名前 |
粥見井尻遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
粥見井尻(かゆみいじり)遺跡日本最古の土偶が発掘された場所です。また、この地帯は中央構造線の真上にあり偶然と思えない何か副産物があったのではと古代ロマンを掻き立てる場所です。ちなみに伊勢神宮の外宮も中央構造線の真上に位置しています。1997年、道路工事に先立って発掘調査されたこの遺跡は、地名をとって「粥見井尻遺跡」と名付けられました。調査の結果、全国的にも非常に珍しい縄文時代の始め頃(約12,000~11,000年前\u003d「草創期」そうそつき)の「竪穴住居」(たてあなじゅうきょ) 4棟や「土偶」(どぐう)2点と共に、多数の土器や石器が発見されました。竪穴住居は、それまでの旧石器時代とは違って本格的に掘りくぼめたもので、垂木(たるき、と、ハテントのような家です。このように古い住居は全国で数ヶ所しか発見されていません。しかし、粥見井尻遺跡では4棟が確認され、一度には1棟か2棟があって、2・3回建て替えられていました。このことから、それまでと違って同じ場所に住み続ける、「定住」が始まったことがうかがえます。また、家の大きさや数から、数人から十数人が住んでいたと思われます。土は、粘土で胴体と両手を作って頭と乳房を貼りつけた素焼きの人形ですが、まだ目や鼻はありません。このように古いものは全国で始めての発見です。土器は文様のないものが中心ですが、「隆線文」(りゅうせんもん)や、「爪形文」(つめがたもん)などと呼ばれる文様もあります。石器は、弓矢関係の石器が多く、槍先などもあります。このように粥見井尻遺跡は、長い旧石器時代を終えた縄文時代の始め頃から、全国的にもまだ珍しい竪穴住居を建て替えて住み続けた、また日本最古の土偶も発見された大変貴重な遺跡であり、県の史跡に指定されています。Google mapsでナビを入れるとこの遺跡の真上を通る道路に位置するため辿り着けません。一度通り過ぎて引き返して道路脇の案内看板に従い広い駐車場に停めてそこから約100メートル歩いて高架下の遺跡に来れました。