隧道探検と歴史散策。
住吉神社の特徴
正覚寺本堂脇の奥にある歴史深い住吉神社です。
歴史的な住吉城址に位置し、探検気分が味わえる場所です。
神社横には古東海道の隧道があり、ロマンを感じられます。
●「小坪飯島公園プール」の北側に設置されている「正覚寺」の案内看板横の階段を上がり、突き当りの本堂の右手を通り、さらに階段を上がると【住吉神社】があります。●住吉神社は「住吉城」の鎮守(ちんじゅ)として建立され、住吉城は、築城については曖昧模糊だが、北条早雲が取り、三浦道寸に取られ、三浦道香が居城とする山城でした。三浦道寸義同(どうすんよしあつ)兄三浦道香義教(どうこうよしのり)弟三浦荒次郎義意(よしおき)義同の子◆1512年、北条早雲により、相模中部の「岡崎城」そして「住吉城」が落城。義教は逗子「延命寺」にて自刃。義同は油壺の「新井城」に逃れる。◆1516年、北条軍に敗れ、義同・義意父子討ち死に。相模三浦氏は滅亡する。※辺りの海は、三浦一族の血で、壺の中の油のように真っ黒に染まったという。※義同と義意の墓は、油壺「胴網海岸」の近くに、義教の墓は「延命寺」にあります。※住吉城跡には入れないので、住吉神社と正覚寺が貴重な財産です。
冬なら神社階段上から江の島が見える。夏は草木で見えにくい。洞窟もある。社と境内は小さい。住吉城址跡との看板あり。真偽は不明。階段が苔むしていて滑りやすい。普通の靴だと滑って怪我する可能性が大きい。
正覚寺本堂脇の通路の先にある。この地域は三浦道寸の弟である道香の居城である住吉城跡でもある。永正10年(1513年)に北条早雲に攻められ落城した。苔むした階段の他、右わきには奥行き10mほどの手掘りのトンネルがある(行き止まり。スマホのライトをかざしながら進むと、結構スリルがある)。
相模住吉城跡でもあります。神社の右手に小さな洞窟がありますが、行き止まりになってました。
趣のある苔階段、神社横にある隧道にロマンスを感じます。この隧道でお殿様は逃げ延びたのかと。
トンネル(出口は行き止まり)は探検ごっこに面白いと思います。崩落の恐れはあるので自己責任の上で。雑草、虫が少ない冬季にライト持参で注意して入りましょう。
住吉城址に鎮座。
現在、雛壇状の上部に「住吉神社」が祀られ、住吉城址として一般に認知されつつあるが、実は昭和55年の発掘調査まで所在不明とされていた。城としては背後の山一帯が城郭であり、裏側頂部の「ぼんばたけ」が主郭、東側の「げんじがやつ」に館があったとされる。しかし、「ぼんばたけ」にはマンションが「げんじがやつ」には元総理大臣幣原喜重郎の別荘(現在の持ち主は知りません)が建ち、痕跡は残っていない。また、住吉神社の社横にある洞窟は「住吉城の抜け穴」などの話が広まっているが、実際には明治から大正にかけて掘られた生活道路(隧道)前述の「幣原邸」が建てられた際に同地にあった山越えの隧道の使用が禁止された為(こちらは現在でも134号線側から邸への出入りに使用されている)新たに掘られた。普通に逗子市史に載ってます。
あまり行く人が多くないのか、神社までの道のりが草木でうっそうとして歩きにくかった。
| 名前 |
住吉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
〒249-0008 神奈川県逗子市小坪5丁目12−9 住吉城址 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
2025/12/10訪問ここが目的地ではなかったものの、正覚寺脇の坂を登ったところで『神社参拝者に対しての注意書き』が掲示されていたので神社の存在に気付いて参拝。住宅横の細い路地を入ると少し開けた舗装路があり、その先に苔むしてややすり減った石段があり登った先に社殿。石段は場所によってかなり摩滅しているので特に下りが危険。社殿に向かって右手の崖面に素掘りトンネルがあり、内部床面はかなり滑る。靴がクリート付きサイクルシューズだったこと、照明がiPhoneのそれだったこともあって5、6mほど進んで引き返したが内部は勾配が付いているのでかなり滑るので要注意。