一橋家の歴史感じる場所。
一橋徳川家屋敷跡の特徴
江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜公ゆかりの地です。
一橋徳川家屋敷跡には歴史的な遺構が点在しています。
明治時代や16世紀以前の稲作の痕跡が発見されています。
多くは語らんよ。一橋刑部卿十万石のお屋敷跡だ。17888坪もあった大邸宅!
この地は、埋藏文化財発掘調査に依りますと、18世紀中頃から幕末まで当地にあった一橋徳川家屋敷跡ですが、17世紀代に造られた護岸石垣を伴う池跡や石垣で画された堀状の遺構なども発見され、さらに、16世紀以前の稲作の痕跡も検出されたそうです。添付の写真は、池跡を約3m 持ち上げ、枯山水でその遺構を記録しています。この池のほとりに、どの様な人物がどの様な衣装で訪れたことでしょうか?
🏣東京都千代田区大手町1ー4ー2🚇️…東西線竹橋駅3a出口より徒歩3分程※今は「丸紅竹橋本社」が建っていました。気象庁、大手町合同庁舎、付近に至る広大な敷地が一橋徳川家の屋敷跡だそうです。「一橋徳川家屋敷跡」の碑は丸紅本社敷地に建っていました。近くを通る機会が有れば御覧に成るのも…良いと思いました。
半年前ですけど、渋沢栄一スタンプラリーなる企画でこちらに訪問しました。皇居そばの平川門交差点から、丸紅さんが入っているオフィスビルの一角にあります。一連の歴史やドラマ「青天を衝け」ファンの方でしたら、近くの如水会館で渋沢栄一像を観てからこちらへ足を運ぶのも良いかもですね。
寛保元(1741)年、第8代将軍吉宗公の四男宗尹(むねただ)公が江戸城一橋(ひとつばし)門内に屋敷を構えたのが一橋徳川家の始まりとなった。一橋、田安、清水の三家は御三卿と呼ばれて、尾張、紀伊、水戸の御三家の次に将軍継承順位が高かった。
御三卿のなかでもやっぱり徳川慶喜を輩出しただけあって一橋家がいちばん有名やわなーなるほどなるほどこの場所に一橋家の屋敷があったんかー。
名前 |
一橋徳川家屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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江戸幕府第15代将軍徳川慶喜公を輩出した一橋家の屋敷だったところ。一橋家は田安家、清水家とともに御三卿で、御三家に次ぐ格式。