眼病治癒の仏眼院、絶景を求めて。
矢熊山 仏眼院(前渡不動)の特徴
岐阜県各務原市の真言宗醍醐派の寺院です。
承久の乱合戦供養塔を過ぎた先に位置しています。
山の上から見晴らしがとても良いお寺です。
眼病治癒にご利益があると聞きお参りしてきました。いきなりすごい坂道でしたが、すぐに緩やかになり歩きやすかったです。御朱印もあります。
岐阜県各務原市にあるお寺さんです。目の病気にご利益があるようです。歴史は古く、鎌倉時代に起こった承久の乱で死んだ人の供養墓がありました。本堂は小山の頂上にあり、坂がけっこう急なので、それなりに体力をもってかれます。本堂から南の方角を見ると名古屋の高層ビル群も見ることができます。麓に広い駐車場がありますので、クルマで来ても大丈夫です。
道路わきに広い駐車場があります。承久の変で亡くなった人の石塔が山の中腹に置かれています。道路工事で出てきたそうです。登っていくと道幅はたいして広くありませんが歩きやすいです。山頂に避雷針がありますが見晴らしが良くベンチも置いてあるので休めます。
仏眼院(ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡にある真言宗醍醐派の寺院。山号は矢熊山。御本尊の不動明王は千葉県成田山の分身である。美濃四国札所第二十五番札所。岐阜県の十名所でもあり、山の頂上にある本堂からの眺めも良い。通称は前渡不動尊(まえどふどうそん)で、正式名称より通称で呼ばれる事が多い。前渡の旗本、坪内家の家臣である山本軍八郎藤原盛行の一子、秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼したことから、眼病治癒にご利益がある。また、この山の中腹には承久の乱合戦供養塔がある。
仏眼院は山の上にあり見晴らしがとてもいいです!お天気には名古屋の高層ビルが見えます。承久の乱の看板で色々勉強になりました。
承久の乱合戦供養塔を過ぎて坂道を登っていくと矢熊山の頂にお不動様が祭られています。ここから眺める景色も低山でありながら見ごたえは十分でした。お弁当を持っていくのも良いかもしれません。
坂道になっていて軽い運動にちょうど良く、いつも登らせてもらっています。眺望や樹木も季節ごとに楽しめますが、特に花々は何か咲いているのでいいですね。花のメモ(参考程度に)3〜4月 桜 ツツジ4〜5月 藤 ツツジ5月〜 ツツジ ヒトツバタゴ5〜6月 ツツジ クチナシ。
眼病治癒にご利益この景色は、是非とも見てほしい。このあたりでは、「前渡のお不動さま」と呼ばれ、親しまれています。山号は矢熊山・仏眼院(ぶつがんいん)宗醍醐派のお寺さんです。本尊は不動明王です。仏眼と名前が付く由縁があり建仁3年(1203年)真言宗高僧「成賢」が仏像を制作し醍醐寺の東谷に建立した塔頭の一つと伝わります。その後、仏眼院は明治時代になると、堂宇を失い、実態のない寺院となっていました。慶応4年(1868年)旗本坪内家の家臣・山本軍八郎の子として生まれた、秀之助という男児がいました。秀之助は、十七才の時、目の病を患い若くして両目を失明してしまいました。秀之助は、千葉県成田山に参籠して修行に明け暮れます。ある日、不動明王の御霊験を受け奇跡的に片目の視力が回復していきました。開眼した報恩を受け、僧名を「明心」と名付け真言衆に帰依していきました。明治23年(1890年)11月11日「明心」は、矢熊山に仏眼院を勧誘します。明治25年(1892年)仮のお堂を建て厄除けを始めたところ、多くの人が押し寄せ始めました。盲目者の開眼したり、諸病の平癒した人が多くありました。そのため、ご利益を・開運厄除・無病長寿・良縁幸福・家内安全・家門繁栄・交通安全等この地域の人々のの守護佛として遠近、老若男女の参詣者絶えず今日に至ります。標高87mのこの山から見る景色は絶景で、日の出の撮影や、各務ヶ原自衛隊基地の航空際の折撮影する人で溢れるといいます。この景色を目当てに参拝するのも良いでしょう。
| 名前 |
矢熊山 仏眼院(前渡不動) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-386-9232 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒504-0923 岐阜県各務原市前渡西町6丁目1975−1 |
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お堂まで車であがれます。眺めが良くて綺麗なお寺です。