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名前 |
豪商淀屋清兵衛之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
「倉吉市:豪商淀屋清兵衛之墓」2024年9月にバイクツーリングで立ち寄りました。大蓮寺内にあります。淀屋清兵衛は大阪の豪商ですが、なぜここにあるのかは、倉吉淀屋の牧田家が関係しています。江戸時代初期、大阪の豪商であった「淀屋」は、俗に言う先物取引の創始者ともいうべき存在として知られており、米を中心とする商いで財を蓄えました。しかし、質素倹約令に背いたとされ財産没収、大阪所払いとなりました。そのエピソードとしては「天井金魚」が有名です。『元正間記』という読み物があり、19巻に記載があります。現代語訳すると以下のとおり。【淀屋の得意なこと】『夏座敷と名付て、7m四方にガラスの障子を立てて、天井にも同様にガラスを張り詰めてそこに金魚と水を流して下から見上げた。天下の御涼所も顔負けの豪華さだ。』とのこと。牧田家(倉吉淀屋)は大阪の豪商「淀屋」と深い関係があったといわれています。また、江戸時代後期から幕末にかけて大阪で活躍した木綿商人の淀屋清兵衛は倉吉の牧田家を出自としています。そんな訳で牧田家に縁のある倉吉市の大蓮寺には、代々の淀屋清兵衛の墓がまつられているのです。【倉吉淀屋(牧田淀屋)8代の歴史について】(初代)牧田仁右衛門季佳が起こした事業ですが、初めは小さな店でしたが、商売を広げていきます。5代目孝四郎は町年寄、6代目仁右衛門の時は倉吉名家7軒の1つになり、7代目と8代目も町年寄として地元のために貢献しました。文化面でもお茶や俳句などの普及に尽力しました。また幕府や鳥取藩のために高額な金額(5代から8代まで合計4533両)を献納しています。【子孫について】牧田家・淀屋清兵衛家の子孫で有名になられた人では「牧田成起」(良平・牧田分家で茶人)、「松本仁平」(倉吉町長)、「磯野長蔵」(キリンビール社長)がいます。