会津藩士の墓、平和の尊さを。
黒谷会津藩墓地の特徴
初代会津小鉄の墓が近くにあり、歴史を感じる場所です。
祭られている会津藩の戊辰戦争の英霊に敬意を表するスポットです。
会津松平家と山本家の多様な宗教が交わる特別な聖地です。
現在の平和な日本はこの数多の方々の犠牲の上に成り立っていることが改めて分かりました。幕府、薩長土の方々問わず感謝の気持ちと感謝と敬意を持って行かねばならないと思いました。
会津地方に約10年住んでいたことがあり、そのなかで会津の人々が、会津藩士の存在をとても大切にしているのをみてきました。京都に行く用があり、予約したホテルの近くにこちらを見つけ、何か縁を感じてお墓参りをさせてもらいました。墓地内はよく整備されており、お寺の方も大切にしているのが伝わってきて、その思いやりに、會津人ではない私でも涙が出ました。銀世界という名前のユーカリと、白いスプレーマムを、雪の代わりにお供えさせていただきました。それまで薄曇りだった空から日の光が差し込めてきました。その後に訪れた、京都御苑内にある京都御所。ここを守るために命をおとした会津藩士たち。彼らに思いを馳せていると、御所から虹が出ているのが見えました。死してもなお、義理堅いのかととても眩しく感じました。
すぐそばに初代会津小鉄の墓や、『残侠』で有名な会津小鉄中興の祖・三代目会津小鉄の墓があります。
此処の墓地は、会津藩の戊辰戦争での亡くられたお祀りして居られるがこの地は浄土宗の聖地、会津松平家は神道、その中での山本家は最終的にキリスト教(同志社)の中でお祀りされている。新島八重さん、山本覚馬さん等、お参りされた記録が護持されている西雲院(浄土宗)にて見せて戴き、宗旨の垣根を超えた個人を祀る素晴らしい環境です。
2023'5/31金戒光明寺には偉人や一般檀家を含め多くのお墓が有ります。一番上のお墓の中に「会津藩の殉難者墓地」とあり、戦いで亡くなった人のお墓が有ります。文久2年(1862)会津藩松平容保が徳川家より、京都守護職に任命され、本陣を置いたのが金戒光明寺。そして幕府軍の徳川家光の上洛の警備を担ったのが浪士組。やがて松平容保の肩入れも有り、京の取り締まり役を任せられ、名前も"新撰組"となる。京の治安が一気に改善されたという。ところが、徳川慶喜の大政奉還から京都守護職は廃止(1867)やがて旧幕府軍と新政府軍の鳥羽伏見の戦い(1868)が始まる。旧幕府軍の会津藩や新撰組はあえなく散ってしまうんだけど…何だろな、必ず良い社会を作ると信じ、若くして命を捧げた戦士たちに美しさの様なものを感じるるんだな😢そんな事から壬生寺とか長円寺には墓もあり、ここにも115名の墓が有るんだ。皆さん、忘れてないんだな。今日も絶えない参拝者、会津の酒「中将」「忠義」の酒を供えてね😃
久しぶりにお参りいたしました。松平容保像も設置されていました。この後、奥羽越列藩同盟につながる大きなうねりになることを考えると感慨深いものが有ります。
会津藩ゆかりの金戒光明寺。京都守護職を打診されたとき容保は何度も固辞、家臣も猛反対したが、最後は将来逆賊扱いされる覚悟を決め互いに泣きながら拝命を決断した、とある。そしてほとんどがその通り逆賊として死んだ。いざという時覚悟を決める人々。
| 名前 |
黒谷会津藩墓地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
合掌。山上墓地北東には約三百坪の敷地に 『會津藩殉難者墓地』が有り、文久二 年~慶応三年の五年間に亡くなられた 二百三十七霊と鳥羽伏見の戦いの戦死 者百十五霊を祀る慰霊碑(明治四十年 三月建立)がある。墓地には武士のみではなく、使役で仕えたと思 われる苗字のない者も、婦人も同様に祀られて いる。禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者は、一段積 み上げられた台の上に三カ所に分けられ二十二 霊祀られている。會津松平家が神道であった関係で七割ほどの 人々が神霊として葬られている。