関東大震災の記憶を刻む。
東京都慰霊堂の特徴
東京都慰霊堂は、関東大震災の遺骨を納めるために創建された歴史的な施設です。
伊東忠太設計による重厚な外観が特徴で、内装は教会の様相を持っています。
横網公園内に位置し、関東大震災と東京大空襲の記憶を伝える重要な慰霊施設です。
仕事帰りに行きました。東京慰霊堂には、震災、戦災での犠牲者の遺骨が安置されています。東京大空襲で生き残った祖母と、子供のころから手を合わせに来ている場所です。3月10日の空襲で下町周辺は火の海となり、母と幼い子供、体の弱いお年寄り、沢山の親子が生きたまま焼かれ地獄の光景だったと。戦後生まれの自分には、何も出来ないけど、安らかにと手を合わせる事は出来る、そんな思いで来ています。最近では、海外の方達が来ていて、手を合わせているのを見ると嬉しくなります。横綱町公園の中にある為、親子で楽しそうにしているのを見ると、平和を凄く感じ、平和の尊さを実感させられています。
大震災、戦争による一般市民の犠牲者を悼む場所です。個人的にこれまでこのような場所に伺う機会が少なかったことが申し訳なく感じます。安らかにおやすみいただきたい。もっと世の中にこの施設を知らせるべきだと思います。
関東大震災でこの地にあった陸軍被服廠跡へ4万人もの人たちが避難しにきていたがそこへ火災旋風が襲いかかり3万8千人もの人々が亡くなった。関東大震災の犠牲者の1/3に当たる犠牲者数。犠牲者たちを弔うために震災記念堂としてつくられ後に東京大空襲の犠牲者も合祀され東京都慰霊堂となった。同じ公園内にある東京都復興記念館もセットで訪れるべし。
こちらは2025年10月02日の訪問となります。両国は横網町公園にあるお堂です。関東大震災の犠牲者約58000人の遺骨を納める為、市内で最も被害の大きかった被服廠(旧日本陸軍が軍服や関連品を製造、保管、補給した機関)跡に1930年に建てられたそうです。その後、戦災犠牲者も加えた16万3000柱を供養し、毎年3月10日と9月1日に大法要が営まれているそうです。前方と後方では全然外見が異なります。2013~2016年にかけて耐震補強と外壁等の美装化、銅葺き屋根の全面葺き替えなどのリニューアル工事が実施されたそうですね。
2025年10月ウオーキング協会の例会の際、寄りました。関東大震災と第 2 次世界大戦でお亡くなりになった方の慰霊のお堂です。私は東京都ウオーキング協会(TWA)の会員です。TWAの例会で街歩きをしています。その際にいいなあと思った場所をスマホで撮影していましたが、グーグルマップにも投稿しようと思い立ちました。懐かしい場所を久しぶりに訪れてみると変わっていた!、ということに新鮮な感動があったりします。この思いを皆さんと共有できたらと願っています。
両国駅から歩いて行けます。中に入ってお参りできます(無料)し、お線香とロウソクも準備されておりましたので、お気持ちお納めして、上げさせて頂きました。
墨田区横網町にある陸軍被服廠跡(現・横網町公園)に行った折、東京都慰霊堂を見学してきました🔍東京都慰霊堂は、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災による遭難者の遺骨を納めるための霊堂として、震災でもっとも被害が大きかった陸軍被服廠跡に昭和5年(1930)に「震災記念堂」として竣工しました。その後、太平洋戦争の東京空襲(1945)で亡くなった方の遺骨も納められ名称が「東京都慰霊堂」と改められ、現在に致します。この東京都慰霊堂ですが、調べてみると建築家・伊東忠太の設計とのことです。こんなところで伊東忠太の建築に出会えるとは思ってもなく、恥ずかしながら不勉強でした💦伊東忠太の建築といえばインドの寺院建築様式を取り入れた築地本願寺(重要文化財)が有名ですが、東京都慰霊堂にもインドの建築様式が採用されています❣️この伊東忠太が設計した東京都慰霊堂は現在、東京都選定歴史的建造物に指定されています。慰霊堂の内部には関東大震災の被災状況を画家・徳永柳洲が描いた絵画と石川光陽によって東京空襲後に撮影された写真が展示されています。徳永柳洲の絵画のなかでは震災発生後の東京市内における火災旋風の猛威が描かれています。また、空襲後の焼け野原を撮影した石川光陽の写真には、空襲による焼死体を撮影した生々しい写真もありました。個人的には1945年の東京空襲を撮影した石川光陽という人物に興味を抱きました。
東京都選定歴史的建造物百選大正12(1923)年9月1日に起きた関東大震災は、関東全域で死者・行方不明者合わせて約10万5千人という甚大な被害をもたらした。東京都慰霊堂は、東京市(当時)での遭難死者約5万8千人の遺骨を納めるために建てられた施設であり、当初は「震災記念堂」といった。築地本願寺や明治神宮などを手がけた建築家・伊東忠太が設計し、昭和5(1930)年の竣工。本堂は寺院風のデザインだが、鉄筋コンクリート造で耐震・耐火構造をうたっている。本堂の屋根や講堂入口の上方には、伊東の作品の特徴である妖怪の彫像を確認できる。
東京都慰霊堂は、1923年9月1日に発生した、関東大震災による被災者の遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかったこの場所に建てられたものです。震災によって、この場所では3万8千人ほどの方々が亡くなりました。当時この場所では東京市が公園の造成を進めていましたが、大地震によって下町地域は焦土となるような火災に見舞われ、周囲に住む4万人近くが空き地であったこの地に家財道具を持って避難してきましたが、大規模火災が人々を襲い、地震の揺れによる建物の倒壊ではなく、火災によって多くの方々が犠牲になった場所です。この地域は、更に太平洋戦争末期の1945年3月10日の「東京大空襲」など、米軍の爆撃に何度もさらされ、震災時よりもはるかに多い犠牲者が出ました。当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、戦争による膨大な数の身元不明遺骨を合葬し、施設の名称も「東京都慰霊堂」と改められました。「東京都慰霊堂」は、本堂と納骨堂の三重塔で構成されています。本堂は無料で見学することができます。本堂の中は、教会のように椅子が沢山並んでおり、正面に向かって左側の壁には東京大空襲の写真が、右側の壁には関東大震災の油絵が展示されています。大勢の犠牲者を弔うこの場所は、厳かな雰囲気があり、気持ちが引き締まります。
| 名前 |
東京都慰霊堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3622-1208 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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こうした建物があることを市の防災会の研修で今回初めて知りました。関東大震災と東京大空襲、2つの慰霊を兼ねた建物とのことで、壮絶な歴史を改めて知ることができました。