歴史を感じる慰霊堂。
東京都慰霊堂の特徴
東京都慰霊堂は、関東大震災の遺骨を納めるために創建された歴史的な施設です。
伊東忠太設計による重厚な外観が特徴で、内装は教会の様相を持っています。
横網公園内に位置し、関東大震災と東京大空襲の記憶を伝える重要な慰霊施設です。
隅田川花火大会の時に、休憩所に利用しました。トイレと今回は、雷と雨宿りが出来て助かりました、
刀剣博物館見学の後は近くの慰霊堂へ。ここは関東大震災と東京大空襲で犠牲になった方々の慰霊堂。今までの寺社仏閣と違い、多くの犠牲者の想いが詰まっているようで厳かな雰囲気を感じる。堂内の壁には当時の写真や絵が飾られているが、やるせない気持ちになる。ウクライナやガザなど今でも戦争中の国や地域があるがその土地に住む人がつらく苦しい生活を強いられていると思うと心苦しい。自然災害は致し方ない部分もあるが、紛争のない世の中になってほしいと切に思う。
築地本願寺や大倉集古館と同じ伊東忠太の設計で、外観は寺院のようで、内部は教会のよう(バシリカ)です。祈りの場ですが、15分ほどの解説動画を見られました。詳しい内容は隣の復興記念館にあります。
関東大震災による遭難者の遺骨を納めるための霊堂として完成しました。その後、東京大空襲で亡くなった方の遺骨も慰霊塔に納められました。震災、戦災合わせて約163,000体の遺骨が安置されています。横網町公園内にあり、中に入ると天井が高く、とてもひんやりしていて身が引き締まります。横網町公園には、銀杏並木があり紅葉の季節はとても綺麗です。すぐ近くに東京都復興記念館があります。
今日3月10日は1945年の東京大空襲の日。毎年、この東京都慰霊堂では春季慰霊大法要が営まれます。本日も秋篠宮ご夫妻を迎え法要が行われました。その時多くの尊い命が失われました。かつてこの地には旧日本陸軍の被服廠があり、ちょうど100年前の1923年9月1日の当時はその跡地として広場になっていました。その日のお昼時に、関東大震災が起こり未曾有の大災害となり、多くの方がその広場に避難してきました。そこに火災旋風が発生して多くの犠牲者を出しました。この場所は様々な鎮魂の地として、今も多くの方が訪れています。またこの建物の設計者である伊東忠太氏は築地本願寺の設計も行いましたが、よく見ると似ているところがあります。ちょっと妖怪のようなアイテムなど探すと面白いです。
関東大震災と東京大空襲で亡くなられた方の慰霊堂。多くの人にお参りしてもらいたいお堂です。
多くの犠牲者、被災者を出した関東大震災の慰霊を目的に創建された大きな建物です。中は震災の様子を描いた大きな絵が展示され、長いベンチがいくつか置かれており、さながら教会のような構造でした。
1923年9月1日に発生した関東大震災で被災した人々を慰霊するために創建された。その後1945年の東京大空襲をはじめとした空襲の被災者もあわせて慰霊されている。両国には回向院のように災害等の被災者を供養する施設が多い。
1923年(大正12)の関東大震災の遭難者の御遺骨を納めるための霊堂として7年後の1930年(昭和5)に完成その後太平洋戦争中の大空襲で亡くなった御遺骨も慰霊塔に納められ名称を東京都慰霊堂と改めた都の歴史的建造物に選定慰霊堂内には絵画や戦時中の写真を展示。
名前 |
東京都慰霊堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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とても清潔で慰霊度堂もお庭もきれいでした。60年ぶりに参拝させて頂きました。春の花の時期に又来たいです。