スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
笠取りの墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
観応3年/正平7年(1352年)京都岩清水八幡の戦いで討たれた石見宮(後醍醐天皇の第11皇子である花園宮満良親王の若宮皇子)、胡簶局(やなぐいのつぼね)、三隅兼知の遺髪、遺品が埋葬されていると言われています。