古事記が楽しめる日向神社。
日向神社の特徴
奈良時代からの由緒ある神社で、多賀大社に隣接しています。
天照大御神と瓊瓊杵尊を祀っている神聖な場所です。
日向坂ファンにとってご縁を感じられる特別なスポットです。
天孫降臨で日向高千穂に降り立った瓊瓊杵尊、その隣には天照大神と豊受大神が祀られており天津神と国津神、日向と伊勢、古事記が楽しめる神社です。杜に囲われている事もありますが心地よい涼しい風が流れていて神聖な場所ながらリラックスすることができました。
多賀大社境内摂社 日向神社です。「延喜式」に掲載されている式内社。御祭神は瓊々杵尊。
1425.2022.09.24多賀大社さん の摂社になります 。西の表参道から入ってすぐの所に鎮座です。神明両宮さん と並んで鎮座されてました 。御祭神は瓊々杵尊で結婚成就・家内安全国家安泰良縁などの御利益が得られるらしい 。1936年 (昭和9) 摂社となったそうです 。摂末社の御朱印はありませんでした 。社殿は小さいですが唯一の式内宮であります。式内宮 とは延喜式神名帳に記載されている神社を指すそうで、朝廷により官社と認められた神社のリストなのだそうです 。全国で約2861社が記載されています 。では、延喜式神名帳とは何か? というと905年 (延喜5) 醍醐天皇の令を受けまして藤原時平によって編纂の開始がなされた平安時代の法律などをまとめた書の事です。
氏神様2024年4月下旬に参拝しました。駒札には——————————————————-延喜式内社日向神社御祭神 瓊々杵尊例祭日 四月二十四日十二月一日御神徳 結婚成就 家内安全御祭神の瓊々杵尊は天照大神より神勅をうけられ、三種の神器を奉じ、日向高千穂にご降臨された神である。当社は、古来より、この地域の氏神様として崇敬されている。また、天上よりこの地に恵みをもたらし、日本文化を開いた神様として、日々の生活を守り育む、高い御神徳を有している。——————————————————とあり多賀大社にある他の境内社より社殿が立派です。
お多賀さんのお隣の奈良時代からの由緒正しき神社ですひゅうが神社と読みますが日向坂ファンのおひさまとしてはご縁を感じてしまいますので日向坂の発展を祈らせていただきました滋賀にも日向坂来んかな?
多賀大社に隣接する日向神社ですご神祭は、天照大御神・瓊瓊杵尊多賀大社は凄い!!としか言葉が出ませんでした。
多賀大社の摂社のようです。左右に瓊瓊杵尊と天照大神・豊受大神の各々の社が建立されています。
多賀神社に参拝後伺いましたが手水舎の水が全くなくて立派な神社なのにもったいないな😥少し寂しい感じがしました🙇
天孫降臨の瓊瓊杵尊。本殿から離れ最初は気づかなかったけど、静かで良い雰囲気でこちらもお参りするようになりました。
| 名前 |
日向神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
日向神社(ひゅうがじんじゃ)。滋賀県犬上郡多賀町多賀。式内社(小)、多賀大社境内社。主祭神:天津日高日子火之瓊瓊杵尊資料によると、多賀大社境内の西端、西参道入口すぐに鎮座する境内摂社。式内社 日向神社に宛てられています。摂社になったのは昭和九年のこと。「多賀神社誌」によると、天平鎮護二年(766年)に神封二戸を寄せられたとあり、その頃には既に鎮座していたものとみられます。ただしその時にどこに鎮座していたのかは不明。その後の記録も無く遷座があったのかどうかまでは分かりません。多賀大社は「寛永の大造営」(1633~1638年)を行ったとされますが、当社も含まれているようです。遡ることができるのはここまで。またいつから末社となったのかも不明。ご祭神は瓊々杵尊。ところがこれには異論が多く出されています。「神祇志料」が言うように、「延喜式内蔵寮式大神祭」の項に「日向王子弊料」とあり、これは大三輪神(大物主命)の御子神のこととされており、当社も多賀神(伊邪那岐命)の御子神のことであろうかと。或いは「神名帳考証」などは、「大三輪神(大物主命)の御子神」そのものと捉え、天日方奇日方命ではないかとしています。これは大神神社の大変重要な摂社である神坐日向神社のご祭神でもあります。仮にそうであるとするなら、かつては「青龍山」山頂の磐座にて祀られていたのを、麓の多賀大社境内に降ろしたのではないかという考え方ができそうです。その山頂に鎮座するのは胡宮神社 奥宮。巨大な磐座を御神体とし、磐前に小祠が設けられています。神坐日向神社が現在は麓にあるものの、本来は「三輪山」山頂に鎮座していたはずの社。その「青龍山」山頂の磐座(御神体)は、現在でこそ龍宮などと言われ雨乞いの神となっているのでしょうが、本来は「多賀神(伊邪那岐命)の御子神」或いは天日方奇日方命が祀られていたという考え方ができるように思います。「神祇志料」や「神名帳考証」もそこまでは言及していませんが。さらに言うなら、その場所で太陽祭祀を行っていたのではないか、つまり「日向王子」が天照大神を祀っていたのではないかという可能性もあるかと考えています。とあります。