江戸の息吹感じる原宿の鎮守。
原宿浅間神社(原宿鎮守社)の特徴
江戸時代以前からの歴史が感じられる場所です。
交通量の多い国道沿いにありながら静かな環境です。
彫刻の美しさが際立つ、原宿の鎮守さまです。
地黄八幡こと北条綱成の信仰が篤かった神社。社殿は大きくはないが、施された彫刻は量も質も中々の物と感じた。境内に由来・由緒があるのは重要である。参道も独特の雰囲気があって良い。緩やかな坂なので登りやすかった。
入り口のわかりにくい神社です。セブンイレブンのうらっ側に鳥居があってそこから登る感じで祠へ。駐車場がないので徒歩かセブンイレブンのを借りるかしますが、とにかくアクセスは不便で目立たない神社。しかし縁日が開かれたりしていて地元の民にはよく知られているかもしれません。
道路から浅間さままで緩やかなスロープが続きます。ちょっと奥にあります。とてもきれいに手入れされています。
江戸時代以前は、東海道において江戸より11里(約43.2km)の地点であり、1里毎に於かれる一里塚の、その11番目である「原宿の一里塚」が存在したと伝わる場所に建立されている神社です。現在は、周囲を国道一号や、宅地開発で地形が削られ、この神社の場所だけぽつんと緑が残る小山のようですが、江戸時代当時は、俣野を流れる境川および宇田川の侵食で、相模野大地が削られた斜面の一角にあったと思われます。原宿村と呼ばれたかつてのこの地域の鎮守であったそうで、庚申講や、富士山講の石碑が残り、かつての神仏習合時代の民間信仰活動である講の名残を見ることができます。浅間社の名前からも、富士山信仰の本山である下吉田(現在の山梨県)の浅間神社との繋がりを感じさせます。創建は1558年であり、豊臣秀吉の滅ぼされる以前の後北条氏の治世に原宿村の村民によって村中安全を祈願して勧請されたそうで、近隣にあった玉縄城(現在の鎌倉市の大船近辺)の城主であった北条某かが篤く信仰したと伝わります。1582年には、本社のある山梨の武田氏が織田信長による甲州征伐で滅亡し、1590年には秀吉の小田原攻めで後北条氏は滅亡しているため、この神社も激動の時代を経て、多くの地元の人々に守られながらこの地にあり続けたのだと考えられます。
江戸時代以前は、東海道において江戸より11里(約43.2km)の地点であり、1里毎に於かれる一里塚の、その11番目である「原宿の一里塚」が存在したと伝わる場所に建立されている神社です。現在は、周囲を国道一号や、宅地開発で地形が削られ、この神社の場所だけぽつんと緑が残る小山のようですが、江戸時代当時は、俣野を流れる境川および宇田川の侵食で、相模野大地が削られた斜面の一角にあったと思われます。原宿村と呼ばれたかつてのこの地域の鎮守であったそうで、庚申講や、富士山講の石碑が残り、かつての神仏習合時代の民間信仰活動である講の名残を見ることができます。浅間社の名前からも、富士山信仰の本山である下吉田(現在の山梨県)の浅間神社との繋がりを感じさせます。創建は1558年であり、豊臣秀吉の滅ぼされる以前の後北条氏の治世に原宿村の村民によって村中安全を祈願して勧請されたそうで、近隣にあった玉縄城(現在の鎌倉市の大船近辺)の城主であった北条某かが篤く信仰したと伝わります。1582年には、本社のある山梨の武田氏が織田信長による甲州征伐で滅亡し、1590年には秀吉の小田原攻めで後北条氏は滅亡しているため、この神社も激動の時代を経て、多くの地元の人々に守られながらこの地にあり続けたのだと考えられます。
2023/4/5原宿村の鎮守 原宿浅間社の創建は、永禄年間(1558年ー1569年)。玉縄城主 北条左衛門大夫が崇敬していたとされる。明治6年村社に列格。最初の鳥居をくぐれば、すぐ右に石塔が有る。①庚申塔(右、傘付角柱/表一猿 横2猿)「奉建立四一回塔 為庚申也 (于時)元禄六年癸酉霜月廿一日」1693年の建立。「四一回」の意味は庚申講(60日に1回)を41回行ったという意味か。(それだと6年以上かかるが)②庚申塔(中、傘付角柱/表一猿 横2猿/梵字3つ)「(奉)供養庚申 為二世安楽・貞享三 丙寅 歳・1月吉日」1686年、この世あの世の安楽を祈願するため建立。二世安楽の庚申塔はめずらしいが、戸塚にはいくつか有る。③庚申塔(左、駒形/青面金剛/三猿)「奉納 庚申供養 同行(七)人 享保(十二)(丁)未 一月吉日」1727年、講中(7)人が建立。④石碑 村社浅間神社社殿前の大きな石碑は、この神社の由緒等を説明している。以降は境内社「大六天社」に有る石塔類の説明。⑤石塔(角柱、鳥居右横、上部破損)「鎮守石燈籠・◯世住持(對)蓮社・◯長大和尚・・・・歳正月吉日」住職の和尚名も有るので、寺の石灯籠だったのだろう。上部が無いため詳細不明。⑥石塔(角柱、鳥居右横)「奉納 冨士浅間御寶前・天明二 壬寅 歳正月吉祥日・當所 髙(島)七右衛門行(道)」1782年の建立。御宝前とは、神仏を祀った所の前。頂部に凸が有るので、笠が付いていたはず。塔の構造の勉強になる。⑦石塔(傘付、角柱)「奉納 御寶前・天明六 丙午 年◯月二十一日・原宿村住 施主 邊藤◯◯◯」1786年、天明の大飢饉 (天明2年〜天明8年)の最中に建立。⑧石塔(駒形)「富山鎮守子目参詣願成就敬白 延宝八 庚申 年六月八日當寺第七(世) 翔(譽)上人民長」1680年、富山(?)参詣成就記念に建てた供養塔と思われる。「子目」の意味不明。⑨石碑(舟形、三猿のみ)「庚申 干時延宝(五)(丁)巳 天 ◯月十七日・・・・・」1677年の建立。庚申塔だが、かすかに女の戒名らしきものが見え、造りも仏の供養塔らしい。➉石祠・・皆目わからない。
交通量の多い国道﹙1号﹚沿いの少し小高いところにあり、静かな場所でした。木々が生い茂った長い参道が印象的でした。
原宿の鎮守さま。なかなか立派な神社で高台にあります。
入り口が微妙。社は普通。
| 名前 |
原宿浅間神社(原宿鎮守社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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原宿の鎮守。浅間神社なので主神は富士山を御神体とする木花之佐久夜毘売命と思われる。東海道脇にある小さな鳥居をくぐり、坂の続く参道を進んだ小高い丘の上に鎮座する。空気が澄んだ日には今も富士山を拝むことができるかも知れない。