日子坐命を祭る神秘的な神社。
伊波乃西神社の特徴
鳥居から続く道は神秘的で雰囲気が良く、穏やかな空気が漂っているのが魅力です。
もと延喜式内社で、日子坐命を祭神とする由緒ある神社です。
霊剣灼かなパワースポットとしても知られ、訪れる人々に深い神妙さを感じさせます。
こんなに素敵な神社なのに、参拝者が少なく、ゆっくり参拝できました。
なんか、神妙深い。素晴らしい。本神社の歴史、由来、経緯などイロイロ知りたいばかりです。
もと延喜式内社で祭神は日子坐命(ひこいますのみこと)。第9代開化天皇の第4皇子、10代崇神天皇の異母弟、12代景行天皇、伊奈波神社祭神の五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の外曾祖父にあたる。共に祀られている八瓜入日子命(やつりいりひこのみこと)はその御子。古事記によると、日子坐王は崇神天皇の命を受けて旦波国ヘ向い土蜘蛛玖賀耳御笠(くがみみのみかさ)を討伐された。旦波は御子丹波道主命が治め、御子八瓜入日子が三野(美濃)本巣国前国造に命じられるにあたり同行してこの地域開拓に尽力されたとある。もともと清水山中腹にあった社殿だが、明治になってから日子坐王陵墓と認定されたため、現在地に移されたとのこと。
岩田バス停から智照院→当社へと来て、鳥居そばに立つ幟が長く揺らめいている。参道の両側にはいくつもの灯籠が並び、境内を囲うような木々がすっくと伸び、小雨の天候がより神聖さを増すかのように、しっとりとしている。手水舎の横には枯れた神池?の、岩に乗ってるカエルが挨拶をし、拝殿前の狛犬や拝殿横の神馬も"ようこそ"と手を上げる中で、お参り。歩いてきた参道から左にズレている社殿…何となく、日子座命さんは人を避けたいのだろうかと勝手に妄想し、しばらく静かな境内を味わうのでした~追記2024年4月7日に再度訪れました。桜満開の中でお参り。訪れたこの日に、例祭があるようで、関係者にお話を伺うと、午後4時頃から厄年の人による餅投げが始まるようで、境内には紅白の垂れ幕に紅白の餅が積み上げられ、準備万端といった感じ。時間の都合上参加できないけど、以前訪れた雰囲気とは違い、春の装いに気分が晴れやかになりました〜
もと延喜式内社で祭神は日子坐命(ひこいますのみこと)。第9代開化天皇の第4皇子、10代崇神天皇の異母弟、12代景行天皇、伊奈波神社祭神の五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の外曾祖父にあたる。共に祀られている八瓜入日子命(やつりいりひこのみこと)はその御子。古事記によると、日子坐王は崇神天皇の命を受けて旦波国ヘ向い土蜘蛛玖賀耳御笠(くがみみのみかさ)を討伐された。旦波は御子丹波道主命が治め、御子八瓜入日子が三野(美濃)本巣国前国造に命じられるにあたり同行してこの地域開拓に尽力されたとある。もともと清水山中腹にあった社殿だが、明治になってから日子坐王陵墓と認定されたため、現在地に移されたとのこと。
第9第の開化天皇の皇子、日子坐を祭神とする神社です。この人は古代日本の大和朝廷に匹敵する近江王朝の基礎を作り上げた人物です。そのお墓が岐阜にあったとは知りませんでした。
鳥居から神社に続く道はとても雰囲気が良く、静かで神秘的な空気です。コロナ前に餅巻きが開催された時行ったことがありますが、お正月は賑わいます。普段はひっそりと佇んでいますが、厳かで落ち着きます。少し山道を入りますと日子坐命墓に続く道があります。石段は徐々に急になりますので登る際はご注意ください。少し大変ですが、登りきった後はお墓にお参りをし、下を眺めますと清々しい気持ちになれます。
鳥居から神社に続く道はとても雰囲気が良く、静かで神秘的な空気です。コロナ前に餅巻きが開催された時行ったことがありますが、お正月は賑わいます。普段はひっそりと佇んでいますが、厳かで落ち着きます。少し山道を入りますと日子坐命墓に続く道があります。石段は徐々に急になりますので登る際はご注意ください。少し大変ですが、登りきった後はお墓にお参りをし、下を眺めますと清々しい気持ちになれます。
綺麗に整備された立派な神社。鳥居を潜ると真っ直ぐな石畳の参道、両側に石灯籠が並んで雰囲気良かったです。拝殿は立派で大きかったです。駐車場は神社前にあります。
| 名前 |
伊波乃西神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
伊波乃西神社(いわのにしじんじゃ)。岐阜県岐阜市岩田西。式内社(小)、旧郷社。主祭神:日子坐王(ひこいますのおう) (配祀)八瓜入日子王(やつりいりひこのおう)資料によると、現社殿の西北100mに祭神日子坐王命の御陵とされる古墳跡がある。現在封土は流失し、高さ2.4m、幅1.8mの巨岩が露出している。元はこの古墳の地にあったが明治8年宮内省より御陵墓と認定されたため現地に遷宮した。神社鎮座地は、東山道の官道のうち、長良古津の渡しを持つ要所である。創建時期は不明。日子坐命は、開化天皇の第3皇子、丹波道主命の父、五十瓊敷入彦命(伊奈波神社祭神)の祖父である。美濃国を領地として、子の八瓜入日子(神大根王)と共に治山治水開発に努めたとも伝えられる。この地で亡くなり、この地に埋葬されたという。八瓜入日子は三野前国造(本巣国造)の祖とされているが、各務郡は三野後国造の領域である。隣接する「日子坐命墓」は清水山の山麓に有り、かつて「岩西様」と呼ばれた自然石である。1875年(明治8年)、宮内省の調査により日子坐命墓に治定され、宮内省陵墓寮の所管に移されたため、神社が現在地に移転している。とあります。