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名前 |
山中高札場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
間の宿にて2024年5月上旬、レンタサイクルによる関ヶ原探訪の際に寄りました。こちらには、中山道間の宿 山中 の碑とベンチと駒札があります。駒札には————————————————————-高札場跡当地は江戸日本橋から五十八番目の関ヶ原宿と、五十九番目の今須宿の中間に位置し、休憩施設の立場茶屋が設けられていたことなどから、俗に間の宿と呼んでいた。かって当山中村は江戸時代を通し、旗本竹中氏の知行地で、ここ千束橋詰には高札場が設置されていた。徳川幕府の庶民統治上の禁制品、法度、掟書などがかかげられ、人だかりがよく見られる場所であった。当時は竹囲いをめぐらし、石垣や土盛りを施すなど管理は厳重で、責任者には村役人を命じ、周囲の清掃をはじめ、火災時には狼藉者の取り締まりにも当たらせていたのである。関ヶ原町————————————————————-とありこのあたりは市街化は他地域ほどされていないこともあり、是非復元して頂けるといいなと思いました。