ここを起点として鳥取繋船場を含めた近代遺構を巡るのもいいだろう。現在では静かな場所になったこの鳥取繋船場だが、釣り人たちが訪れたり、地元住民が散歩を楽しむスポットとしても親しまれている。戦争遺構としては比較的知られていない場所だが、保存状態はかなり良好で、遺跡好きにとってはたまらないスポットだ。淡路島というとどうしても海や食、観光地ばかりが注目されがちだが、こうした近代軍事遺産を訪ねて歩く楽しさもあるということを、改めて実感させてくれる。鳥取繋船場はただの桟橋跡ではなく、淡路島がかつて重要な防衛拠点として位置づけられた歴史を物語る遺跡群の一つなのだ。明治期の軍事史に興味がある人はもちろん、淡路島をより深く知りたい人にとっても訪れる価値があるだろう。
ここはオンとオフの差が厳しいバショで、釣りが難しい場所です。攻略が難しいから通いがいがあります。真鯛、メバル、ハマチがメインの釣場です。潮流の影響を受けるので出る時間、戻る時間をよく考えて下さい。
GoogleMAPでどこか行ける場所ないかなと来た雰囲気のある船場。先端あたりに1ブロックだけ石がなくなっている場所がありましたそこがまた波のリズムに変化を生み出していて良かったです。20分ほどそこで寄せては返す波の動きを見てました。岩場の方には焚き火跡がありました。砲台跡に続く道路は閉鎖されているのでこの道は船場までという感じです。船場に行く人が多くない限り対向車が来る心配がないのは良いかもですね。何もない場所なので来る人は多くなさそうですが自分は行って良かったと思いました。
ロケーションが良くリラックス出来ます。
地元の方いわく繋船場ではないようです。
戦隊ヒーローのロケ地みたいでアガります。
| 名前 |
鳥取繋船場 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
道の駅うずしおから淡路南ICに向かう途中に寄ってきました。表面が石畳でできた、見るからに古い建造物です。釣り客が何人かいましたし、石畳の上には数匹の魚が干からびていました。昔の漁港跡くらいに考えていたのですが、調べると旧日本海軍の軍事施設でした。通称を「軍波止」といい、全長は62mもあるそうです。この鳴門海峡は瀬戸内海への入り口の一つです。敵艦隊がここを突破できないよう明治34年(1901年)「鳴門要塞」が作られました。これはその施設の一つだったのです。周囲には砲台跡が多数あり、そこへ弾薬などを運び込むための装備だったようです。斜面を歩いてみました。波打ち際近くはかなり滑りやすくなっています。実際私の数メートル先を歩いていた観光客は大きく宙を泳いでいました。ご注意ください。日本は元寇の経験があるためでしょうか、船による外国の侵略を警戒してきました。対馬や壱岐に残る古い防塁がそれを裏付けます。そして明治期以降もそれが踏襲されました。東京湾の観音崎砲台群や和歌山の由良要塞、そしてこの鳴門要塞などです。随分とお金がかかったことでしょう。しかし航空機の発達に伴いこれらの要塞・砲台群は無用の長物と化し、太平洋戦争中もほとんど使用されずに終わっているのです。...........ムダムダムダァ~ですね。2025.12.16