黒野城跡を歩く歴史旅。
黒野城跡の特徴
文禄3年に築城された黒野城跡は、史跡として貴重です。
土塁跡を歩くことで、歴史を身近に感じられます。
堀と土塁に囲まれた本丸が奇跡的に保存されています。
地元有志の手で整備されている。駐車スペースや案内板が設置されており、遺構もかなり広範囲に残存している。
「黒野城跡」は、文禄3年(1594年)に加藤貞泰が美濃国黒野4万石に封じられた際に築城された城郭です。岐阜市の史跡に指定されています。黒野城とその城下町は、わずか16年間という短い期間の存続でしたが、土塁や堀は今もなお良好な状態で遺されています。本丸跡においては、現在グランドととして整備されています。土塁は高さが5.4mあり、土塁の上をぐるりと一周歩く事ができます。土塁には、桜や榎、栴檀の立派な大木があり、黒野城の歴史や往時の情景に想いを馳せながら散策することができました。また、土塁の上から眺める美しい山々は、往時の武将達も眺めた景色だと思うととても感慨深かったです。貴重な歴史遺産に出会う事ができて、とても嬉しく思います。次回は堀をじっくり観てみたいと思います。
関ヶ原の戦いの前あたりに築城され使用期間わずか16年という城跡が市街地化が進む町の中に水堀付きで残っているなんて奇跡に近い。南側の土塁は昭和に入ってからの復元ではあるが、土塁の上を一周できる。土日は城跡見学者用の駐車場になるところがあるので、車の人は確認して出かけよう。
堀と土塁に囲まれた本丸が、単郭の城址の様に残っています。公園となっていますが平地の住宅地の中で、これだけの遺構がよく残ってくれたものだと思います。
築城年数は定かではありませんが1594年以降に豊臣秀吉の家臣、加藤光泰の嫡男加藤貞泰により築城されました。関ヶ原の合戦で加藤貞泰は東軍に属し戦功を挙げ加増転封により伯耆国米子6万石に転封となり黒野城は廃城となりました。今回2回でしたが前回、行った時は寒い時期だったので雑草も生えておらず土塁、堀が綺麗に見えていたのですが今回は5月に行ったのですが草がぼうぼうで足をヤブ蚊に刺されまくりました。その辺の対策もして行ってください。
築城されてたった16年しか利用されなかったが立派な土塁と堀が残る。南側の土塁は昭和期に造成された。乗車加藤貞泰が移封された鳥取米子、愛媛大洲にトウカイタンポポの品種が生えてたことから黒野から加藤によって持ち込まれた調査をしてるって。いまは公園になっていて子供たちの遊び場になっていて、土塁に囲まれた本丸内で野球をしてた。
本丸のみが奇跡的に残っている安土桃山時代の城跡。本丸の周囲に土塁と水堀が残っている。なお、南側の土塁は昭和期に築造されたものだというので、復元されたのだろうか。二の丸他は、完全に市街地化されている。駐車場は、土日のみ使用可となっているようだ。
名前 |
黒野城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
058-214-2365 |
住所 |
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HP |
https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/bunkazai/1005549/1021043/1021031/1005554.html |
評価 |
3.5 |
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土塁跡の上を歩いて一周することができる。土塁跡は概ね周囲の民家の屋根ほどの高さがあって、木の合間から濃尾平野の終端となる山々を望むことができる。立ち寄って軽い散歩をするにはちょうど良い公園だと思う。