紫電改と共に語る、憩いの場所。
食堂喜楽跡地の特徴
愛媛県愛南町の海底から引き上げられた紫電改の機体がある場所です。
太平洋戦争時のパイロットに送られた紫のマフラーの逸話が残っています。
終戦間際に松山海軍航空隊の搭乗員の憩いの場所だった歴史があります。
知らないと気が付かないプレートには太平洋戦争時の紫電改のパイロットに食堂の若女将が紫のマフラーを送ったという逸話が書かれています。にっこり笑へば必ず墜すと書かれたマフラー一枚だけ紫電改とともに海から引き上げられて展示館に保存されているそうです。戦争に勝つことが正義だった時代戦わなければならない生き方を強いた時代が日本にあったことを忘れてはいけない。
終戦間際の昭和20年、松山海軍航空隊、紫電改搭乗員の憩いの場所であった食堂喜楽の跡地ということで、次に通る際には黙祷しようと思います。
名前 |
食堂喜楽跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
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昭和54年7月、愛媛県愛南町の海岸の海底から日本軍の戦闘機 紫電改の機体が引き上げられました。日本に唯一存在する紫電改は、現在、愛南町の ❝日本海軍「紫電改展示館」❞ に展示されています。学校では教えてくれない日本の歴史を知る事ができる、貴重な展示館だと思います。松山市には、紫電改のパイロットを養成するための基地がおかれ、全国から選抜された優秀な若者が集められたそうです。食堂「喜楽」跡地は、敗戦色が漂う大東亜戦争の終盤にあって、食堂の若女将と若者達の交流の想い出がよみがえる場所だと感じました。YouTubeで、南海放送ラジオドラマ「紫電改君がくれた紫のマフラー」を観ることができます。当時の若者達がどんな気持ちで戦争に臨んでいたのか、その一端を知ることが出来ます。お勧めです。大街道側の看板の内容を転載します。■食堂「喜楽」跡地■「喜楽」とは太平洋戦争終盤の昭和19年頃、この辺りにあったすき焼き専門店で若女将・今井琴子が戦闘機“紫電改,,の搭乗員を歓待した。“紫電改,,とは零戦より高性能と云われ「太平洋戦線に出現した日本機中、最も素晴らしいもののひとつ」とアメリカ軍に言わしめた名機。その搭乗員を養成すべく全国からエリートパイロットが松山基地(現在の松山空港)に集められた(第三四三海軍航空隊)。交流のあった今井は搭乗員らとの別れ際、済美高等女学校の生徒らと一緒に紫のマフラー38枚を編み餞別に送った。そのうちの1枚が昭和53年宇和海沖で発見・引き揚げられた紫電改とともに愛南町の「紫電改展示館」に今も展示してある。イラストは南海放送ラジオドラマ「紫電改君がくれた紫のマフラー」のYouTube版で使用されたメイン画。