五六川の歴史を感じる場所。
石仏堂(荒川の二体仏)の特徴
宝暦年間以前の歴史を感じる貴重なスポットです。
五六川の無堤河川の記憶が息づいています。
岐阜県瑞穂市に位置する静かな礼拝所です。
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名前 |
石仏堂(荒川の二体仏) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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宝暦年間以前、 五六川は無堤河川であった。 そのため洪水は、しばしば五六川に逆流し、五六川流域12ヵ村ではほとんど稲作は皆無の状態が続き、主食は麦食の生活をしていた。雨期のたびに被害を受ける農民の訴えは、ついに代官に及び寛延3年(1750)本田陣屋代官の川崎平右衛門定孝が年々五六川流域の水害に対処するための施策として、自ら12ヵ村を指導、地元百姓自ら普請により堤防を築堤した。この工事は、明和3年(1766)の完成まで、永い才月を要し如何に苦労が多かったか偲ばれる。この工事により流域農民は一様に潤ったが、それでも洪水は流域の村々を度々襲った。荒川地区は、特に地面が低く被害も多く、為す術を失った農民は安永6年(1777)観世音菩薩の石佛を建立して、平穏無事を祈念した。その後、天明の飢饉で沢山の餓死者を出した。石佛の周囲にねんごろに埋葬し、天明6年(1786)更に、 阿弥陀佛の石佛を安置し、冥福を祈ったものである。