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名前 |
相楽里の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
「相楽里」と刻まれた石碑が、大里公民館分館の敷地にあります。「さがらの里」と読むのですけど、この、京都最南端一帯を差す地名「相楽郡(そうらく郡)」の語源を示す石碑になります。相楽里は昭和3年に立てられた三宅安兵衛の石碑で、今は防草シートの重石として横倒しになっています。江戸時代の庶民に大人気の京都観光マップ「都名所図解」では、「相楽里は木津の坤土師の南にあり。(古事記に曰く、ある御神醜陋の貌を常に悲して、山城にて死した給う。ゆえに昔は懸木郡といいしを今改めて相楽郡という)」と見所(なのか?)を紹介しています😥。確かに懸木社(さがりき社)は近くにありますから相楽里はここなのですけど…。現代の地元民としては「何でこんな伝承の石碑を作ったの?」と言いたいところです。とはいえ、あるものは仕方ないですから、横倒しにして目立たないようにしていたところでしょうか。ちなみに、奈良から「歌姫街道」という道が北に延びており、懸木社~相楽里~相楽神社を通って吐師浜という河港に続いています。この歌姫さんが相楽の語源になった御神で、途中の相楽神社にまつられた歌凝姫か円野姫のどちらかでしょう。