琵琶湖の水で守る、本願寺の防災。
本願寺水道水源地の特徴
琵琶湖疏水からの水を貯水する、独特の水源地です。
自然水圧を利用した防災システムで注目されています。
東本願寺までつながる歴史深い水道の一部です。
京都のお寺を守る!明治時代に東本願寺の防火のために造られた水源地✨琵琶湖疏水の水を利用し、高低差だけで水を送る仕組みになっているのとか!一見すると静かな水辺だけど、当時の京都の近代化や防災の工夫が詰まった場所で、知ってから訪れると見え方が変わるかもですね😊人も少なく、落ち着いて歴史を感じられる場所でした!
琵琶湖疏水から引いてきた水を東本願寺まで送る際に貯水しておいた場所。21世紀の初め頃までは使われていたようだ。
京都、蹴上疏水公園の東側にある本願寺水道水水源地。
…写真の撮影日時は、2025.06.14(土)07:55。この日はわたしの記憶によると、まずは06.14という日は明智日向守光秀公の命日とされる日であるが、雨降りの参拝を避けて(例年であれば06.14はちょうど梅雨入りの頃)既に2025.06.04(水)に滋賀県大津市在住の大恩人にお願いして、明智光秀公と正妻熙子、そして一族の墓所がある西教寺(天台真盛宗総本山、滋賀県大津市)へお参りに行ったあとだったので、まったく別のところで尚かつ住まいの京都市山科区から京都市営地下鉄(東西線)で行けるところを散策しようと心に決めていた。では、2025.06.14(土)の天気はというと、前日の天気予報やアプリ“ウェザーニュース”によると「午後からは雨」で、わたしが参考にしている“一天暦”(2025.06.02月曜、京都市山科区御陵の本圀寺で購入、一天とは日蓮の“一天四海皆帰妙法”からきている、と想像する)では旧暦05.19・大安・危(古法二七宿)で(かなり験を担ぐタイプ)、翌06.15は弘法大師空海の生誕日であり15日は空海に因むところに行こうと思っていた。(実際に06.15は醍醐寺(下醍醐)、第60代醍醐天皇御陵、第61代朱雀天皇御陵などに行った)因みに、西教寺を訪ねた06.04は伝教大師最澄の忌日だったが、若い頃母とわたしは比叡山に上がることを“やんわりと”拒否されていたので(約20年以上前)、比叡山に上がることはまったく考えていなかった。そして、06.02(月)は本能寺(京都市中京区)にて織田信長公遠忌(444年遠忌)が厳修され、これも事前に調べて法要に参加した。(一般の参拝可能とのことだったので)つまり、“なんとなく”ではあるが、06.14は“蹴上しかない”という切迫感もあった。前置きが長いが、この度こちらに掲載する写真は、“本願寺水道水源地”というところを撮った写真ではない。しかし、この水源地のすぐそばに“蹴上義経地蔵”があり、その前にかなり大きな石碑がある。Google map に情報を掲載しようと思ったが、石碑の文字が読めず、誰が建立したのかも分からなかったので携帯電話の Google photo に残したままだった。3ケ月経過して調べてみるとこの石碑は『弔魂碑』といって琵琶湖疏水の計画者(当時の京都府知事より依頼された)である工学博士・田邊朔郎氏が私費を投じて建立したものだと分かった。確かにこの場所から少し南禅寺方面に歩くと“田邊朔郎先生顕彰碑”があり、わたしは顕彰碑前の石造りのベンチに座って読経した(同日2025.06.14)。しかし、何故、本願寺水道水源地のそばだろうと思っていたが、この本願寺というのは東本願寺(浄土真宗大谷派・京都市下京区)であり、田邊朔郎は琵琶湖疏水の“産みの親”のような存在だが、Wikipedia の田邊朔郎の項を見ると、田邊朔郎は江戸幕府幕臣田辺孫次郎(忠篤)とふき子の長男とあるが、ちゃんと最後まで読み進めると、朔郎が生後9ケ月のとき、父は病死して朔郎が家督を継ぎ、後見人は朔郎の叔父で朔郎の父孫次郎(忠篤)の弟、田辺太一だと知った。更に田辺太一を調べるとなかなか優秀な人だったようで、幕末期幕府で外交官だったということだが、宗教(信仰)は浄土真宗東本願寺派“東京本願寺(東京都台東区西浅草)”とはっきり書いてあり、墓所は青山霊園とある。因みに、朔郎の墓所は二つあり一つは大日山墓地(京都市左京区)、もう一つは青山霊園で叔父(後見人)田辺太一と同墓である。これでやっと点と線が繋がったような気がした。(気分は偉大なる小説家松本清張先生)以下に簡単に田邊朔郎、田辺太一、東京本願寺の基本データを記す。参考はアメーバブログ、Wikipedia に依りすべて敬称略。合掌田邊朔郎…文久元.11.01~昭和19.09.05(1861.12.02~1944.09.05)享年84生誕地・東京根津愛染町墓所①大日山墓地②青山霊園田辺太一…天保2.09.16~大正4.09.16(1831.10.21~1915.09.16)享年85墓所・青山霊園東京本願寺…正式名称・浄土真宗東本願寺派本山東本願寺英語名・Jodoshin sect Higashi-honganji-ha Higashi-honganji創建年・慶安4(1651)開山・教如(東本願寺第12世)※この寺の前身・東本願寺第12世教如、東京神田に江戸御坊光瑞寺を建立…石碑の一文は、『一身殉事 萬戸◯恩』◯はアメカンムリ雨冠にサンズイ(左下)と占(右下)〈明治35(1902)琵琶湖疏水の工事の物故者の慰霊の為工学博士田邊朔郎私費を投じて石碑を建立す〉
「本願寺水道」とは琵琶湖疎水を用いた、京都の地下に眠る巨大防災システムのことで電力を一切使わず、48mの高低差を用いた自然水圧で水を噴き上げるというもの。配管がここから東本願寺に埋設されているのに驚きます‼️江戸時代の大火を幾度となく経験して、東本願寺を守るために造られたという防火水道についての紹介でした。蛤御門の変によって京の多くの部分が消失した経験もてつだっているのでしょうね。(小生談)
つくづくたいしたもんですな、お東さんは。
東本願寺の防火水道がこんな山中にありました山の高低差を利用したようです。
| 名前 |
本願寺水道水源地 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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明治になり、琵琶湖疏水が完成し、その水の一部を本願寺まで導く「本願寺水道」工事を行った。東本願寺の堀の水がそれだったとか。2000年に入り、水道が老朽化したため停止、今は京都市の下水を浄化した水(高度処理水)が堀に使われているらしい。これは江戸時代、東本願寺が度々(4回)の火災で燃え落ちた教訓から、明治になって再建した建物群を火災から護りたいとの意志が強かったためである。一方、西本願寺の方は大きな火災がなかった。このため、西本願寺の堀の常態は「水無し」である。