甲伊国境の野寄合の城、必見!
高嶺南城跡の特徴
甲伊国境の野寄合の城との指摘があり、歴史的意義を感じられます。
高嶺南城跡で歴史を肌で感じる貴重な体験ができます。
訪れることで地域の文化と伝統を学べる場所です。
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名前 |
高嶺南城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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こ、これは「甲伊国境の野寄合の城」では?伊賀と甲賀の国境にあり、「甲賀市史」では甲賀側の築城と推定していますが、北側の土塁が大きいことと、伊賀の小杉側からの間道が2本この高嶺南城を目指して接続することから、伊賀側の築城と考えるのが自然ではないかと思えます。伊賀の小杉には峠東城、峠西城、西構城と多くの城郭が密集しており、この高嶺南城、伊賀見城はそれらのベース城郭の出城として構想されたのではないでしょうか。一方、甲賀側から虎口に至るルートも伊賀見城の下を通り抜けられれば容易で、すると「惣國一揆掟之事」に記述されている「甲かより合力之儀専一ニ候間、惣國出張として伊賀甲かさかへ目ニ□□、近日野寄合あるへく候」という伊賀・甲賀の「野寄合」がおこなわれた場所として最もふさわしいのではないかと推測されます。また、南に隣接する東海自然歩道は明治のころまで「伊賀越え」と呼ばれていたらしいです。この東海自然歩道は県道50号線の分岐のような道なので「野寄合」の城だとすると、家康の「神君伊賀越え」は県道50号線+東海自然歩道だったのではないかと妄想は拡がっていきます。