静寂に包まれた久我神社。
久我神社の特徴
久我神社は三柱の神様が祀られており、その中に玉依媛神様もいます。
境内には大ヒノキがあり、パワースポットとして知られている神社です。
創建の歴史は諸説あり、地域の文化を大切に守っている神社です。
京都伏見区久我森の宮にある久我神社。
京都市でも最古の神社の1つです。久我の杜の中の住宅街にありますが、地元の方が大切にされている素晴らしい神社です!
久我神社さんの御祭神は上賀茂社・下鴨社・両神社さんの三柱神様がお祀りなされておられます、内でも玉依媛神様は松尾大社の御祭神の一柱の主神さまでも在れまするので新たな私心を持ち増して御拝察させていただいて、土地々云われがおありに為ることを礼拝いたいですね。
普通の極めてノーマルな趣のある神社です。住宅街の中に突然の異空間でちょっと驚きます。裏の住宅地側から入ろうとしても、ちょっと入口がわかりにくいです。社務所とかなくて、地域の方達が守っている様子です。木々と竹藪が立派に茂っており、ゆとりのある心持の時にゆっくりと時間を過ごしたくなるような感じがあります。
地元の文化を守りつつ、小さな神社ですが、境内に有る大ヒノキは、パワースポットです。
創建については 諸説あり 確定していない。 平安時代の縁起式神明帳に記載される 式内社となる。 説の一つとして 奈良時代 辺りにこの地域を支配していた 久我氏による 名を取って 久我神社 としたものが、 妥当ではないかとを考えられるようだ。 この地域は 長岡京遷都により、長岡京の南端に当たる。 そういう点からも 朝廷にとってみれば、 大事な意味を持つ神社であったと考えられている。
久我神社こがじんじゃ京都府京都市伏見区久我森の宮町祭神建角身命玉依比売命別雷神山背久我国造として北山城一帯に支配した久我氏の祖神が当初の祭神でしたその後久我氏が衰退し賀茂氏が祭祀を主導それに伴って祭神も現在の賀茂氏の祭神に変わってしまいました山城国はなんといっても秦氏と賀茂氏が連携しながら祭祀権を握っていました2022/2/21 参詣 晴れ時々曇り、時折 風花(雪)
住宅街の中にありますが、神社の参道を進めば雰囲気が一変し静寂さが感じられます。古来から久我神社の森は(久我の杜)と称され、和歌にも数多く詠まれるなど、非常に名高い地名でもあります。現在の本殿は(1784年)に再建された本殿で京都市登録有形文化財にも登録されており、保存状態も良好とされています。境内も大変綺麗に手入れされており、気持ちよく参拝できました。又、御神木のクスノキ(京都市指定保存樹)も大変見応えがあります。
京都・鴨下上社の創始の地といえるか。奈良葛城から北上した鴨氏は木津・鴨岡田→ここ→洛北・久我社へと足跡を残した。ここで玉依姫が乙訓坐火雷神の子を宿したという。後の別雷神。周辺は住宅が立て込んできているものの、境内は木々に囲まれ、別世界のよう。
| 名前 |
久我神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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久我神社(こがじんじゃ)。京都市伏見区久我森の宮町。式内社(小)、旧村社。【祭神】建角身命 玉依比売命 別雷神【関係氏族】山背久我国造として、北山城一帯に蟠踞した久我氏。資料によると、長岡京遷都に際し、京の艮(うしとら、北東)を祀った。延暦3年(784)頃、王城の艮角の守護神として御鎮座になった。山背久我国造として北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神輿我萬代継神を祀った本市における最も古い神社である。賀茂氏が大和から木津川を経て当地「久我国」に祖神を祀ったのが当社で、後に鴨川を北上して今の「賀茂御祖神社」「賀茂別雷神社」を創建した。『先代旧事本紀』には饒速日尊の降臨の際に随伴した神々の中に「天神立命(山代久我直等の祖。天背男命とも)」がいたことが記されています。当社を創建したという久我氏と考えられそうです。とあります。