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名前 |
国留の大師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
国留城跡のすぐ南、三方を水田に囲まれた分かれ道で見つけた大師堂です。場所的に見て昔は辻堂があったのだと思いますが、今はコンクリートブロックで造られた祭祀専用のお堂です。大きさは140㎝四方で、屋根は瓦葺き、天井はありません。棟札も墨書も見つからず、お堂の名前も改築された時期も判りません。草刈りを終えて道端に座っていた地元の古老に尋ねても、やはり名前は判りませんでした。お堂の中央に祀られているのは、弘法大師のようです。右手の錫杖は失われていますが、台座も含めて高さが150㎝程もある立派な石仏です。とても沢山の花々(造花)が供えてあり、地元の人たちが大切にされていることが感じられました。奥の壁にはブロックを積んで設けられた祭壇があり、気になる物がいろいろ置かれていました。他の所もそうですが、辻堂という所には様々な「ありがたそうな物」が幅広く集まっていくようです。一番左隅にあったのは、なぜか陶製の猿の置物。「三猿」のうちの「聞かザル」ではないかと思います。その隣りあるのは、七福神の恵比須様かな?同じ物が二つあり、一つは割れています。瓦のような重い材質なので、お面ではありません。両側の穴にヒモを通して額に取り付けられていた縁起物みたいです。右端には、高さ40㎝の花崗岩製と思われる石仏が置かれていました。これが誰か判るほど仏像に詳しくなりたいものです。江戸時代に福山藩の領地であった備後地域では、その頃の街道筋に今も多くの辻堂が残っています。初代福山藩主の水野勝成が、旅人が休めるような休憩所の整備を領民に奨励したのが始まりとされています。当初は旅人の休憩場所として建てられましたが、後に地蔵や石仏が持ち込まれて信仰の場としての意味も持つようになりました。〇〇地蔵堂や〇〇観音堂などと呼ばれていることもありますが、多くの辻堂には固有の名前がなく「お堂」「お堂さん」「四つ堂」などと呼ばれています。国は昭和58年(1983年)に、広島県内の辻堂を「安芸・備後の辻堂の習俗」という名称で無形民俗文化財に選定しています。