君の名は聖地、四谷須賀神社。
須賀神社の特徴
映画君の名は。の聖地として人気の神社です。
江戸初期から続く四谷総鎮守で由緒ある神社です。
狭い路地を抜けた先にある緑豊かな神社です。
前回訪れたのは、アニメ映画の(君の名は)の上映より前でしたので、ポツポツとしか参拝客がいなかった印象でしたが、シーンで使われた階段下から撮影されてる方もいて、すっかりアニメの聖地になっているようでした。神社付近の道は狭いのですが、駐車場がありました。今回は、階段がモチーフになってる御朱印を頼むと、神社オリジナルのクリアファイル付きでいただきました。行きは四谷三丁目駅から歩きで訪れ、帰りは男坂を降りて、四ツ谷駅まで歩きました。
1月の終わりに行きました。平日でしたが階段が有名なこともあり観光客やご参拝されるかたで賑わっていました。こちらの神社の名称が、須佐之男命が発せられた言葉からついたと聞いて興味をそそられました。神社の名前一つとっても大変歴史を感じられていいなと思いました。駐車場もあります。御朱印は書き置きでしたが小さなファイルに入れてくださるのでいい記念になります。では良いお参りを。
住宅の密集する狭い路地を結構入っていかなければなりませんが、その価値があります。新宿区の地形ゆえに結構な高低差があり、それが階段となって神社独特の風情を作り上げています。お寺は〇〇山というように高いところにある事が少なくありませんが、こちらはお寺が谷下にあり神社が上にあるケース。歴史的な経緯があるのでしょうか。正月には茅の輪くぐりや、今は少なくなった獅子舞と横笛による祭囃子、甘酒の振る舞いなどがあり、古風をよく伝えています。
四谷総鎮守の須賀神社にお伺いさせていただきました。東京メトロ丸ノ内線の四谷三丁目駅から徒歩10分ぐらいです。私は知らなかったのですが、アニメ映画でこちらが出てくるらしく雨にも関わらず参拝客が沢山いましたね。それを抜きにしてもく組の梯子、天白稲荷神社、三十六歌仙の絵など色々あります。拝殿も凄く立派で綺麗でした。せっかくなので私もアニメの男坂を見てきました(笑)御朱印も見開きタイプの素晴らしいのを拝受しました!
江戸初期からの四谷十八ヵ町の鎮守。アニメ映画「君の名は」のラストで主人公の2人が再開し階段が裏手にある。主祭神は須佐之男(スサノオ)命と宇迦能御魂(ウカノミタマ)神。須佐之男命は武の神であり、農業神でもある。宇迦能御魂神は須佐之男命の娘で稲の神。社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸川(ひのかわ)に、ヤマタノオロチを討ち、「心、須賀須賀し(清々しい)」と言った故事から由来する。江戸後期、三十六歌仙絵が描かれ、昭和の大戦の戦火を逃れ、社宝として残り、拝殿内に掲げられている。色鮮やかな天井画とよく合っている。三十六歌仙は、平安時代中期の公卿・藤原公任が、過去及び同時代の優れた歌人36名を選定したもの。柿本人麿・山部赤人・大伴家持、紀貫之・在原業平・小野小町などがいる。
「外国人」伺った際は閉まる時間の17時近かったのですが男坂(君の名はの方)でベストショットをとるための順番待ちの行列が15人ほど並んでおりました(八割は外国人の方々でした)神社の周りはお寺さんが8つほどあり、坂道が多くておそらく水害(谷部)を避けて丘陵部に祀られたものと考えます巡るなら、東福院坂→男坂→女坂→観音坂個人的には東福院坂から望む景色が好きなのですが・・・君の名は は観ていなかったのですが逆に外国の若者までも引き寄せる作品を観なければ!
最寄り駅 JR四ツ谷駅より徒歩で10分位拝観料は無料 トイレ無し主祭神須佐之男命宇迦能御魂命須賀神社の始まりは寛永11年(1634年)、赤坂一ツ木村(一ツ木)の清水谷にあった稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷に遷座したことであるとされる。別当寺は稲荷山福田寺宝蔵院。寛永14年(1637年)、日本橋大伝馬町の鎮守として神田明神摂社(天王二ノ宮)に祀られていた牛頭天王を合祀したことにより江戸時代には「稲荷山宝蔵院天王社」「稲荷天王合社」「四谷牛頭天王社」と称されていた。との事です。神社の参道に階段があり新海誠監督の映画「君の名は」で使われたとされ結構前の作品のはずですが今でもこの階段を目的に写真を取っている人もいましたので気を付けて下さい。とは言え、江戸初期からある四谷の総鎮守なので三十六歌仙絵巻などの奉納があり新宿区有形文化財に指定されています。
狭い路地の住宅街の一角に階段と緑がある神社で、古くからとても由緒のある神社のようです。有名になったのはこの神社の男坂が大人気アニメ映画「君の名は。」の聖地となってから。若い人から外国人までたくさんの方が聖地巡礼で訪れています。聖地としてもアリですが、とても趣のある境内、都会の喧騒を忘れさせる静かさ、とても素敵な空間が広がっていました✨
6月平日に訪問。階段で写真や動画たくさん人がいました。空いてると思いましたが意外と多く外国人も多かったです。映画の聖地巡礼と言う習慣は素晴らしいと思います。
名前 |
須賀神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3351-7023 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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御由緒 須賀神社HPより今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。 社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。 往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。 当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。 今日の復興を見ることが出来ました。 今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。今日の復興を見ることが出来ました。