安土城の黒金門跡、歴史の扉。
黒金門跡の特徴
安土城の主郭に近い黒金門跡は歴史を深く感じられる場所です。
たくさんの階段を登った先に広がる歴史的な景観に感動しました。
黒鉄門跡では、安土城の目的を知ることができる貴重な体験ができます。
安土城中枢部への主要な入口の門の一つ周囲の石垣をこれまで見てきた石塁や郭の石垣と比べるとかなり大きい石が使われている門には菊紋・桐紋など金箔瓦などで施されていた立派な門だった。
「跡」なので、石垣しか残っていません。此処まで登ってきて、一寸ガッカリです。
「天守」を「天主」と表記するのと同様に他の城では「黒鉄門」と表記するところを「黒金門」と表記してあるのは安土城ならでは。この黒金門は左右に堅固な石垣があり直角の曲がり角が2箇所、攻撃してくる敵兵のスピードを落とすための虎口の仕組みの原型とも言われています。外門と内門を初めて設置したのもこの安土城と伝えられているそうです。
安土城が何を目的に建てられたものなのか、よく分かります。
本丸に入るための第一関門2023年5月上旬に行きました。麓から大手道を進むとこちらに安土城中枢部への入口にあたり、二度直角に折れ曲がっており、もっとも防御の固い構造になっています。確かにこちらに扉に黒金(鉄)を貼った門扉があったと想像すると納得できます。
いよいよここから安土城の主郭部に入ります。当時はここに黒金門が建っていたそうです。門は残っていませんが、見事な枡形虎口の石垣が残されています。
☆天主や御殿のある安土城主郭部を防御する堅固な構えの「枡形虎口」。近世城郭の原点、荒々しい石垣の野面積、可なり大きい石も組み込まれて鏡石のような、特に石垣隅部は武骨👀織田信忠邸跡を通り過ぎて石段登った先に黒金門、正面には多聞櫓を備え、虎口侵入すると門扉に鉄板張り付けた黒光りする重厚な櫓門=黒金門😲1576年(天正4年)~1579年に築城の安土城、築城総奉行「丹羽長秀」、当時としては最新鋭の城=安土城🏯
安土城の主郭部と邸宅群の間に立っていたであろう黒鉄門跡。石垣の岩の大きさに驚く。この門もまた天主などと同じく火災で焼失している。
2020年9月4日に行って来ました。
| 名前 |
黒金門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0748-33-3111 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:30~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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黒金門跡は、安土城跡の主郭部へ入る主要な入口で、本丸・二の丸・天主へ続く中枢部を守る最重要の虎口です。「黒金門」の名は、門扉や金具に鉄板(黒金)が用いられていたことに由来すると考えられています。現在は門そのものは失われていますが、巨大な石垣と枡形虎口の構造が良好に残り、当時の威容を今に伝えています。周辺には安土城で最大級の石材が用いられており、防御性を高めると同時に、訪れる者を圧倒して天下人・織田信長の権威を示す役割も担っていたと考えられます。門をくぐると、右手は本丸・天主方面、左手は二の丸や伝長谷川秀一邸跡へと続く構造になっており、侵入した敵を狭い空間に誘い込み、進路を制限する実戦的な枡形虎口が採用されていました。平成5年度の発掘調査では、この付近から大量の焼けた瓦が出土し、その中には菊紋や桐紋を施した金箔瓦も含まれていたことから、黒金門一帯も1582年の焼失時に激しい火災に見舞われたことが明らかになっています。さらに近年の調査では、黒金門から天主へ向かう通路の上を建物が覆うように配置され、多層的な建築群が形成されていた可能性も指摘されています。もしそうであれば、門をくぐった人々は建物に囲まれた壮麗な空間を進みながら天主へ導かれ、信長が演出した壮大な城郭空間を体感したことでしょう。現在も400年以上前の石垣がほぼ当時の姿を保っており、安土城が優れた防御機能と華麗な演出を兼ね備えた革新的な城であったことを実感できる見どころとなっています。