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「水難」とありますがこの周囲に海はありません。かなり前に埋め立てられているからです。現在の海岸はメッセの先、2㎞以上向こうにあります。しかし明治時代の古地図ではこの場所は砂浜なのです。すぐ目の前に東京湾が広がっていたのです。この「水難慰霊塔」は小さな墓地の片隅に立っています。3mほどの白い石柱であまり汚れておらず、比較的新しいように見えます。この真横には表面が剥落した小さな石碑と「供養連」と彫られた香炉石が置かれています。こちらはかなり古いもので、たぶん100年じゃきかないでしょう。勝手な推測ですが、オリジナルが風化したためこの「水難慰霊塔」が新たに作られたものと思われます。おそらくかつての漁協関係者が建立したのでしょう。以前、幕張町漁業協同組合が「幕張町馬加(まくわり)」、現在の京成幕張駅近くに存在しており、その可能性が高いように思います。しかし「水難慰霊塔」の裏には「発起人」として30人ほどの名前が刻まれているだけで漁協の文字はなく、建立日も記されていませんでした。30年以上前、木更津で仕事をしたことがあります。銭湯に行くと結構な入れ墨をした人が多くビビりましたが、海難事故の時は入れ墨で身元確認をするんだそうです。今も昔も「板子一枚下は地獄」ですか、厳しいご商売です。それに比べ我が業界は………!2025.3.8