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名前 |
神明社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
合祀された神社の創始が両社ともに川から祠が流れてきて、とある。おもうに、祠が流れ出るような川の災害が多く存在して、理由となるべき普通の事柄であったという事であろう。❶【参考 神明社 聖籠村誌 1957年】神明社神明社はむかしから“一之宮神明社”と呼ばれている寛保3年(1743年)秋 村中の寄進により名主_市島長左エ門、大世話方_本間半兵衛、大工_村上町_板垣惣助の手によって建立された。大工_板垣退助の技量は素晴らしく、彫刻は見事である。云い伝えによると拝殿欄間(らんま)の竜は、よなよな裏潟に遊び出て暴れるので、何時の頃よりか竜の眉間にくぎを打ってそれを封じたという。大正4年7月31日 藤寄地区に鎮座する三社を合祀して社殿を再建した。[合祀神社]_〇河内社__横山津平(安永7年(1778年)2月没)なるものが、見附村新潟より当地に移住してきた際に、舟よりのぼり移住地を探し求めていた所、水面に漂流している小祠を発見、これを奉祀して氏神として崇めた。明治年間にいたり藤寄108番地に社殿を建立して遷座した大正4年 一之宮神明社に合祀した。__[祭神] 河内大神_〇住吉社__伊藤利右衛門なるものが、加治川破堤の際、附近に日とな期におのれを叫ぶものあり、ふと漂流しきたる祠堂を発見。これを拾い上げてみた處、御神体と御幣が祀られてあるので、調査してもらったところ、住吉の神と判明。近隣の人と共に氏神として奉祀し、社殿を建立した。大正4年 一之宮神明社に合祀した。[鎮座地] 藤寄[祭神] アマテラスオオミカミ(主神・伊勢神宮の神) 河内大神 住吉大神[例祭日] 4月10日 秋祭り9月10日[境内地面積] 583坪。