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名前 |
原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
土岐光定(室町幕府初代美濃守護土岐頼貞の父、~1281年)の孫にあたる土岐師親が美濃国恵那郡遠山庄原郷を領地としたことから原氏を称したようである。寛政重修緒家譜によるとこの土岐師親が後に続く土岐原氏や常陸土岐氏と呼ばれる氏族の祖とされる。また師親の父である土岐定親は鎌倉時代末期に発生した北条得宗・貞時と連署・時村の争いである嘉元の乱に関与し命運が尽きている。土岐師親は通称を原彦次郎とし、父親の土岐定親は隠岐孫太郎としていたようである。南北朝期に入ると原氏は系図にもよるが同系統の蜂屋氏と南朝側につき美濃を中心に転戦することとなる。その後原氏は分派していくが、山内上杉氏の被官として知られる常陸土岐氏の原秀成は師親の孫となる。城跡とされる平坦地は室町時代初期に原師親またはその代官が築造したと考えることもできそうだ。