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名前 |
鎌刈弘法大師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
鎌刈弘法大師堂は上下町井永地区を抜ける石見銀山街道(旧県道)沿いに建っています。屋根は切妻造りの瓦葺きで、天井も壁も無い吹き抜け構造の四つ堂(四本柱のお堂)です。道路が迫り敷地に余裕が無いため、奥行が狭い長方形(2.8m×1.7m)の建物になっています。裏山に接する奥側には石垣を積んで祭壇が設けられており、ほとんど壁のようです。床はコンクリート張りで、左右に腰掛けと背もたれが作り付けられていました。文化庁の記録によると、元々は個人が建てた辻堂でしたが、今は地域住民が管理を行っています。棟札を見ると昭和2年(1927年)に再建した辻堂が老朽化したため、平成31年(2019年)に全面的に改築されたようです。ストリートビュー(2018年10月撮影)には、改築前の辻堂が半ば倒壊した状態で写っていました。祭壇には石仏が3体安置されており、1体は丸彫りで、2体は船型光背を背負っています。丸彫りの1体は弘法大師ですが、一緒に石の祠に入っている舟形光背の石仏も弘法大師でしょう。左端に祀られた石仏は地蔵菩薩のようです。祭壇には、真新しいヒサカキの枝が供えてありました。江戸時代に大半が福山藩の領地であった備後地域では、その頃の街道筋に今も多くの辻堂が残っています。初代福山藩主の水野勝成が、旅人のため休憩所の整備を奨励したのが始まりとされています。当初は旅人の休憩所でしたが、後に地蔵や石仏が持ち込まれて信仰の場としての意味も持つようになりました。〇〇地蔵堂や〇〇観音堂などと呼ばれていることもありますが、多くの辻堂には固有の名前がなく「お堂さん」「四つ堂」などと呼ばれています。国は昭和58年(1983年)に、広島県内の辻堂を「安芸・備後の辻堂の習俗」という名称で無形民俗文化財に選定しています。