神戸櫓跡で感じる歴史の息吹。
桑名城 神戸櫓跡の特徴
小高い場所にあるベンチから歴史を感じることができます。
桑名城跡の櫓があった場所に訪れることで感慨深い思いが湧き上がります。
ただのベンチでも、歴史的な背景があることで特別な場所になります。
「くわなじょう かんべやぐらあと」
もともと鈴鹿市神戸にあったお城2024年2月中旬、桑名宿探訪の際に寄りました。戦国時代に現在の鈴鹿市神戸にあった伊勢神戸城の天守閣を移築江戸時代に入り、桑名城として整備する際にそのまま櫓として利用→故に神戸櫓の名称に現在は櫓の面影はありませんが櫓跡からは遠くまで見渡すことができます。
精忠苦節碑南に位置。綺麗に維持・管理されています。説明板が建立されていましたので引用しご紹介します。神戸櫓跡(かんべやぐらあと)※文中フリガナ略戦国時代この付近には伊藤武左衛門が治める東城があったとされる。織田信長の伊勢侵攻の時、伊藤氏は降伏し、東城は廃されたものと思われる。文禄の頃(1592~1596)一柳直盛が城主となると城郭が築かれ、その時伊勢神戸城(現在の鈴鹿市神戸)の天守閣を移したといわれている。江戸時代、初代藩主本多忠勝は城を拡張し、本格的な近世城郭を築いたが、神戸城の天守閣は櫓としてそのまま残され「神戸櫓」とよばれた。文化財を大切にしましょう。 平成20年 桑名市教育委員会※寛文年間の桑名郭地図は、添付写真をご覧ください。
今はベンチがあるだけです。
こちらにはベンチがあるだけ特別テンション上がることはない。
今では少し小高いところにベンチがあるのみです。解説板が設置されているのでわかりやすいです!
『神戸(かんべ)櫓』⭐️元は現在の三重県鈴鹿市にある神戸城の天守🏯神戸城天守は伊勢神戸家の養子となった織田信長の三男/神戸(織田)信孝により5重6層と高層の複合式天守築城、本能寺の変や小田原征伐の後、1595年(文禄4年)に解体されて桑名城に移築、3重の隅櫓に変身、だから「神戸櫓」❗️⭐️その後、1755年(宝暦5年)~1772年(明和9年)の間に消失、地震か火災かどうしたか原因不明⁉️文政年間桑名市街之図を良く見ると桑名城の本丸の南西隅部(現在の神戸櫓跡)が黒く塗り潰されています、ホントに無くなっているの確認、序でに天守も石垣だけで建築物有りません😵⭐️城絵図見て興味深い事神戸櫓に隣接した南側に本丸と二之丸を結ぶ「廊下橋」の存在、今の水堀の幅からは想像付かない、昔は幅が狭かったのかと思案、もし復元出来れば福井城・高松城・和歌山城・大分府内城と同じ景観‼️⭐️余談三重県鈴鹿市の元の神戸城跡は整備されて神戸公園に、本丸跡には天守台が現存、中々独特の石垣、白みがあり角が丸い石を積んだ野面積乱積、元々丸いのか風化して丸いのかと思案するのも楽し、しかし5層の天守の土台にしては何か小さく感じました😁
ここに櫓があったと思うだけでグッと込み上げるものがある。いいですねぇ。(2021_11_11)
| 名前 |
桑名城 神戸櫓跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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2026年3月2日 参城ここから眺める景色が良いね!