江戸時代の歴史、奉行所跡へ!
岐阜奉行所跡の特徴
江戸時代の歴史が感じられる岐阜奉行所跡の立地です。
新桜町から末広町にかけての文化遺産が楽しめます。
尾張藩の奉行所跡の看板を見逃さずに訪れてください。
遺構はない。立札のみ。
新桜町から末広町にかけてのこのあたりは江戸時代に尾張藩の岐阜奉行所があったところです。岐阜町は元和五年(1619)尾張藩領となると代官が置かれ、元禄八年(1695)には岐阜奉行が置かれました。奉行所は北屋敷・南屋敷を合わせた東西六十間(約108メートル)、南北百二十間(約216メートル)余の敷地に堀をめぐらし、敷地内には奉行所・道場・同心屋敷・手代屋敷などがありました。平成九年に奉行所の一部が発掘調査され、奉行所の遺構である石列が発見されました。また、多数の陶器・磁器の破片、明治以降に奉行所跡地におかれた岐阜尋常小学校(金華小学校の前身)で使用されていた教材等も出土しました。『岐阜奉行所跡案内板』より。
善光寺から北へ少し歩いたところに、尾張藩が設置した奉行所跡の看板があります。
名前 |
岐阜奉行所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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