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名前 |
坂根口番所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
古図によると、江戸時代(17世紀初期に江戸幕府が石見銀山を直接管理するようになりました)、石見銀山の周囲には柵を廻らし、その柵には街道に通じる10ヶ所の出入口に番所が建てられました。これは鉱山への人や物の流れを管理するためで、人の出入りを監視するとともに商人によって銀山へ持ち込まれる品物への税金徴収を行っていました。その他にも、銀の持ち出を防ぐ役割、柵で囲まれた場所で働いたり暮らしたりする人々の管理をする役割を担っていました。10ヶ所の番所の位置は時代によって変わっていますが、その1つであるこちらの番所は、鉱山への物資を荷揚げする主要な港である温泉津(ゆのつ)へ繋がる道の番所であったため特に重要な番所でした。現在、番所の跡は一切残っていません。